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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
短編4
137/400

黄色い道の先へ(3)

(れん)は舌打ちをすると、中身を確認した財布を掴み、手頃なカーディガンを羽織って部屋を飛び出した。


クッキーを焼いていた遊杏(ゆあん)がエプロンに三角巾で慌ただしく階段を降りる音にリビングから現れる。

階段を駆け降りるのは蓮。それも、外出姿で。

「そんなに慌ててどーしたのー?しょーちゃんは?」

「れ、蓮さん、突然っ…どこ、へ」

ぜーはーとショタ系のしょーちゃんことシアンが蓮を追ってあたふたと階段を降りてきた。もつれかける足に歩こうか走ろうかを繰り返している。

これはいっそ歩いた方が早そうだ。

遊杏の質問にもシアンの質問にも答えずに、蓮はカーディガンに腕を通しながらリビングへと入った。遊杏にシアンも続けて入る。

「ねぇ、にー」

「蓮さん」

「…………」

鍵をTV台に乗るキーボックスから取り出した蓮。

シアンは不安な顔。遊杏は不満な顔。

「にー!」

「今から大阪に行く」

「なんで!?」

唐突な彼に遊杏が驚く。

シアンは首を傾げた。

咲也(さくや)が空いてたら来てくれないか頼むから。無理だったら崇弥のとこに頼む」

早口な蓮はおかしい。

「ねぇ、なんで!?」

答えにならない応えに遊杏は再度訊ねる。しかし、蓮は正面に立ちはだかった彼女に見向きもせずに前を通り過ぎた。

崇弥(たかや)のとこも無理だったら、悪いが留守番だ。お金はいつもの場所。防犯は大丈夫だな」

蓮はリビングを意味もなくうろうろし、そして、ワイングラスにギリギリまで注いだ日本酒を一気飲みする。


今、だれよりも焦っているのは蓮だ。不安なのも不満なのも蓮だ。


「にー!!!!」

遊杏が蓮の腰に強く掴まる。 蓮の意味のない動きが止まった。

「ゆあ―」

「ボクチャンはにーの命令には背かない。だけど、命令以外になら背く。“聞くな”は、にーがボクチャンに求める命令?」

蓮の瞳が“命令”に不快感を示し、次に見た遊杏の必死さに視線を移す。

「僕の友人が大切なことを隠してたらしいんだ。それも意図的に。それを確かめに大阪に会いに行く」

「まさか…神影(みかげ)さんですか?」

内股ぎみで袖に隠れた両手を顎の前で組むシアンが上目遣いをする。蓮は胸を撫でると、ようやく落ち着いて遊杏を抱っこした。彼女の笑顔が蓮の緊張を解した。

「神影君じゃないよ。素が素直過ぎるから嘘を吐けば、彼を少しでも知る人は誰でも分かるさ」

「そうですよね。神影さんは今じゃ珍しい義理堅くて優しい人ですから」

ほんわかなシアンに言われる科学者の神影は本当にその通りだ。

嘘を知らないわけじゃない。だけど、嘘の吐き方を知りながら実行できない。嘘を吐いても知らんぷりできない。社会に出れば“アホ”でしかない彼は蓮やシアンだけでなく、多くの人が心の隅で憧れる存在だ。

「神影さんは苦労性です。絶対に損しちゃいますよ」

「だから科学者なんだよ。神影君は……崇弥に似すぎだ」

洸祈(こうき)以上にバカかもしれない。

遊杏がぺたりとへばりつき、シアンはカーディガンだけでは寒いだろうと丁度放置されていたコートを蓮の肩に掛けた。

「君はどうする?僕の家は好きにしてくれて構わないけど」

「僕が遊杏ちゃんを見ときましょうか?リュウ君とお散歩したいですし」

「それは助かるよ。遊杏、そういうことだから。気が済んだ?」

「済んでないよ。でも、お友達にきついこと言わなきゃいけなくなるかもしれないにーには迷惑かけたくない。お土産で許すよ」

「ありがとう」

遊杏をおもむろに抱き直して高い高いにしようとしたのか、彼女を持ったまま腕を伸ばしかけて止まった。


「遊杏……重い」

「レディに失礼だよっ!!!!」





彼女の名前は冷たいけど温かく、淡い名前。美しさは何にも比べられず、圧倒的な輝きを持っていた。


(ゆき)


