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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
記憶追悼―清―
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氷の籠(2)

生気を死神に取られ、ただただ動く人形のようだった。




(せい)っ!!!!!!」

俺は後先考えずに襖を開けて部屋に飛び込んでいた。


と、一瞬の躊躇の間にオカマさんの膝に乗っかって抱っこされている清がいた。赤みを帯びた髪がオカマさんの肩越しに揺れる。

「あら、入ってきちゃったの?」

清を抱っこしながら俺に背を向けていたオカマさんが振り返り、俺は自分の両手で自分の視界を塞いだ。

なんか、反射的に。

「?坊やにこれは刺激的過ぎたかしら?」

「俺…外で待ってます」

俺には確かに刺激的過ぎた。

清の裸体は……言いたくないが、興奮した。

欲に負けずに離れようとしたが、ふと、清の悩ましい声が止まった。

やっぱり留まる。

「うぅ………ヤマザキさん……ありがと…ございます」

清が喉を鳴らしてオカマさんに謝って丸くなる。備え付けのティッシュケースをがさごそと探ったオカマさんは手際よく清の頬と口をティッシュで拭き、他の部分も拭くと新しい着物を何処からか取り出して清に着せた。

「シマザキよ。それよりも、オネエサンでしょ?」

「今日、奮発してくれたから……」

そう言って、脱ぎ捨てられた着物から札を数枚取り出してオカマさんに渡す。あの柄は多分、万札だ。

それにしても、オカマさんの話は無視か?

「これで何を買ってこればいいの?」

「ケーキ」

「ケーキ?……何ケーキかしら?」

「何でもいい。沢山…買えるだけ買ってきて。だけど、(ろう)のはアップルパイ。皆の分買って」

「清は何にする?」

「俺は要らない。足りなかったら俺のお給料から差し引いてくれればいいから。だから、ご飯代も減らして」

俺はそれが清らしい(・・・・)と思った。

俺の妄想の中で清は何度考えても誰かの為に自らの何でもを犠牲にする人だった。本物は妄想となんら変わらなかった。

そんな彼に俺はもう一度会いたかった。

だけど、

「お前の体に悪いだろ。絶食なんてガリガリがやるものじゃない」

自己犠牲は美しくて醜い偽善だ。

「だ…れ?」

夕霧(ゆうぎり)様、清に迷子を助けてもらったらしいのよ?」

「ゆうぎり?迷子?」

まぁ、忘れられてるとは思ってた。だが、そんなことは後でいい。

「お前は体売ってる大人。だけど、小さいし、細っこい餓鬼だ」

オカマさんがクスリと笑った。それにしても、がたいがいいのに流れるような動きだ。

「それじゃあ、ごゆっくり」

そして、俺の言葉に唖然となる清を置いて出ていった。

小さく「大丈夫、ご飯はあるわ」と俺に囁くのを忘れずに…。




俺は無表情で布団に寝転ぶ清を横目に障子を全開にした。

「うぅっ…ぅ」

清が雪で薄暗いというのに、それでも窓から入ってきた光に踞る。しかし、それだけ。所在がない俺は彼にとっては空気のようだった。

「俺、お客様なんだけど…」

「だったら命令してよ」

冷たく重たい雰囲気。いや、彼の目は虚無しか映していなかった。

「俺は基本的に受けだから。違うならヤマザキさんに言って変えてもらって」

「う…うけ?」

基本的に“うけ”ってどういう意味だ。基本的に“稀有”の言い間違いなのか?

「あーうん、お前は珍しい。うん。そうだな」

「は?」

「だから何なんだ?」

稀有だから丁寧に扱え?

扱えないならオカマさんに変えてもらえ?

うーん。何か、清のイメージと違う。

俺は体を起こして困惑する清の前に腰を下ろした。彼の布団からはみ出た紺の着物が畳を擦る。

「何って…話通じてない?」

「清は特別なのか?」

「え?な…何言いたいんだよ」

こうして近付いて分かった。清は周りに甘えてる。

「清は普通だよ」

「俺は…っ」

「清は人に自分を犠牲に何かを与えることが好き。違う?」

「…………」

清が白い生足を振り袖に隠す。

「そして、誰かに撫でられるのが好き」

「………………俺は…」

清の周囲は身売り関係の人間ばかり。俺と違って庶民はいない。その庶民から清達はどう思われているか、清は知らない。大人のオカマさんは庶民は庶民と関係を断ち切っている。

