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心の壁(2)

初めて顔を合わせた時、あの子からは生きる意志が感じられなかった。


逃げても簡単に捕まえられるように、重石の付いた足枷、手枷を填められ、ただ歩くだけでも辛そうにしていた。

ガシャン。ガシャン。

1歩進む度にそれが鳴り、きっと、逃げないようにするのは枷じゃなくてよかった。

僕と同じように、首輪だけでよかったと思うんだ。

敷地を出れば、死なない程度の電流が全身に流れる。

一度、僕は訊いてみた。

「どうして、あんなに痛そうなの付けているの?僕と同じように首輪だけでいいんじゃないの?」

そしたら、教えてくれた。

「お前よりデキのイイコなんだよ」

「出来のいい子?」

「お前よりとても強い。だから、首輪なんて玩具みたいに扱うのさ」


…―デキのワルイコと違ってね―…


出来の悪い子…なんだね、僕は。


出来のいいあの子は、可愛がられ、辛い実験に使われた。

出来の悪い僕は、失敗する度に殴られ、地下に捨てられた。

地下から痛い体を引き摺って地上へと出れば、僕は少ない食事にありつける。それが出来なかった僕以外のもっと出来の悪い子は、永遠に地下の中。落とされる度に僕はその死体の山を見、腐り行く体と臭いに再会する。僕はあれの一部となることが嫌で、何度も這い上がった。


その日は落ち方を間違え、右足の骨を折り、左足首を捻挫した。

もう無理だと思った。

だけど…

骨と肉と血と臭いにはなりたくないと思った。

誰のだか分からない汚れた骨。

黒ずんだ腐りかけの肉。

床に流れて乾いた血。

死の臭い。


僕は叫んでた。

死にたくないと…

嫌だと…

助けてと…


ドサッ。


「!!?」

何かが落ちてきた。

「ど…して?」


「助けてって…言ったから」


出来のいいあの子が…

緋色の瞳のあの子が…


「……洸祈(こうき)…?」


「うん」


洸祈が落ちてきた。



「これで先ずは…」

洸祈は初めて来たはずの地下を見渡し、死体を無表情で見下ろすと、丁度の大きさの骨を僕の折れた足にあてがった。そして、自らの衣服を割いて、それで僕の足と骨を一緒に縛る。

