Please protect her.
紅い炎。
僕の部屋は館の一番端で、火事の原因から最も遠かった。だから、僕は焦りで心臓が死にそうなぐらい苦しく弾んでいたけど、どうにか外へと出ることができた。僕は大人じゃない。周りのみんなも大人じゃない。だから、僕達はどうにか繋いだ命に安堵するだけで、ただ呆然と燃える館を見上げることしかできなかった。
「燃えてる…」
「俺らこれからどうすんの?」
「僕達、親いないし…」
「捕まっちゃうよ!」
「少年院ってやつ!?」
「ヤダよ!!」
「俺だって厭だ!」
「哉!どこ行くの!?」
「俺は行く。少年院も孤児院も厭だ。もう誰にも縛られたくない。だから、俺達はここにいた。違うか?」
「そりゃあ……でも、僕達は子供だよ?」
「俺達はちゃんと仕事をして、金貰って生きていた。俺は捕まんないからな」
「待ってよ、哉!」
「ぼくも捕まりたくない!大人の世話なんてなりたくない!」
「泉、来いよ」
「うん!」
「空は?」
「俺も行く」
「恵はどうする?」
「僕は……」
「院に行ったら、また苛められるかもしれないぞ?だから館に逃げ出してきたのに、戻るのか?」
「それは厭だ!」
「なら、行こう」
「でも………………狼……狼は?」
「え?僕?」
「狼はどうするの?」
「狼も来るだろ?」
「僕?……僕は………………僕はここにいるよ」
「どうして!?」
「清がいない……からかな」
「狼……」
「恵、早く決めてくれ」
「僕は………」
「恵、行きなよ。僕は大丈夫。奏ちゃんを一人にしちゃまずいよ。ね?だから、また…いつかまた絶対会おうね?」
「狼………僕、行くね。僕、絶対に奏を幸せにするから」
「頑張れ、お兄ちゃん。皆も、生きてまた会おうね」
「うん」
「ああ」
「約束だ」
仲間が消防士に見つかる前に夜の闇へと走り去るのを僕は見送った。
そして、再び視線を燃える館に向ける。おばちゃんは僕の下の部屋だからとっくに金を持ってどっかに行っただろう。他の子供達は大丈夫だろうか。灰さんは大丈夫だろうか。美樹さんは大丈夫だろうか。
炎は大丈夫だろうか。
炎は嫌いだけど、人が死ぬのはその人が誰であろうと厭だ。
と、見知った顔が一人飛び出してきた。
「あ!狼!あの子を見なかった!?」
なんとまぁ、炎だ。僕と同じでしぶといようだ。
「あの子?……って…―」
まさか…。僕はあの子を探して周囲を見回した。僕は火事が起きてほとんど最初に出てきた。
だから………………………あの子がいない。
「まだ…中だ」
「嘘っ!!?」
炎が僕の言葉を聞いて踵を返そうとした。今でもどうしてか分からないが、その時、彼女の手を僕は強く引っ張っていた。
「何するの!放しなさい!」
僕は炎が嫌いだ。なのに、僕はその手を放せなかった。
「戻れば炎が死ぬ!」
「あの子を見殺しにはできない!放しなさい、狼!」
「厭だ!!!」
何故か厭だった。戻って死んでしまうのは厭だった。
「狼!!!!あの子は私の妹なのよ!!!!」
「その妹が炎に死んでほしくないと言っているんだ!」
そんな気がした。それか、よく分からない衝動に駆られてなんでもいいから、炎を止めようとしたせいかもしれない。それか、本当にあの子が僕に語りかけていたのかもしれない。
姉を死なせないで。と…―
僕は彼女の腕を引っ張って、消防士に無理矢理渡した。
「放して!中にあの子が!」
大人の男からは逃げられまい。僕は炎の安全を確認して、あの子を探すために館を振り返った。
そうだよ。姉が死んだら妹が可哀想だろ?
「だから、僕が探す」
清、好きな人と逃げたのなら幸せになれるよね。
だから、僕がこの誰にも必要とされない命で必要とされている命を救うよ。
僕は燃える館へと駆けた。
「狼!!!あなた、やめなさい!!!!!!」
炎の声が聞こえた気がした。
熱い。
「どこだ!」
熱い。
「どこにいるんだ!」
熱い。
僕は廊下を駆ける。
「返事をしろよ!!!」
ユアナ!!!!!!
