残された者(5)
「千里、起きたか」
千里はがばっと起き上がると、葵に抱き付いた。
「…あおっ」
そして、頭が痛いのか、直ぐに体を寝かす。
「熱出して、慌てるなよ」
葵は物欲しそうに葵に手を伸ばす千里の汗ばむ首もとに布を当てた。千里は「ありがとう」と笑みを溢す。
「櫻さん、薬です。アレルギーとかはありませんよね?」
「一応、ないです。ありがとうございます」
千里は再び、体を起こすと、薬を口に含んだ。
「ほひふ…」
「櫻さん?」
医者は首を傾げる。
「ひふ…」
「はい?」
医者は首を傾げる。
「水です」
そう言った葵は、小さな水道から水をコップに淹れると、千里の前で、水を口に入れた。何故か自らの口に。
「ほひふ!」
わけの分からない幼馴染に溶け始めた錠剤に顔をしかめた千里が唸る。手をバタバタさせた苦いのが苦手な千里を諌めると、葵は人差し指を自分の唇の前に立てた。
そして…―
彼は唇を千里の唇に重ねた。
「ん……」
ごくっ。
「お水…」
「その熱で、俺が寝ている間に先生に会ったんだってな」
「あお…だって―」
強くキスをして、口を塞ぐ。ほんのりと赤い頬を更に赤くした千里は貪るようにキスを返し、腕の力が抜け、ベッドに体を倒した後も暫くキスをしていた。
「だめ…風邪…移っちゃう…」
唇を離し、葵に抱き締められながら千里は身を捩る。
「ごめんな…お前に気を遣わせて。ただでさえ、洸祈に気を遣わせて…そのせいで、こうなったってのに…お前にまで…」
「僕はもう…窶れていくあおを見ていたくないよ。僕は洸も好きだよ。だけど……ご飯の時だけ起きて…でも…吐いちゃって…一日中ぼーっとして…そんなあおを見てたら…」
洸祈を入院させてほしいと頼んでいたのだ。
だって、僕の一番は君なんだ。
「僕は二人も失いたくないよ!僕らはもう三人ぼっちなんだよ!嫌だよ!ひとりぼっちは嫌だよ!」
激しく咳き込んだ千里は吐き捨てるように叫び、葵は息を呑んで小さく唸る。
「ひとりぼっちは…皆…嫌だよ。俺も…お前も…洸祈も」
皆、考えることは同じ。
ひとりはもう味わいたくない。
千里は本家に縛られ、洸祈は失ったものに心を閉ざした。
千里も洸祈もひとりぼっちなんだ。だから…。
―……だから俺もひとりぼっちなんだよ。
「俺、洸祈の原因は俺達じゃないかって…怖いんだ…」
千里は驚き、葵を抱き締めた。
「だったら尚更、僕らは洸の傍にいないとだね。ごめん、あお。洸を入院させようとしてごめん」
「お互い様。洸祈と一緒に三人で帰ろう」
「うん」
「でもさ、あお、人前で大胆だよね」
「は?」
「先生、苦笑いしてたよ」
そう言って、千里が葵の唇を撫でると、葵は一瞬で赤面した。
「馬鹿っ!お前が…」
「なあに?」
千里は葵の進路を塞ぐ。葵は目を泳がすと、諦めて俯いて言った。
「何か…キス…欲しくて…」
「今、抱き締めて、押し倒して、キスしていい?」
金髪を揺らして葵の腕を掴んだ彼は笑う。
「駄目だ!」
「じゃあ、手、握っていい?」
きらきらと翡翠が求める。
葵はうっ、と一歩退くと、そっぽを向いて左手を差し出した。
「手だけ」
「うん!帰ったら沢山キスしてあげるからね」
その手の甲にキスした千里は、通りがかりの看護師に手を振る。ナース姿の彼女はぺこりと頭を下げると、先程のを見ていたのか、美少年に驚いたのか、頬を赤らめて足早に去って行った。
「っ………うん」
葵は小さく頷いた。
「洸祈」
「洸」
ベッドで管に繋がれ、体を倒した青年は振り返る。
「葵っ、ちぃっ」
赤い羽が舞うその中で、彼は笑った。
「こんなにどーしたの?」
