未完成品(2.5)
蓮。
嗚呼…僕の愛しの子。
僕達が生み出した罪の塊。
嗚呼…お前を愛している。
無機質な白壁に囲まれた建物。
その中の無数の実験室の一つ、曇り空を映す天窓があるそこに彼女は足を踏み入れた。
「にー!!」
遊杏は中央の台に横たわる主を見付けて駆け寄る。蓮は遊杏達を屋敷に残して過去へ行った時と同じ格好をしていた。
「にー…冷たい。にー…にー…」
蓮の顔色は白く、力なく瞼が閉じられていた。遊杏は彼の現状を察し、抱き締めながら何度も彼に呼びかける。
「起きて。にー…起きてよ」
しかし、彼女も蓮がもう起きないことは分かっている。手から伝わる心臓の鼓動は止まっていた。
だからこそ、
「紫水、にーを助けてよ!」
遊杏は今部屋に遅れて入ってきた紫水を振り返った。紫水は手の書類に落としていた視線を上げると、蓮の姿に目を見開く。
「蓮……か?」
ゆっくりと歩みを進め、近付いた。
「助けてくれるんでしょ!紫水!」
紫水のズボンを掴み、怒る遊杏。しかし、彼は遊杏を放置して蓮を見下ろす。
「蓮……お前…」
「紫水!紫水がにーをここに運んだくせに!にーを治してよ!」
確かに崇弥洸祈が研究所に向かっているかの確認も兼ねて蓮を二之宮邸から運んだのは紫水の部下だ。途中、悪魔の存在が見られたが、本体が少年姿なため、力差で抑えたとも報告がきている。そして、それを指示したのは紫水。
紫水は書類を手から滑らせて床に散らし、蓮の頬を撫でてぼやく。
「蓮…お前は…どうしてそうなんだ。誰かを愛そうとし、誰かを求める。自分をどれだけ犠牲にしようとも……」
沢山の犠牲の上に成り立つ。憐れな子。
憐、お前は出来損ないなんだ。
だから、
「もう求めて傷付くな…」
お願いだから、もう傷を作るな。
「紫水、今更謝ったって、にーは赦さないよ」
遊杏が台に立ち上がり、ぼーっとする紫水を押し離れさせると、その瞳に感情を映さないで言った。紫水はよろけながらも足踏みを整えて少女を認識する。
紫水と遊杏。
紫水と蓮。
その距離は遠い。
「それに、にーは憐れじゃない。ユアナはにーを求めた。そのせいでにーはユアナに固執してボクチャンを生み出してしまったけれど。だけど、にーはひとりぼっちじゃない。ユアナが求めていた。ボクチャンも…遊杏も求めてる。それに…………にーには好きな人ができた」
「好きな人?蓮に?」
嘘だろう?と紫水は失笑し、遊杏は真っ直ぐ自らと同じ色の目を見詰める。
「くぅちゃんだよ」
「くぅ……あぁ、洸祈か?それはあれだろう?家族愛ってとこさ」
洸祈にとって蓮の存在は兄でしかないはずだ。
「違う。崇弥洸祈を好きになった」
「…………」
ぴたりと止む笑い。
紫水の目に光が帯びる。
「洸祈…ねぇ。そうだ。皆が洸祈、洸祈、洸祈。折角、蓮の弟に仕立て、あの子も同じ目に合わせた。愛されない蓮の為に愛されない弟を作ってあげた。そして、誰かを愛することが恐怖になるように…蓮だけを見るように体に覚えさせた。なのに…―」
彼は愛されている。
多くの者に愛されている。
崇弥洸祈……ムカつくなぁ。
「どんなにあの子を壊しても、あの子は誰かに愛されて。その幸せに気付かずにあの子は拒んで。蓮がどれだけ苦しんでいるのかも知らずに」
いつだって泣いているのは蓮なんだ。
波色に光る彼の目。
「蓮をひとりにする奴は排除しないと」
その目に映るのは紛れも無い憎悪。遊杏が彼に向けたように、彼もまた、幸せの中にいる男に憎しみを向け始める。そこに少女の高い声が響いた。
「にーが取られて哀しい?」
そのたったの一言に彼の体が反応する。
「哀しい?」
「息子が取られて哀しいの?自分がひとりになるから?にーがひとりぼっちだったのは、にーは愛されないからじゃない。愛せないからじゃない。あなた達がにーを愛してあげなかったから。にーをひとりにしたのはあなた達。だけど、にーは今はひとりじゃない。あなた達から離れて、にーは幸せになったんだ。…………だから…」
遊杏の小さな手が蓮の頭を撫でる。
「だから……ボクチャンを使って治してよ。全てを元に戻してよ。そして、にーをくぅちゃんのところに帰して」
「君は分かってて…」
「分かっちゃっただけだよ。無知は罪なんでしょ?ボクチャンは分からないことを調べた。それだけなんだ」
彼女は紫水をじっと見上げて笑みを溢した。
それは少女の本物の笑顔。
「ボクチャンはにーの身体に帰る」
だから、帰らせて。
そして、遊杏は横たわる蓮の横に体を崩した。




