心の壁
あいつは突然やってきた。
あの時、あいつと別れてから何年経ったか…。
「お前…やつれたんじゃないか?」
「そうかな。それより、至急お願いしたいことがあるんだけど…」
彼は俺の言葉を聞かずに中へと入る。
「せっちゃんは?」
「あー、あいつ?昼飯に、たこ焼を食いに言った」
「君は?」
「いらね」
「そう。そこで買ってきたお菓子いる?」
袋には俺でも知っている高級菓子名店のロゴ。
益々、こいつはおかしい。
俺に会いに来るのにお菓子折りをご丁寧に持って気は絶対にしない。持ってくるのは厄介事か、減らず口をたたく事だ。
「一体、お前は何を仕出かしたんだ?」
だから、訊いてみた。
「仕出かしたって…別に匿ってとかじゃないし」
彼は勝手に先に進む。
そして、実験結果の書類が散らかったリビングとも言えないリビングらしき場に入った。
「じゃあ、なんだ?お前はあいつでも予測不可能の行動をする。こんな遠くまで散歩か?」
「そうだね…敢えて述べるとしたら………殺人…かな」
また、物騒な。
「警察は嫌いだ。一人で自首してこい」
「まだ未遂だよ」
あぁ、お前は俺を殺しに来たのか。従姉が怖いなどと逃げ込んできたこの男を住まわせたこの恩人を殺したいのか。
「俺はお前なんかに殺される気はないからな」
「うーんと、僕は僕を殺したいの。だから、ただ君に手伝って欲しくて」
ふっと間の抜けた答え。
こいつといると凄く疲れる。何だかイライラしてきた。
「いいか、俺の質問に沿った答えをしろよ。お前は誰に何をして欲しいのか、具体的かつ簡潔に言え」
すると、
「神影君に僕の記憶喪失で失っていた過去を思い出させて欲しい」
最初からそう言え、蓮。
と、言いたくなった。
「最近、夢を見るんだ」
「僕は昔、ある白髪の博士に造られたア○ムとして地球の平和を陰ながら護ってきたんだ。なんて言うなよ。馬鹿らしい」
…………………………………。
「君、病んでるんじゃない?」
逆に憐れみの目を向けられた。確かにさっきのは俺の方が馬鹿らしかった。
俺は明後日の方向を向いてお茶を飲む。
煎茶が喉に痛いぐらい沁みた。
「最初は妄想か何かなって思うんだけど、最後まで見ると、多分それは僕の過去なんだ」
蓮は真剣だ。
「そこには僕の友人が出てくる。僕と友人がまだ出会っていないはずの過去でね」
つまり、
「昔、そいつと会っていたのかもしれないと?」
「うん」
「それで?」
俺は脳内の辞書を引きつつ聞き返した。蓮は首を傾げる。
「それでって?」
「会っていたかもしれない。それでなんだ?」
俺は聞いて損した気分だった。
こいつが珍しく真剣に話すからなんて思った俺が馬鹿だった。
「だから、思い出したいんだけど」
蓮が久々に怯えた表情を俺に見せた。
バンッ。
俺はコップを机に叩きつけるように置いて立ち、廊下へのドアを開けた。
「どういうこと?」
「馬鹿らしかったな。蓮、今すぐ帰れ」
「どうしてさ!君にしか頼めないんだ!」
蓮は叫ぶ。
あぁ、煩い奴だ。
「死にたいなら、自分で死ね。俺を捲き込むな。思い出すと言う行為がどれほどまでに危険か知らない奴に俺は協力しない。蓮、帰れ」
「待ってよ!僕はその友人を助けたいんだ!それには少しの手懸かりが必要なんだ!」
蓮の手が俺の白衣の襟首を掴んだ。オッド・アイが必死に見詰めてくる。
「綺麗な紺…」
「何?…突然―」
蓮も気付いたのか自らの口を封じて俺を見上げる。
「お前の眼は綺麗だな。あの子の眼がみっともなく見えるくらい」
「これは両方とも僕の眼だ!…まさか…君は…」
「あぁ、重ねてるさ。だから、やめろよ」
推理が下手くそな奴め。
気付くのが遅いんだ。
「だけど……必要…なんだ」
必要…か。
「他人の為か。お前にしてはそれこそ有り得ないと思ってた」
「君こそ。彼女の為に命を懸けた」
「報われなかったが」
「報われたよ。姿形が変わったけど君の傍にいる。だから…」
俺はドアを閉めて部屋のソファーに戻っていた。脇の小棚の鍵穴に鍵を入れて開け、中に掛かる無数の鍵から一つを取った。
「神影く―」
「記憶喪失のままお前が生きてこられたってことは、その記憶は生活になくてもいいもの。別に絶対に必要なものってわけじゃない。むしろ、こんだけ年が経ってまで忘れてたもんは忘れてた方がいい。トラウマかもしれないしな。俺は責任を取らない」
地下には多くの部屋がある。一番奥の部屋には政府や軍にバレたらヤバいものが入っおり、この特注品の鍵で向かうはその一つ手前の部屋だ。そこにあるものはバレてもなんともないが、扱いが要注意の化学薬品等がある。
「神影君…ありがとう」
「お前の責任だから感謝するなよ」
「そうや。感謝が勿体無いけぇ」
この大阪弁の混じったような胡散臭い話し方をするのは…
「雪癒、帰ってきてたのか」
「久しゅうな、蓮」
この奇っ怪な地下要塞付きの家の主兼、機械オタクの雪癒だ。
因みにこの機械オタクは作る方ではなく解体が好きらしい。細かい部品とそれらが複雑に組まれているところがいいとか…。その内、細かさと複雑さから人間解体に目覚めるかもしれない。人間の身体に興味を持つのは蓮だけで十分だ。
「せっちゃん、お帰り。お邪魔してるよ」
「午前中に来る思っとったのに、遅かったのぉ」
それにしても、黒髪ちびは青海苔が頬についているのに気付いていないようだ。
「おい、知ってたなら俺に教えてくれたってよかっただろ?」
「忘れてたわ」
じじぃ。
心中で叫ぶ。
「じじぃ、言ってるで。そーゆっちょると、土産を買ってきとうたのに」
その手にはたこ焼屋のロゴのビニール。
俺は雪癒に蓮の土産の箱をあげてたこ焼のビニールを掴んだ。
「それ、蓮から」
「干し柿のクッキーだよ」
「干し柿ちょー好きや!」
雪癒が蓮に飛び付くのを横目にたこ焼を皿に移してレンジに入れた。
「蓮、実験開始は食ってからだ」
「うん」
蓮が頷く。
だから、俺は記憶を元に戻してやるしかない。
たとえ…蓮が泣いたとしても。