父さん
…―お前達は未成年だ。どうしても親がいなくてはいけない。璃央はまだ若い。司野さんがお前達の父親になるって言ってきてくださった。だから、司野さんにお前達を頼んだ。洸祈、崇弥家の長男として、大黒柱として、お前はかけがえのない家族を全力で護るんだぞ―…
ピーンポーン
「誰や?」
『俺』
ガチャ
「崇弥?どないしたん!?葬式の最中じゃ―」
息を切らし、汗だくの洸祈は夜風と共に由宇麻を退けて廊下に崩れた。
「崇弥!!?」
「………………司野…」
「大丈夫か?」
ほら飲みぃ。そう言った由宇麻は洸祈の口に飲みかけの温かいココアを注いだ。
「………“父さん”…だよな……」
「司野でええよ。電話しといたからな。琉雨ちゃん、めっちゃ心配してたで。今すぐここに来る言うたけど、崇弥が落ち着いたらそっちに向かわす言うといたからな」
「……………」
無言。
「まさか、行かへんつもりやないだろうな!?」
別にいいじゃん。不貞腐れた子供のように洸祈は確かに呟いた。
ブチッ
血管が切れた。
言い換えると…
「キレた!崇弥!!父親やろ!?大切な大切な家族やろ!?ホントの血の繋がった家族やろ!?息子の崇弥が送らんでどうすんや!!!!慎さん、気持ちよく上に逝けへんやろ!!!!別にやない!理由あんやろ!?深刻な理由あんやろ!?でもな、この世に父親見送らへん理由なんてない!!!!崇弥の理由じゃ父親見送らへん理由にはならんのや!!!!」
言い切った。
洸祈はぷくっと頬を膨らますと、司野の胸ぐらを掴む。
分かっているけど納得したくない者の目。
精一杯、虚勢を張る者の顔。
認めたくない。
感じたくない。
そんな崇弥の瞳。
「餓鬼んちょ崇弥。その理由、消し去ってやる」
全ての電気は消され、カーテンで閉め切られた暗い部屋で丸いボールのようなものが仄かな光を醸し出していた。
「何この匂い」
「アロマテラピー?」
「疑問符付けんなよ」
当然、洸祈は呆れきった。
「自分のしてることくらい分かれよ。てか、司野がアロマね」
「癒されへん?」
由宇麻は自身、不自然な切り返しだなと思ってソファーで寛ぐ洸祈を窺うように見上げる。洸祈はその視線に気付くと、何も言わずにソファーに座るのをやめて由宇麻と同じ様に下のカーペットにへたりこんだ。
「癒される…眠い…」
ゆらゆらと瞳を揺らす洸祈。漆黒のネクタイに漆黒のスーツと、喪服姿の彼はせの低いテーブルに頭を乗せる。そして、伸ばした指でカンと陶器製のそれを弾いた。
「癒されるのは嬉しいけど眠ったら、葬式終わってまうやん」
「葬式…」
全てがモノクロ。
もう二度と訪れることはないと去った実家の一室。
置かれた一つの棺。
全てが…
「崇弥?ホントに眠いん?」
「え?あ、あぁ…」
「ん~。アロマテラピー効かんなー。ま、俺もどうともなかったしな」
「司野も?」
「あ…」
由宇麻は曖昧な作り笑いをし、洸祈も曖昧な作り笑いをした。
「あの…な…」
「いいよ、言わなくて。言わなくても嫌な感じはしないから」
きっとただのアロマテラピーじゃない。
司野が詮索しないと約束したように俺も詮索しない。
誰しも言いたくない過去がある。それを踏みにじられるのは苦痛だ。それが分かるからこそじっと待つのだ。いつか話してきてくれた時、精一杯返してあげれば良いと思うのだ。
「いや、言いたいんや」
由宇麻は唾を下すと洸祈の腕を力一杯掴んだ。痛いが耐えられない痛みじゃない。洸祈はじっとアロマが香るボールを見詰めて待った。
「崇弥……聞いて怒らんといてな?いい?」
「怒らない…かもな」
黒いハンカチを胸ポケットから取り出した洸祈はそのボールに掛けた。本当に微かなる光を残して部屋は闇に呑まれていく。
「これで大丈夫だろ?」
「何が?」
「これならもし俺が怖い顔しても見えないだろ?」
「オーラが…―」
「じゃあ俺は寝るわ」
ぐたっとソファーに凭れる洸祈。由宇麻は慌てて洸祈を揺すった。
「駄目や!崇弥が寝たら連れて行けへん」
「ん、まぁ、無理はしない。怒らないよ」
怒られるのは俺だ。
俺は犯罪者。
罰せられなくてはいけない。
『いいかい?君は、悪くないんだ!!ただ君は幼すぎたんだ!!』
二之宮…
たとえ幼かったとしても…
あの時の俺は酷く醒めていたんだから。
―…。
「俺な…いーっぱい悪いことしてきたんや」
産まれてから現在に至るまで…
「そのたんびにな、周りの奴らに慰められてきた」
あの時も…
あの時も…
あの時も…
いつも…いつも…いつも………
由宇麻の口から嗚咽が盛れる。
「司野!?辛いなら―」
「黙ってや!!!!!」
あぁ…
醜い自分を…
誰かに受け止めて欲しい…
崇弥なら…
俺を受け止めてくれるやろ?
ここからが本当に醜いところ…
「そして…俺は…」
そのたんびに…
…―そいつらに呪いの言葉を吐いていた―…
「善人ぶって、かっこいい言葉言って、どうせ…俺のこと見えてないんやろって。その言葉は嘘。嘘、嘘、嘘。慰めて喜んでる。頼りにされて喜んでる。嬉しいか?嬉しいやろうな。そう心の中で叫んで…イラついて…この世、否定して…あんな奴死んでしまえって呟いて、そんな自分が死ねよって呟いて…死ねるわけないやんって呟いて…」
醜い…
言っている傍から…
俺は自分に呪いの言葉を吐いている。
誰かの腕が由宇麻をそっと引き寄せた。そして、その温かい手のひらで彼の頬を包む。
「たか…や…」
「怒らないよ…その感情は皆持ってるから」
その言葉を…
俺は信じられへん。
「司野…今の俺の言葉は届かないかもしれないが…なんかさ、それでいいと思うんだ」
頬を包む親指は由宇麻の濡れた目下を優しく往復する。
「その時、お前を止めたられたのなら―」
温かい。
「―それでいいと思う。親友でも家族でも、人間は感情を持っている限り憎まずにはいられない。疑わずにはいられない。そして、大切な人の力になりたいと思わずにはいられない。違うか?このアロマテラピーだって―」
「自分の為言うたら?自分が癒されたくて、崇弥に頼りにされたくて…そう言うたら?」
すっきりさせたくて、由宇麻はやさぐれる。
「ありがとう」
闇を隔てた先で、洸祈は由宇麻に感謝した。
「…何で…そんなこと…」
言うんや。
「意図が違くても、下心があっても、俺は嬉しい。俺は感謝したい。司野、さっき言っただろ?どんな理由があっても父親を見送らない理由はこの世にはないって。どんな理由があっても助けられたら感謝しない理由はこの世にはないって思うぞ」
「………こんな俺に感謝をくれるん?」
「うん。司野だってこんな俺に感謝の言葉をくれるだろ?」
それは…
由宇麻はこくりと頷いた。
「ありがとうな、崇弥」
ありがとう。