千里は肩に乗った緋色の小鳥の背を薬指で撫でる。
「俺の魔法、痛くって…お医者さんが心のせいだからって。だから、魔法を使うんだ」
「魔力の循環が悪くなっています。だから、魔力を使うしかなく」
洸祈のベッドに腰掛け、彼の額に水色の光の溢れる手を翳す医者は言った。
「今は…」
光は消え、医者は葵に向き直った。
「1週間後、また来てくださる時に僕も来ますので。2時間程、僕の治癒魔法で流れを良くします」
「先生、終わったの?」
「終わったよ。頭痛が酷いかも知れないけど、ほんの数時間だから。さっきの痛みに比べたらどうってことないよ」
「なら、頑張る。先生、温かいよ。一つどうぞ」
小鳥が一羽。
医者の手のひらに乗った。
チチチと小鳥が鳴く。
「ありがとう。温かいね」
「半日はもつよ。でも、愛着沸いたら可哀想だから、いつ消す?」
「もうすぐ帰るから、3時間ぐらいでお願いできるかい?」
「いいよ。先生を守ってね」
チチチ…。
そう言う洸祈が、小鳥に愛着が沸いているようだ。
「先生、これ、いつ取っていいの?」
腕に刺さる管に、洸祈は溜め息を吐く。
「あと…5分ぐらい」
「なんか気持ち悪い」
「ちゃんとした健康な生活を送っていれば、なかったことだよ」
「意地悪」
「はいはい」
再び、葵と千里を見ると、笑みを溢した。
「もーすぐだけど、先に帰ってていいよ」
「いや、待つよ」
葵もベッドに腰掛けると、窓の外を見上げる。
「葵」
「?」
呼ぶ声に彼は振り返った。そこには…―
「―…え?」
葵は抱き締められる。
「洸祈?」
洸祈が葵の腰にしがみつくように抱き締めていた。
「もし、一番星が見えたら…」
洸祈の唇が覚えのあるフレーズを紡ぐ。
「願いを…」
葵が応えた。
「大切な大切な人へ…」
「願いを…」
「たとえ、全てを失っても…」
「私を失っても…」
「あなた達は…」
『願いを天に捧げて』
はっとした葵は、口元を押さえて周囲を見回す。千里も医者も洸祈と葵のハモりに唖然としている。
洸祈はというと、葵にへばりついたまま言葉を紡いでいた。
「それが終わらない悪夢を見せようとも、願い続けなくてはいけない。いつか、いつか、あなたが諦めるのなら、夢が覚めてしまう。なかった世界は悪夢よりも哀しいものだから」
紅い炎。
洸祈の体から深紅の光が溢れだす。
「だから、あなた達は夢を見続けるの。失っても手に入れる願いが叶うその夢が現実となり、私のあなた達の笑顔が見れる願いが叶うように」
「洸祈!?」
「起きちゃだめ。悪夢を見続けて。何回繰り返しても、何十回繰り返しても、何度だって私が、あなた達の願いが叶うまでチャンスを与えるから」
「先生!」
「尋常じゃないほどの魔力が吹き出ている。このままだと―」
「千里!?」
葵はぐらりと傾いた千里を支えた。
「大丈夫か?」
「痛い…頭が…割れそう…」
千里は葵の胸に頭を押し付けて唸る。
「先生!」
医者に頼るしかなく、葵は医者に叫ぶ。
「分かっています。彼は外へ」
医者も叫び返した。
洸祈を葵から引き剥がしてベッドに寝かす。脇の器具を動かしているのは、睡眠薬かなにかの準備か。
葵は医者が千里を指差すので、支えながらドアを目指す。
「痛いっ…やだっ…だめっ…あげないよっ!!!!………あお……………………………―」
ふと黙し俯いた千里が葵の手を払った。ただ払った。
「…………千里?」
「……………」
「…………………………せん……り?」
違う。
痛いと繰り返す涙目の千里はいない。
この冷たい雰囲気………――
『氷羽さ』
一瞬、葵は何もかもが止まった気がした。