「怖くないの?」

僕が初めてここにきたときは怖くて、気持ち悪くて吐いた。泣いて泣いて、地上を目指した。

僕が訊くと、洸祈は小さな声で答えた。

「俺は、この人達をこんな風にした人達の方が怖いよ」

言われた瞬間、僕の中の恐怖が消えた。

本当に怖いのは“死んだ人間”じゃなくて、ここまで彼らを追い詰めた“生きた人間”だ。

「俺の肩、捕まって」

その細い腕で洸祈は、僕を立たせた。

「うっ…」

しかし、左足の捻挫のせいで、僕は床に座り込む。

「そっちも?」

「うん…ごめん…」

「ううん。俺の方がごめん。痛かったでしょ?」

浮かんでいたらしい目尻の涙を、洸祈は拭ってくれた。

「おんぶするよ」

背中を向けてしゃがむ彼。

「いや…僕…重いし…それに」

「それに?」

「僕をおぶってたら、登れないよ」

言って気付いたことがある。

両足の使えない人間と足枷に手枷の人間が一緒にいても意味のない気がする。

「多分きっと、俺、頭いいから大丈夫」

それは、多分きっと、凄く頼りない発言だ。

「ほら、来て」

僕はどうしようもなくて、彼の華奢な肩に腕をかけた。

「前は見ない方がいいよ。目を殺られるかもしれない」

「目を?」

「行くよ」

「行くって…―」

僕は思わず目を閉じていた。それほどまでに強い閃光が視界を埋め尽くしたからだ。

そして、再び目を開けた時には…

「嘘…」

コンクリートの壁に大きな穴が開いていた。

頭が良いと言うより、力任せだ。

「行こう」

「これ…洸祈が?」

「この子が」

ボウッと現れたのは、深紅の炎を纏う虎。

虎はその巨体を洸祈の腹に擦り付けた。

「ありがとう」

ぐるる…

「それは?」

「ものじゃない。この子は俺の友であり、俺の一部だ」

虎が僕を威嚇するように低く唸って牙を見せた。

「分かったから…怖い」

「それは…俺が怖いの?」

言わなかったけど、僕はその時、初めて会った時と同じ恐怖を感じた。

冷たくて、鋭い。

だけど…

寂しそう。

「違うよ!…その…僕は…虎は苦手なんだ…」

嘘を吐いた。

本当であって本当でない嘘を吐いた。

「そう。バイバイ」

洸祈がそう言うと、虎は瞬時に姿を消す。

「あれ…あの子は洸祈の魔法?」

「違うよ。あの子の魔法」

「え?あの虎の?でも…洸祈の一部って…」

洸祈は僕を背負い、枷を鳴らしながら穴を進んで行く。

「あの子は俺の一部で、俺の一部が俺の願いで魔法を使ってくれる。あの子は俺の願いを聞いて、魔法を使ってくれる」

「そう…なの?」

僕の魔法は本物じゃないから分からない。

きっと、魔法を使う人にしか分からないことなんだ。だから、あの人のくれた知識にはないんだ。

これがデキのイイコと僕の差。


(れん)…だっけ?」

ふと、彼は僕に訊く。

「知ってたんだ」

「うん。ずっと、見てた」

「どうして?」

僕はその時、ある淡い期待をした。しかし、それは違かった。


「…監視」


「かん…し…?」

「あの…本気で謝らせて」

「うん?」

僕がよく理解できないうちに、洸祈は喋る。

「蓮を監視する。それが、実験中と睡眠時間以外は俺がすること。俺は蓮が落ちてもただ見てたんだ」

微かに肩が震えた気がした。

「ごめんなさい。ごめんなさい、蓮。ごめんなさい」

デキのイイコが泣いていた。

「そんな…いいよ。洸祈が見張らずとも、僕には自由がないからね」

デキのワルイコの僕には、首輪を玩具のように扱うことなんてできない。だから、洸祈と違って、喩え本気を出しても逃げられはしない。コンクリートの壁の前で、助けを乞うことしか出来ないのだから。

「それに…洸祈はこうして僕を助けに来てくれた」

「ありがとう」

ありがとうは僕の台詞なのに、洸祈に取られてしまった。

僕は、うん。と頷いて彼の肩に額を乗せた。




「―ったく。僕の地下にこんなもの作って」

穴の進む先。

光の落ちるその上に彼はいた。僕らは眩しさに目を細めて見下ろす僕らの主人を見上げる。

紫水(しすい)…様」

僕は洸祈の明らかな震えを感じた。きっと、怖いんだ。

「ほら、上がって来なさい、洸祈」

おぶられる僕を無視して、紫水は洸祈に言った。

紫水の言葉は絶対。

だから…

「紫水様…その…蓮を…先に」

洸祈は言った。

正直、置いていかれると思った。こんなに怖がる洸祈が紫水の命令に背くとは思わなかったから。

僕は嬉しかった。

きっと、初めての友達になれたのかもしれないと思ったから。

「洸祈、来るんだ」

洸祈の腕が掴まれ、洸祈は紫水に引き摺り上げられた。当然、僕は地に落ちた。

「蓮!」

痛くて痛くて、痛いのか分からなくなる。ただ、僕を見下ろす紫水の機嫌が悪いことだけは分かった。

「紫水様!蓮、怪我して!」

「洸祈。今、僕は酷く機嫌が悪い」

きっと、僕のせいだ。

「紫水…やめて…っ!罰なら僕が受けるから!」

「じゃあ、地下で死ぬんだ。使えない出来の悪い蓮」

「っ…」

そう。

僕は使い捨てだよ。

あなたに使われ、捨てられる。それが僕。

「やだ!蓮を殺さないで!」

洸祈の悲鳴に近い叫び声。ぎしりとスプリング鳴った。ベッドに投げられたのか…。

「なら、実験2のFでもするかい?」

びりっと衣服の裂ける音がした。

「や…やだ…」

「じゃあ、穴を塞ごう。目障りだ」

「やめて!蓮が!」

「洸祈、目を瞑って。怖い時に君がすべきことは?」

開始の儀式が始まった。

僕にはどうしようもできない。

「紫水様の…命令…は…絶対です」

「気持ちい時は?」

「紫水様の…命令は…絶対です」

衣擦れの音。

僕は聞きたくない。

「痛い時は?」

『紫水様の命令は絶対です』

洸祈と僕の声が重なった。

「イイコだね。洸祈、お前はデキのイイコだ」



洸祈が悲鳴をあげた。




「蓮、おいで」

隅で震えていた僕を、紫水は優しく抱き上げた。

「足なんか折って」

布をほどき、骨を地面に投げ捨てると、持ってきていたらしい器具を僕の折れた足に取り付け、固定する。

「痛かったろう」

汗に濡れた額をそっとかきあげ、紫水は僕の額にキスをした。

「えーっと…蓮はココアが好きなんだよね?」

「うん」

「じゃあ、ココア飲みながら、捻挫した方に湿布貼ろっか」

「いいの?」

「好きなものなんだから、遠慮しちゃいけないよ」

ぎゅっと、僕は紫水に抱き締められる。

「あれ?どうしたの?」

「?」

「泣いてる」

言われて気付いた。

今、僕は泣いてる。

「そんなに、ココアが嬉しかったのかい?」

違うよ。

「ううん…紫水、好き」

「僕も蓮が好きだよ」


僕は紫水と熱い口付けを交わした。





上がった来客用の個室は乱れていて、羽毛布団の羽根が宙に舞い上がっていた。

そして、一枚の羽根が少年の赤い痕の付く体を滑った。

「ねぇ…治そうよ」

僕は、洸祈の体に濡れた布をあてた。

「あれかい?」

「洸祈」

“あれ”と、もの扱いは許せなくて僕は言う。

「あれはあのままほっとけばいいよ。一応、時間を測ってるし」

腕に太い針が刺さっていた。その先の機械のモニターは、上下にカッカと忙しなく動く黒の線が映っていた。

「蓮、今日は僕のお部屋でお休み」

「紫水の?」

「少ししたら、僕も行くから」

紫水の指先が僕の頬を滑り、胸元で止まった。

「紫水?」

「蓮…お前は…」

頭を撫で、額を付けてきた紫水は言った。




「僕の誇りだよ」


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