「君、何をしているんだ!」
消防士のようだ。だけど、知るか。僕には救わなきゃいけない命があるんだ。
僕は駆ける。
「ユアナ、どこにいるんだ!」
そして、僕は…―
【Please protect her.】
僕は罪滅ぼしに彼女を作った。
僕の記憶を頼りに最後に僕に助けを求め、助けられなかった彼女の意識を埋め込んだ。足りないパーツは僕の体から分け与えた。そして、彼女の負担を減らすために作り物だが、魔力を与えた。
そうして僕は彼女の容貌をした第二の僕を作りあげた。
それは、絶望しか残されていなかった僕が生み出した希望。希望じゃなくてもいい。ただ、淡くても、手を触れたら消えてしまいそうでもいいから……―
光が欲しかった。
僕は彼女と生活をし始めた。
『ねぇ、職場で貰ったんだけどケーキ食べる?』
『……要らない』
彼女の中に僕の記憶の中の意識は埋め込んだはずだった。だけど、ヒトというものに必要な何かが欠けていて、彼女は本当にお人形のようだった。僕には彼女に欠ける何かが分からなかった。僕はこうして動いているのに、僕が思い付く全てを彼女に与えても彼女は正常には起動しない。
そもそも“正常”とは何か?“異常”とは何か?
僕はまるで狂うことのない時計を備えたコンピューターのように規則正しく動く彼女を見ながら考えた。
買ってきたケーキを食べてくれないのは異常だろうか?
分からない。
『君にとって僕は何?』
『……にー』
彼女にとっての僕がにーなのは正常だろうか?
分からない。
『僕にとって君は何だと思う?』
『……ユアナ』
僕にとっての彼女がユアナなのは正常だろうか?
分からない。
ならば、こう聞けばいい。
『君にとって君は何だと思う?』
一瞬、自分でも考えた。
僕にとって僕自身は何だと。
答えは一つしかなかった。
僕は人形でしかない。
人間のフリをしている機械人形でしかない。
『何でもない』
彼女は答えた。
僕には君がユアナで、君は自らを何でもないという。僕はどうやら、罪滅ぼしをしながら自分の為に愛玩人形でも作っていたらしい。
機械人形のくせに愛玩人形…か。
でもまぁ、僕は彼女に欠けているものが何か分かった。
さぁ、どうしようか。
ユアナ…ユアナ…ユア……―。
『ユアン』
『?ユアナだよ』
違うよ。
『君はユアン。君に足りないのは君自身。君の体を君だと肯定するものだ』
僕に人形遊びは似合わない。君が正常ではないのはあるべき名がないからだ。
『ユアン。そうだね…日本人の名前は漢字だ。後で漢字辞典を見ながら考えよう』
『ゆあ…』
『ユアン。君はユアンだよ』
『ボクチャンは…ユアナ……だよ』
そうじゃない。
最初、僕はユアナを作ろうとしていた。でも、僕はいつの間にか、新しい誰かを君に求めていた。ユアナではなくユアンを。
きっと僕は淋しかっただけなんだ。
僕は僕の過去を知らない1からの友達を作りたかった。二之宮家の養子と仲良くしてくれる友達を。
それがユアン。
僕の妹。
君の名は二之宮遊杏だ。
「ユアナ、どこにいるんだ!」
…………………にー………?
「ユアナ!」
彼女は10メートルほど離れた廊下に倒れていた。
ユアナは視線を彷徨わせて体を起こす。
「今行くから!まって―」
「来ないで!」
最初、彼女の言っていることが分からなかった。ほんの数メートルなのだ。
僕は無視して駆ける。
「あ!君、こんなとこに!」
そこに、途中の角から現れた消防士が僕を抱き上げた。
「は!?放せ!」
「何しているんだ!ほら、外に出るぞ!」
何を言っているんだ。こいつは。ユアナがすぐそこにいるんだぞ。
「あっちに子供がいるんだ!」
「何!?」
消防士は後ろを見る。しかし、
「誰もいないぞ?」
「何言って…」
いない。彼女がいなかった。
「行くぞ!」
「待って!ユアナが!ユアナがいたんだよ!」
僕は叫んだ。いたはずなのだ。彼女がさっきまでいたはずなのだ。
「ユアナ!ユアナ!!!」
僕は消防士に抱えられながら、彼女がいたはずの場所に向かって叫ぶ。
その時、僕は彼女を見た。
廊下ではなく、彼女が倒れていた場所の直ぐ横の部屋の微かに開いた襖から。
彼女の手が見えていた。手だけで分かるはずが無いのに、僕にはそれが彼女の手だと理解した。
「いる!いるよ!」
「もう崩れる!」
離れる。
彼女と離れていく。
いるのだ。彼女がいるのだ。
あの部屋にいるはずなのだ。
そして、廊下の角を曲がる寸前、僕の目に再び彼女の全身が映った。
廊下に倒れている彼女だ。
薄くぼんやりした彼女が顔を上げて僕を見詰め、何かを語りかけていた。そのちゃんとした形のない映像はまるでホログラムのような…。
「――」
彼女は笑顔を見せて僕に手を伸ばした。
「『炎を守って』」
「遊杏?何か言った?」
「ううん。ボクチャンの中に最も強く残る言葉を言ってみただけだよ」
「え?何それ」
「にー大好きっ。だよ」
「ありがと、遊杏。僕も遊杏が大好きだよ」
…―にー、炎を守って―…