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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
短編4
127/400

千里(せんり)は豚肉のミンチを真剣に見詰める(あおい)に隠れてカートにリスト外のものを入れようとした。


「それ、千里の給料から値引きだから」

背後も見ずに相変わらず肉の値段と量を見比べる葵は言う。

「いいじゃんか!食べたい!」

「餓鬼んちょ」

「むぅ~っ」

ムスッと頬を膨らませた千里は胸にチョコ味のコーンフレークの箱を抱えていた。

「返してこい」

「ヤダぁっ!」

「返してこい」

「ヤダ!ヤダっ!」

はぁ…。

葵は溜め息を吐き、しかし、葵は折れたと思った千里を放置したままトレーを一つ掴んで買い物カゴに入れる。そして、千里を無視して店内を進む。千里は慌てて追い掛けると、不機嫌そうな葵を窺うように見上げた。

「怒った?」

「………………」

口を堅く閉じる葵は魚介類エリアで足を止める。そして、アサリの安売りに手を伸ばした。

「あお…い……」

視線を泳がせた千里は再度葵にアプローチし、反応がない彼からしょぼくれた顔で離れる。パタパタと靴を鳴らし、やがて、駆け足でフレーク売り場へ向かった。

「あお……怒った…」

何度もこのフレーズを呟き、売り場に返すと、葵のもとへ帰りかけて……やめた。

葵はきっと怒った。

葵が好きだから、そんな葵の傍ははっきり言って苦痛だ。

千里はキョロキョロと周囲を見回すと、何となく、出入口近くのベンチへ歩く。

「あお……僕が…嫌いになった…………」



葵はカゴのビニール内のアサリを見詰めていた。

「あいつ…遅いな」

千里は諦めたらしく、多分品物を元の場所に返しに行った。しかし、あれからそれなりの時間が経つのに帰ってこない。迷子にならないように同じ場所で待っているというのに。

何かあったり…しないか。大方、雑誌コーナー辺りで立ち読みだろう。

「………………」

葵は琉雨(るう)から頼まれた食材リストをくしゃりと握った。

「そんなに食べたいならあっさり引き下がるなよ…」

あれは呆れながらも千里の要求を受け入れたつもりだったのに。

葵はお菓子コーナーへとカートを引き返した。




「あおが迎えに来てくれない……」

千里は首に巻いたマフラーに口を隠す。

今日のマフラーは葵が丁寧に巻いてくれたから温かい。葵は買い物に出掛けようとしたところにコートを引っ掛けた千里にマフラーを巻いてくれた。互いにほぼ同じ身長で、背中を曲げた千里に背伸びをして、「一緒に行きたいなら待ってるからもっと着込め」とぶつぶつ文句を言いながら巻いてくれた。

スーパーまでの道中、葵の名前を沢山呼んで、一回だけキスをして、隠れて手を握った。

「あお……」

こんな小さなことがチクリと胸に痛い。

大切で大好きな勉強好きの葵。三人の中で一番冷静で大人。洸祈(こうき)が唯一、その指示を聞く人。葵は正しい見本。だけど、本当は不器用で、隠すように沢山の知識を持っている。好きとか嫌いとか、いつだって言葉には真剣。

葵、好きだよ。

葵、大好きだよ。

「あお…あお……葵…」

葵、怒った?

葵、僕のこと嫌いになった?