忘れてしまった彼女の名前は雪。



微笑んだ彼女の顔はもう思い出せない。



薄手の長袖に半ズボン姿。

「せっちゃん」

「我は食事中や。蓮も食べんかの?」

雪癒(せつゆ)はいつも通り昼過ぎの落ち着いた店内でたこ焼きを頬張っていた。

「お昼はもう新幹線内で済ませててね」

「なら、水でも飲んで待つんやのぉ」

「そうさせてもらうよ」

ほぼ毎日、この時間に万札1枚持って現れる彼はこの店の常連だ。頼むのはたこ焼きのみ。時折、持ち帰り用を包んでもらうことがある。

「おじちゃん、もう8個や」

「あいよ」

パクパクと止まることなくたこ焼きを口に入る雪癒の目は熱に踊る鰹節だけを見ていた。

「蓮がわざわざ神影やのぉて我のとこに来たんは依頼かキレてるかのどちらかや」

「…………」

「イヤやのぉ。これ食うたら蓮に怒鳴られるんけ?」

「自覚があるの?せっちゃん」

「自覚?蓮はおもろい人間や」

雪癒の喉からクックと笑い声が零れる。嘲笑にも自嘲にも聞こえるそれは蓮の苛立ちを増やしていた。

「面白い?僕が?」

「そうや」

不意に止まる声。

水に口を付けた雪癒の瞳が一斉に蓮を捉えた。


「自覚なんて当たり前や」


「―…っ!!」

「我が自覚なしに喋るか?我は餓鬼やない。見た目はこれでも。自覚があっておじちゃんのたこ焼きを食う。自覚があって神影に家を貸しておる。勿論…―」



自覚があって蓮に嘘を吐く。



ガタンとカウンターテーブルが音を発て、少ない客が肩を怒らせた蓮を睨んだ。

「お客さん、店で騒がれたら困る」

「蓮、出てくか、謝って静かにしぃ」

「だけど…………っ……すみません」

蓮はしょうがなく咳払いをし、水をがぶ飲みして大人しくする。そんな彼の前に、雪癒は手を付けていないたこ焼き1人前を動かした。

「せっちゃん…?」

「蓮は他人の視線の中で食事は取らへん。余所者扱いがイヤだから寝た振り。蓮、我の奢りや。腹が減っては正しい会話ができへんからの」

「せっちゃん…………ごめん」

「蓮自身が堪えられないのは知っておる。だから、蓮に前を向けぇなんて言わん。我のガラじゃないしのぉ。せやけど、我は蓮の髪も目も大好きや。それだけは言いたいんや。見せてくれへんのか?蓮」

「……ははは…………本当にごめん」

深く被っていた帽子を脱いだ彼は小さな雪癒の胸にそっと体を預けていた。




「崇弥が政府からイカれ野郎の依頼を受けたのは君がそう仕向けたから」

「ほぉ?」

司野由宇麻(しのゆうま)を囮にするよう進めたのも君だ」

「…………」

少年は青年に口を閉ざす。

蓮は何も語らない雪癒の肩を掴んで揺らした。

「どうしてそんなことしたの!?せっちゃんはわけが分からないよ!一体誰の為に僕の大切な人を傷つけるの!?」


「蓮の為……や」


驚愕の色に染まる彼は幼子を揺さぶる手を止めた。雪癒は神影が出掛けていて誰もいない自宅のソファーに崩れるように座る。

「僕の……為?」

「蓮はいつも……(せい)、崇弥、あいつ……なんでや…」

「せっちゃんは…―」

「蓮はおかしい。あの男が好きだからって、どうしてあんな最低な男を庇う?」

見かけ通りに体を縮める彼は神影が睡眠に時々使う毛布に潜った。そして、くぐもった高い声音で叫ぶ。

「あの男はヤクやってる奴とおんなじや!蓮がどんなに頼んでも男と寝る。男に切れたみたいに毎週毎週、違う男誘って寝る!蓮は知っておるはずやけぇ!?」

勿論、知っている。

好きと言い合い、それなりの関係の舞子とは滅多に会えないはずなのに、事情の痕が常にどこかにある。まるで薬物中毒者のように男に餓えては男を求めているかのようだ。

そんな世間ではどうしようもない男に、蓮はどうしようもないくらい愛情を抱いている。

「イヤや!あの男はイヤや!表でどんないい顔しようと、裏では感情のない人形みたいやないか!」

「僕は崇弥は誰かを愛したくて、愛されたいだけだと思うんだ…」

「蓮が愛しておる!違うんか!?」

雪癒が用意したコーヒーに映るのは否定できない蓮の顔。それを歪めるように水面が波打つ。

「傷付いてるのは蓮!離れろ、蓮!もう兄弟ごっこは終わったんや……」

「ごっこ……僕と崇弥はごっこ……」

「蓮は縛られておる……。蓮に罪悪感があるなら我が消してやるから。だから、もう関わらん方がいい……―」

「やっぱり、蓮じゃん。って…雪癒?泣いてんの?」

「な、泣いておらん!」

毛布から顔を出した雪癒は濡れた瞳をごしごしと手の甲で脱ぐう。夕食の食材なのか、スーパーの袋を下げた神影は、俯き加減の蓮と図星で逆ギレする雪癒を交互に観察した。

「あー……、鍋食うけど、蓮も食いながら話し合えば?」



「俺は雪癒に一票だ」

「そうやろぉ?あんの餓鬼は大人の世界舐めてるけぇ!」

「そこまでは言わないが、節操のない女はやめろ」

純粋な神影にホモ話はキツいかと、意識の内で“話題の人”の性別を曖昧にしたら、彼は勝手に女だと判断した。

三人で鍋をつつきながら、語るは納得の行かない雪癒が始めた洸祈のことだ。蓮の内心はイライラで一杯だったが、案外家庭的な神影の鍋に心をどうにか落ち着かせようとしていた。

