僕とぼく
これは、私からのプレゼントだよ。
起きてる?
嗚呼…………………こんな姿でごめん。
ごめんはいい。俺を覚えているなら。
えっと……ありがとう?
どういたしまして。明日、明後日時間あるんだ。一緒に海見に行こう。
海?突然どうしたわけ?
案外、気持ちだけじゃ駄目だなって。漫画みたいにどんなに遠くてもとか、やっぱり…触れなきゃ寂しくなるなとか……。
へ?
いいから、海に行こう!
う、うん。……行く。
車は私が出すよ。立てるか?
大丈夫。
心の渇きは……―
飢える。
洸……くん。苦しいよ。乾いて乾いて苦しい。
ぼくは……きみを守りたかったんだ。
「旦那様、ルーはちょっぴり幸せです」
琉雨は不意に言った。
「んー?」
「こうやって、静かにゆっくりできて幸せです」
そして、彼女は洸祈の左手を両手で包む。そんな彼女の太陽で暖かくなった頭を洸祈はゆっくりと優しく撫でた。
喉かな昼下がりに用心屋全員で公園に来ていた。久し振りのお遊びと洸祈の療養を兼ねてだ。
「お昼は何食べよっか」
「旦那様は何を食べたいですか?」
琉雨が逆に訊くと、洸祈はうーん。と唸った。琉雨は何も言わずにじっと待つ。暫くして…。
「あっさりしてて温かいもの」
「ちょっと歩いたところにうどん屋さんがありますね」
「そうそう。静かでこぢんまりとしてる、よく気が利くおじいさんの旨いうどんのお店。そこにしようか」
「はい」
失われつつの記憶を掘り出し、洸祈は笑みを溢した。琉雨もつられて笑う。
「それにしても、まるで餓鬼だな」
葵と千里とお爺ちゃんとも呼べないほど長生きをしている呉、狼の伊予柑と金柑の3人と2匹ははしゃいでいた。若い者の少ないこの地域の寂れた公園で、彼らはこれでもかと楽しむ。どうやら、次は木登りのようだ。するすると登った呉と2匹を見上げ、千里も遅れて登る。葵は木の高さと体の柔軟性で手こずり、笑われていた。
「旦那様はじじくさいです」
「日向ぼっこが好きなだけ。第一…―」
「ルーも日向ぼっこが大好きです」
ゆっくりした時間を好む二人は再び笑みを溢した。
「あお、機嫌直してよ」
「どうせ、俺には木登りなんて無理だよ」
次は缶けりをすることになり、葵は洞窟の出口の一つから外を窺っていた。そこに、千里がやってきたのだった。
彼は、遊びに参加しながらも内心拗ねている葵の隣に腰を下ろす。
「木登りはあれだけど、あおにしかできないことあるし」
「ほ~。で?何?」
「決まってるじゃん、性的う…―」
―…け。
ごつっ。
葵の拳は千里の頭頂に深く落ちたのだった。
「お前にはそれしかないのか!馬鹿千里!」
「馬鹿じゃないもん!男だもん!性欲に飢えてんだよ!最近はキスもままならないし…」
そう言った時には千里は葵を壁に押し付けてキスをしていた。
「ちょっ!せん!!」
「あおが足りない」
「今、缶け…―」
無理。と囁いた千里は葵を抱き締め、離さずに長い口付けをする。
そして…―
「超可愛い」
興奮している葵に更に刺激を加えて笑った。葵は既にとろとろだ。赤く上気した顔でぐったりと伸びている。
「ど…してくれんだよ」
「洞窟エッチ?」
「不衛生だ…ばか…」
「もらってあげるだけだから大丈夫」
葵は拒まなかった。流石にマズイと感じたのだろう。短い間の快楽に浸り、熱い吐息と共に千里の髪をくしゃりと握った。
「――!!」
「っく……」
ゴクリと喉を鳴らした千里は葵の唇に吸い付く。
「あお、いつもいつも僕に言って欲しいんだ」
「何を?」
「お前は“千里”だ。って」
「千里?」
唇を離し、葵の肩に頭を乗せて隣に座った千里は言った。
「洸の“ちぃ”は…“ちさと”なんだ」
「ちさと?千里って書いて“ちさと”と読めるな」
「僕は千里だよ。“ちさと”は違うんだ。あの時、“ちさと”を生み出したのは僕じゃなくて氷羽なんだ。僕は“ちさと”じゃない。千里なんだ。“ちさと”は…氷羽なんだ」
泣きそうな顔で千里は俯く。葵はそんな彼を見詰めた。
病院での一騒動の後、気絶した千里は風邪も合わせて三日ほど寝込み、病院で起きたことは曖昧になっていた。それからは、葵は“氷羽”について訊いたことはない。
「なら、何故“ちぃ”を許しているんだ?」
「何でだろうね。僕は“ちぃ”を許している。それは、氷羽を許しているのかな…。僕は氷羽なのかな」
「違う!千里は千里なんだ!」
「僕は弱いんだ。氷羽は強いんだ。僕と氷羽は望んで一つになったんじゃないんだ。僕と氷羽は約束したんだ。僕は体を…氷羽は死を…約束したんだ。僕をヒトにする約束をしたんだ。だから、僕は…今もまだ…生を実感できるんだ…“ちさと”はカミサマなんだ。死なないんだ。洸はちぃを呼ぶんだ。洸は無を呼ぶんだ。僕から生を奪うんだ。僕は千里なんだ。僕は千里なんだよ。“ちさと”じゃないんだ。千里なんだ!“ちさと”は氷羽なんだ!僕は千里なんだ!」
“せんり”は千里。
“ちさと”は氷羽。
体を貸したのは千里。
死を与えたのは氷羽。
温かな春の空の下で、影に隠れた千里は白い息を吐いた。
「葵、僕は千里だよね?僕はヒトになりきれているんだよね?」
「馬鹿なことを言うな。お前は人間だ。お前は“千里”だ」
千里の手を引いた葵は洞窟を飛び出した。そして、伊予柑を追い掛け回していた呉を横目に天高く缶を蹴り上げたのだった。