「清、俺は今、お前を貶してるんだ!」

清は気付かなきゃいけない。

「お前は知らなきゃいけないんだ。お前は特別じゃない。お前は玩具でしかないんだ!」

清は死んでいる。心が冷えきっている。

だから、温めるには…生きる為にはお前はお前自身を知らなきゃいけない。

清の肩を掴んで押し倒すと、緋の瞳が揺れた。

そして、涙が溢れる。

俺は清を泣かしたようだった。

しかし、清は必死に唇を噛んで獣のように唸り声を出す。

「ううぅう、うぅっ」

「言いたいことがあるなら言いなよ。俺は清の“皆”ほど優しくない」

食い付いてこい、清。

餓鬼んちょの俺が餓鬼の清に会いにこの館に来る理由がただ清を買うだけだと?


違うだろ。


人を買うとか、セックスとか、言葉と漠然としたなにかだとしか分からない。だけど、軽く言っちゃったらもの凄く恥ずかしいことだってことは分かる。

「自分は稀有なんて軽く言っちゃいけない。人間は言葉でしか、結局は伝えられない。その言葉を軽く選ぶな!清、生きてるなら選んで言ってみろ!」


「稀有なんて言ってない!バカ!」


稀有じゃない?“うけ”であたってた?てか、バカは憎たらしい双灯(そうひ)を思い出した。

「バカは選ぶなバカ!」

「俺はバカじゃない!バカにバカって選んだだけだよ!」

「バカって言えるだけ天才なのかよ!」

「普通だよ!でも、普通でもバカって言える…―」

あ、言った。

清が“普通”って言った。

清は俺の体の下で通常みたいな無表情だが、ふいとそっぽを向く。

「俺は…そうだよ。玩具だ。……でも、俺は生きる為に玩具になったんだ」

生きる為に玩具?

「俺には死んでいるように見える」

玩具が生きる為?

思えば、いつの間にか消えていた涙が再来していた。すると、両腕の拘束を嫌がったので、俺は手を放した。清は自由な両手で雫を拭う。

「煩い…。俺は契約したんだ。俺に自由はないんだ。体を売って金儲けしろと言われたから売って金儲けしなきゃいけないんだ」

一番端の一番奥の出入口に最も遠い籠の中。

「俺は普通だよ…。だから、特別な振りして“皆”に甘やかされたい。自由がある“皆”にずっと傍にいてもらいたい」

特別も普通も現実ではその意味は変わらない。

「誰かを傷付けたくない。だから、その為なら自分を傷付けられる。でも、それは独りは嫌だから…。俺は“皆”を支配したい。支配される俺にも支配する快楽が欲しい」

特別は普通から生まれたもの。何らかの欲を満たすために特別が生まれただけ。そして、その欲はごくごく普通なもの。

清の『孤独感』への恐怖が生み出した“特別”らしきもの。『充実感』への欲が生み出した偽物の“特別”。

「だったら俺がお前を自由にしてやる」

その為に来たんだ。

「俺を…自由…に?」

「ああ、外に出よう。俺と一緒に。自由になれば清は特別な振りなんてしなくていい」

「だけど…契約が…」

「契約なんて所詮紙切れだよ。大丈夫、暫く隠れていたら諦める」

清だって分かっているはずだ。契約はただの紙にすぎない。ここの人間が大人なら逃げた売り子を金を払ってまで探し出すようなことはしない。精々、近所への聞き込み調査ぐらいだ。そんな弱い情報じゃ、俺達が清を匿っているとはバレない。やがて諦める。

「狼は……」

「俺がお前を自由にするんだ。そいつは関係ないから大丈夫だ」

「狼……お兄ちゃんだよ…」

「お兄ちゃん?……じゃあ、狼も連れてく?」

ちょっと面倒だけど、それで清が自由に向かって踏み出すなら。

「…………ううん。狼がまた痛い思いしちゃう」

それは俺が失敗するかもと…。まぁ、隠密は一人多いだけで失敗の確率が上がる。

「だけど…」

また『だけど』だ。

何が不満なんだろう。

「清、何が足りない?お前は何が望みなんだ?」

「俺の…望み?」

「お前がここに留まろうとする理由!お前は自由になりたいと言った!俺はお前を自由にできる!何が足りないんだ!」

「………………」

清は無言。俺の下から這い出ると窓の外を舞う粉雪を見る。体は正面を、顔は真横を向く様はとても整っていた。直角に、かつ、美しい曲線を描く。白く透き通る肌。


嗚呼、こいつは確かに姿は清かった。


「清」

俺は清を呼んだ。

清かった彼を呼んだ。

「やっぱり、俺は外に出ても変わらない気がする。だって、自由を知らないから。自由って言葉は知ってるけど」

ぼやく清。

膝を曲げて体育座りをし、そこに頭を乗せる。開いた唇から漏れる吐息。

「本当は疲れちゃった。ここはここで保障されてるし。セックスも慣れた。客が俺を求めるのも悪くない。だけど、夕霧の自由って?夕霧を疑いたくないけど、俺達、今さっき会ったばっかし。どうして俺なの?ここにくる人は皆俺と寝たがるのに」