「節操のない…って、僕は……」

「蓮には反論できん。それが答えじゃのうのか?」

「…………」

「蓮は一度も寝てないんやろ?せやのに、他の男と寝る出来損ないを守るん?」

「やめとけって、蓮」

真っ赤な頬の神影は酔っていた。素面は蓮と雪癒。

蓮がコトリとグラスを置き、終わりに差し掛かった鍋を見詰めて、拳を炬燵の中に隠した。

「守ったら…いけないの?」

すがるような声が絞り出される。

神影が皿のような目を蓮に向けた。

「守れるほど、お前は強いのかよ」

「神影君……」

「蓮が今こうして必死なのをそいつは知ってんのか?お前は好きだ好きだと言いながら泣くの堪えてる。疑ってんだろ?お前は弱い。そいつを信じられないお前は弱いし、この先も守れない」

「厭だ…僕は確かに答えられない。君達に僕がどんなに愛してるって言ったって…君達の言う正論には敵わない。……だけど、守れなくても泣かせたくないヒトがいる。ただそれだけなんだ」

震えが止まらなくなっていたのは蓮だった。これも酔いか何か分からずにグラスの表面に浮かぶ水滴に指先を滑らす。

「二人は僕が一番苦しかった時を知らない。死にたかったよ。毎日毎日、死にたかった。それしか考えられなかった。クスリ飲まされて嫌なこと強要されてごらん。ううん、あの時は強要じゃなくて僕からしたんだ。醒めたら考えるよ。苦しくない死に方。先ずは手っ取り早く眠って死のうかなって、睡眠薬を手に沢山乗せてみる。クスリ思い出して洗面器に流したよ。次は一酸化炭素中毒。気付くと体が動かない。凄く気持ち良かったよ。楽に死ねるって」

『蓮っ!!』

君は誰だっけ?そもそも何が何だっけ?何したいの?

………結局、何だっけ?

『蓮っ、蓮っ!!!!』

そうだった、僕は死ぬんだった。

あ、ここにいたら君まで……―

『吸う…なっ!はな…れろ…!』

『えっ?…………っ!?何これぇ……矢駄!蓮っ!!!!!!』

「こんなこと言うのも何だけど、綺麗だった」

爆風が全ての窓ガラスを割り、パラパラと降り注ぐそれはまるで蝶々のようで、彼がその幼い背中で全部受け止めた。

「あの子は綺麗だ。あの子の心は綺麗だ。あの子は…あの子は…あの子は…………―」

蓮がカーペットに落ちる前に神影の腕に収まった。

「科学者の基地で呑気に鍋食うとか、警戒心無さすぎ。にしても、また薬か」

「しゃあないやろ。諦めの悪い餓鬼なんやから」

「明日は『頭痛い』の連呼だ。俺が頭痛い」

「頭痛いのは我や。蓮の中であの男はホントに美化されておる」

「え?は?あの…男?」

「崇弥洸祈。政府の犬。化け物や」

「崇弥って一抹(いちまつ)?」

「一抹とは古いのぉ。神影の科学者脳が、“崇弥”と聞いて崇弥の科学者を示すとは。そうそういないぞ?そんな変人」

「悪かったな!崇弥一抹は俺のヒューマンバイブルの一人だ!」

「笑える笑えるのぉ。崇弥は武術者一家や。そんな現代のヤクザに蓮が引っ掛かってるわけやな」

「だけど雪癒、お前は結局、司野由宇麻のことには答えてない。その崇弥洸祈が気に食わないのは分かったが、関係ない司野由宇麻を危険に晒した。何故だ?」

「いいやろう?我の好き嫌いや」

「好き嫌い…か。そんなちんけなもので命を測るのかよ。…………雪癒、俺はお前の主張に全面的に賛成ってわけじゃない。ただ、今の蓮は興奮しているから眠らせただけだ」

蓮を抱っこした神影はいつもの白衣を揺らして彼を自分の部屋へと運ぼうとする。雪癒は隠すつもりもなく握り締めた拳を炬燵テーブルにドスンと落とした。




神影は一瞬、雪癒を振り返り、踵を返した。



「雪癒は誰も信用しないな」

「ヒトが信用に値しない振る舞いしかできないからや」

「そんなんじゃ、お前は何も見えてないのと同じだ。信用に値しない?そんなの戯れ言だ。俺も蓮もひとくくりのヒトとしてしか見てないなら、お前は他人に関わる資格はない。その最低な行為、早くやめろよ」

「っ!!!!」


雪癒が羞恥に赤く染まった。


「煩い!それ以上我を少しでも侮辱してみろ、お前をまた孤児に戻すからな!」

「いいよ。雪癒が望むなら。何だってするから。雪癒との約束だしな」


雪とした最後の約束だ。


蓮の目尻から溢れる涙を拭った神影は彼を見下ろす。




「お前達を泣かすのは誰なんだろうな」


神影の一言がその日の全ての会話を終了させた。

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