葵、好き。大好き。


葵………好きだよ。


「千里、鼻水でマフラーが汚れる」


「……………」

―…………ぐずっ。

千里は俯いたまま葵の腕に掴まった。葵は何も言わずにスーパーの出口へと歩く。



帰り道、二つのビニール袋の一つを持った千里は点字ブロックの上を歩く。スニーカーを擦らせながら、片手をぶらぶらと揺らしながら。

二人はただ進む。

「アサリの味噌汁、楽しみだな」

住宅街に入ったところで、ふと、葵が話し掛けた。

「……………うん」

千里は白い息を吐くと、こくりと頷く。

「千里」

「………………うん?」

「手、寒くないのか?」

通った鼻筋の彼が翡翠の大きな瞳を微かに見開いた。そして、葵を振り向きかけて直ぐに顔を逸らす。その頬はほんのり色付いていた。

「……………あおは?」

「かじかんでる」

指先の赤い手のひら。

「葵」

「?」

「僕の手、空いてるよ」

すっと突き出された手。葵のカサつく骨張った手とは違う潤ったすべすべの皮膚。千里は美少年であり美人。顔だけではなく、造りから特別。

祖父が外人で、その血を継いだ千里の母親の櫻千鶴(さくらちづる)。旧姓、狩野(かりの)千鶴。その彼女の容姿を写したような彼が櫻千里。

千里は父親似の性格で一途。優柔不断な面もあるが、大事なことははっきりと言う。

葵は千里のそんなところが好きだ。

行動に考えが付いているのか疑う時もあるが、他人のことは鋭いくらいよく見ている。

とても優しい子。

優しくて俺の大好きな子。

千里、好きだ。


お前が好きだ。


「じゃあ、借りる」

葵は千里の冷えきった手をそっと包み込んだ。





「あ………」

千里はその手にキャラクターの描かれた箱を掴んだ。これは、千里が食べたいとねだったチョコ味のコーンフレーク。それが買い物袋の中から出てきた。

「あお、これ…」

千里が冷蔵庫内を整頓する葵の背中に声を掛けると、品物が手渡されないので、葵が振り返る。

「それ?俺が食べたいから俺のお金で買った。千里も食べるか?」

「あ…だって…これは……葵…」

「ほら、他の全部片付けてからだ。荷物持ってくれたお礼なんだから、最後までやったら食べていい」

葵が買ってくれた。

千里の為に。

「あおのぶきっちょ」

囁き声は愛しい人へのまだまだ足りない愛の言葉を呑み込んだ彼から溢れる。

「ん?何か言った?」

「ううん」

「そこの牛乳貸して」

葵の手。

大きくって、温かくって、僕を放さないでいてくれる。意地悪で我が儘で自分勝手などうしようもない僕を放してはくれない。

どうやったら僕はあおにお返しができるんだろう。

あお、あお、葵、好き。どうしようもないくらい葵が好き。

だから僕は…―

「はい」

牛乳のパックを乗せると、「ありがとう」と感謝してくれる。

「ありがとう…葵」

「?さっきから、やっぱり何か言ってないか?」

「ううん。ねぇ、もう買ったものないよ。これ、食べようよ」

「手を洗って、うがいしてからな」

葵は巻かれたままの千里のマフラーを外して食事テーブル用の椅子に引っ掛けた。そして、コートも脱がせようとして、千里がぎくしゃくと葵の手を握って阻止した。

「千里?」

「僕が脱がせる!」

「………………いや、いい。千里の“脱がせる”は怪しい」

そのまま千里から退く葵。千里はぷくりと膨れっ面をすると、にやりと笑って葵を近くのソファーに押し倒した。

「ちょっ!?」

「さっきの発言ってどういう意味ー?」

「は!?…んぅっ!!!!」

千里に遊ばせる隙を与えてしまった葵は彼に舌で口内を探られて息が漏れる。千里は唇を離すと、浅い呼吸になって揺れる首筋に前歯を触れさせた。

「っ!?せんっ!」

目を強く閉じて肩を震わす葵。腕が持ち上がり、千里の背中へ。重みを持つそれは顔を離した千里の体を葵に密着させた。

「あお、コートだけだよ。僕が脱がせるのは」

「なら…首は…駄目だ」

「だって、葵が感謝のキスで興奮するから」

もぞもぞと体勢を少しだけ動かせば、葵が千里を抱き締める力を強めて動きを封じる。

「やめなきゃ…おやつ…煎餅にする」

「やめたら、あおはどうするの?」

真っ赤に上気した葵の顔。必死に理性を保とうとしていた。

「俺は…トイレだ」

「いいよ、我慢しないで。僕が導いてあげる」

葵の温もり。

葵の匂い。

千里は葵の壁を崩すように、受け入れる素振りを見せた彼の股に膝を落とした。

「っ…あ…」

「葵、好き」

「せんっ…り」

「葵、葵、大好き」

「う…ん」

「葵…………もう限界…可愛いよ、あお…―」



「はい、ストップ」


丸められたスポーツ雑誌が葵のズボンに手を忍ばせ途中の千里の頭頂を強打した。千里が葵の肩口に突っ伏す。

「おやつ代わりみたいに葵に盛るな。それも真っ昼間のリビングで」

「あ…洸祈…」

とろんとした表情を引き締めきれない葵は千里の下で動けないでいた。

「よくもまあ、寝てる俺の横でできるな」

「ごめん」

「僕は謝んないもん!」

ここで主に反論するのは千里。葵のズボンに片手を突っ込んだまま顔を上げる。

「ほお、ちぃは謝んないのか」

「いいじゃんか!僕はあおが好き!洸の前で見せびらかしたいぐらい好きなんだよ!」

「見せびらかすな!」

「見せびらかされてたまるか!」

前者、洸祈。後者、葵。

そして、千里の手を引き抜いた葵は乱暴に自らのコートを脱ぎ、千里のコートも奪ってソファーに捨てる。千里が気に入って買ったクロスのブレスレット付きの棒みたいな腕を取り、扉へ。

「あ、あお!?」

「洸祈、ちょっと説教しに千里の部屋使うから。邪魔しないで」

「え!?お説教?」

葵があげた紺に朱の刺繍入りのリボンがひらひらと千里の首根で舞い、葵の後を追った。洸祈は寝惚けなまこでそんな凸凹な少年達を見送る。

「怒鳴って煩くするなよ」

「善処する」

パタン…―

完全に閉まるのも見ずに店主は再びクッションを抱えてソファーに寝転がった。

「ああ…眠い…」

そして、未だに初々しく、お熱い二人に感化されて今頃愛媛の某有名温泉旅館で舞う彼の名前を呼んだ。




「あお…お説教?」

灰色のカーペットに靴下を脱ぎ捨てた千里はベッドに腰掛ける。葵は全てのブラインドを閉めると、問答無用でぽけっとする彼を文字通り、襲った。

足を引っ掛けて倒し、投げ出された両手をベッドに縫い付ける。

「へ?」

「キス、下手くそだ」

触れる唇と唇。火照った体で懸命に舌先を使おうとする葵。千里も舌を絡めて弄ぶと、緩んだ葵の手を外して場所を替えるよう促した。

「今は触りっこだけね」

「……ああ」




葵、好き。

千里、好き。


葵、大好きだよ。誰よりも、何よりも。

千里、好きだ。ずっと前から、この先の未来いつまでも。


だから僕は、葵から「ありがとう」を沢山もらえるようになる。

だから俺は、千里を泣かす全てから千里を守る。



もう離れることがないように。



二人の手が握り合った。

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