「去年、道を教えてくれた」

「そんなの普通だよ。俺があの時、窓の外を見なければそもそも、出会わなかった」

「清は嫌か?俺と外に出るの」

清は館を根本から憎んでいるわけじゃない。“皆”や“客”が求めてくれるシステムに喜びを感じている。今は俺の方が怪しい存在だ。第一、こっちの一方的な片想いで清を誘拐しようと考えた俺は自身からしても変人の域を越えた変質者だ。

「嫌だよ。だって、夕霧のこと全然知らない。ヤマザキさんの方がそれなりに信頼できるよ」

シマザキさんなんだけどな…。


畜生っ。



「やっ!!?」

俺は清の腕を掴んで無理矢理立たせる。彼のよろけた体が突っ張る。

「誘拐だ!!」

何が一緒にだ。かっこよく言い換えただけで“誘拐”の一文字に尽きるのだ。

「へ?やぁっ!!放せよ!」

こんなみみっこい体ぐらい抱っこできるさ!

俺は清を抱き抱えた。

「ちょっ!放せ!誰か!狼!!狼っ!!!!」

片手で清の尻を支え、残る片手で清の顔を俺の肩に押し付けて黙らせる。そして、お望み通りに自己紹介することにした。

「俺は色んなとこで舞を披露する団体の一芸者だ。菊さんは俺に名前をくれた。蘭さんが年長で大人。双灯(そうひ)は蘭さんの弟で子供。やよさんは美人。ことさんはもの静か。俺のことは…これから知れ!」

「うう!?」

清の太陽の匂い。


お前の拒絶を溶かして、お前の心も温かい太陽みたいにしてやるから。


俺は爪先で襖を開ける。そして、真っ直ぐ前へ全力疾走。

「俺はお前に幸せ与えてやる!だから、生温いここから進め!」

こっちへこい、清。



「え?坊やっ!!?それ!!」

幾人かの清の同僚の横を抜き、番台まで来た。オカマさんは動かなくなった清の頭を掴んでいた手を放してポケットを探る俺に驚く。

「清よね!?一体…―」

オカマさんの指は脇の受話器へ。

「シマザキさん、買います」

「買う?」

止まるオカマさんの指。その前に全財産をばら撒く。

「清を買います。ここが清を縛るもの全部買います」

オカマさんの目は澄んでいる。ここで生きるヒトの目。

だけど、清にはそんな目は無理だよ。この先何十年ここにいようと、澄むことはない。断言できる。

だから…―

「清」

オカマさんは清を呼ぶ。すると、清が顔をゆっくりと上げた。丁度、その表情は俺に見えず、首を回した清をオカマさんは確かめた。

俺と清が合うか。俺の主張は清が認めているか。

「私はあなたが好きよ?行くなら、私はもうあなたにここへの入り口を開けることはないわ」

「――」

俺に抱っこされたままの清がオカマさんに上体を傾けて、その耳に何かを囁いた。俺には聞こえなかった。早く出ないとマズイと焦っていたが、二人の体が離れた。

「夕霧様、清を期限なしで買うのね?」

突然、そう返された。これには理解にかなりの時間を要した。

つまり、オカマさんに公認された?

「買わないの?」

清が俺から下り、俺を見下ろしてきた。まさかのまさかで、俺は清より背が低いらしい。

彼は生意気に俺に言う。

買わないのか?と…―

なら、俺だって生意気にかっこつけみたいな台詞吐いてやる。


「買ってほしいなら、自由になりたいなら、俺の手を取れ」


取れよ、清。




清の冷えた手を強く握った。絶対に放さないために……―。








これは、俺の『初恋』への欲が生み出した偽物の“特別”。


だけど、俺はお前を幸せにする。

お前を自由へ連れ出す約束は本物だよ。




  ―………洸祈(こうき)、お前を愛してる。

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