未完成品
蓮の体が地に吸い込まれるように崩れた。
「二之宮!」
葵を呉に預けた洸祈は蓮を抱き抱える。蓮は真っ青な顔でぐったりとしていた。
「二之宮!おい!」
「洸兄ちゃん、僕に」
手を伸ばした呉は蓮の額に触れ、目を瞑る。そして、小さく何かを呟くと、蓮から手を離した。
「どうだ?」
「洸兄ちゃん……」
呉の長い睫毛が揺れる。
「呉、どうなんだ!」
「だってこの人は…………」
「呉!答えろ!」
呉は葵の首筋に顔を埋めると、震えた声で答えた。
「この人……器官の半分以上が機械。……人なんですか?」
「人…………じゃない」
蓮の手は氷のように冷たく、顔は青から白へと血の気を失っている。洸祈は蓮の力のない体を強く抱き締めた。
「二之宮は人じゃないんだ。でも、人でもあるんだ……」
ちゃんと生きているんだ。
洸祈の蓮への思いを感じた呉は葵を支えながら再び魔法陣を築くと、ぎこちないが、できる精一杯の笑顔を見せて洸祈に手を伸ばす。
「はい、蓮さんは人です。優しい人です」
「あぁ、蓮は優しくていい奴だ」
守ると決めたら絶対に守る。蓮は優しいが、自分にさっぱりなのが少し恐ろしい。その結果がこれなのだ。
「蓮さんの機械部分の動きが乱れています」
洸祈が知っていたことに落ち着きを取り戻した声で呉は言った。
「乱れている?俺の魔力供給でどうにかなるか?」
メンテナンスは生じた誤差を元に戻すためにある。
蓮の説明によると、本来なら蓮にはメンテナンスは必要がなかった。自らの魔力でどうにかなっていた。それがいつの間にか狂いだした。それが、旅行に行った時だ。
「洸兄ちゃんから十分な魔力を得たとしても、これほど乱れていては意味がない。全てを新しいものにしない限りは……僕にはこれしか対策が思い付きません。先ずは皆のもとに行きます」
先ずは葵を寝かせ、蓮もこの寒い地下はきつい。
蓮を抱き直した洸祈は呉の手を取った。
「ちぃ、起きろ!」
蓮を床に寝かせた洸祈は目を閉じている千里の体を揺さぶる。千里は小さく唸ると、薄目を開けて洸祈を認識した。
「こ……う。遊杏ちゃんが……」
洸祈は体を貸して千里を起こすと、近くの椅子に座らせる。
「杏がいない」
「結界もです」
「結界?」
呉がソファーで眠るレイラに変わって葵に処置を施しながら洸祈の質問に冷静に答えた。
「洸兄ちゃんが過去にいた時、清さんが僕達のいる現在にいました」
「館…………の?」
洸祈の眉間に皺が寄る。
やっぱり聞きたくないかも。
しかし、耳を塞ぎそうになる手をどうにか抑える。
「館のです。その清さんを追って政府がやってきました」
やっぱり。
けれども、これはどうしようもないことだ。
「いつかはバレることなんだ…」
実の弟にすら隠していた俺が悪いんだ。もう腹を括るしかない。
「この緊縛調律は政府の魔法使いか?」
洸祈は状況を整理しようと、辛そうにする千里に詰問した。千里は水を求めると、目を閉じたまま答える。
「政府がインターホン押して…遊杏ちゃんが出たんだ。そしたら……多分、遊杏ちゃんが」
「杏が!?杏がやったのか!?」
こくり。
呉が用意した水を飲むと、彼はソファーの背凭れに頭を乗せて天井を仰いだ。
「魔力…持ってかれた。それで……気を失っちゃって…ごめん」
そして、カーペットに横たわる赤い頬の葵を見付けると、ふらふらと立ち上がって近寄り、おかえりと葵に囁いて抱き締めたまま眠りにつく。
これ以上は千里には無理だった。
呉はそんな二人にまとめて毛布を掛けると、一応、屋敷が静かになる。
「杏が緊縛調律をして政府と共に消えた。二之宮は早く対策を考えないと………くそっ!!!!」
洸祈は先の転移で失っている魔力を感じて自分に叱咤した。
「俺は二之宮がこんなになってたのに逃げ道探して過去に行ってたのかよ!」
蓮の体に誰よりも詳しいのは遊杏だ。その遊杏がいない。こんな時助けになるのは……。
「琉雨………琉雨は?家か?」
分かんないけど、琉雨なら何か分かるかもしれない。
「琉雨なら……何だっていい、二之宮を少しでも長く……」
琉雨だけが使える太古の魔法なら。
「呉、店に連絡を―」
「琉雨姉ちゃんもいない……琉雨姉ちゃんもここに残ってたんです!」
呉が洸祈の服を掴んだ。その手が微かに震えている。そして、滲んできた目で床を見詰めた。
「ごめんなさい……僕は……悪魔なのに何にもできない」
悪魔という肩書きでは何もできない。また、何もできない。
「お前のせいじゃない。だけど、この喪失感は琉雨と繋がりが切れてるせいみたいだ。早く探さないと、琉雨の中の俺の魔力が消えたらあいつは……」
消えてしまう。
「そんなっ」
洸祈の魔力と契約が琉雨を形作る。契約が切れた今、琉雨を存在させるのは残っている魔力のみ。
「どうして杏がちぃやレイラに緊縛調律をしたのかは分からない。でも、あいつを守ってくれていると信じてる」
全ての鍵は遊杏。
二之宮、お前の代わりに俺がみんな守ってやるから。
「君は本当にあの子にそっくりだね」
「ボクチャンは遊杏」
跳ねた茶髪が振動に靡く。そして、腕に抱き締めた琉雨を見下ろした。
「うーちゃん…ごめん」
小さな光る羽を付けた少女はまるで妖精。強く目を瞑り、魘されている琉雨は何度も「旦那様…」と呼ぶ。その言葉に紺を瞬かせた遊杏はもう一度、彼女を抱き寄せた。
「洸祈への餌だからね。それにしても、君の残酷さはあの子譲りではないね。この護鳥を殺そうとした」
「ボクチャンは―」
「知らなかった、だろう?でも、それで彼女が消えていたら?知らなかったで済むかい?無知は本当に罪だね」
男は走行する車の窓に凭れ、外の景色を見詰めて言う。そして、窓ガラスに映った隣に座る少女に視線を移した。
「にーを助けてくれるんだよね」
「助ける方法を教える。その為に必要なものも直ぐに手に入る。と、契約しただろう?」
「周りに危害は及ばない。及ばせない」
「とも、契約したね」
彼女は自らの手の甲に波色に光る目で契約があることを確認して、頷いた。
「蓮との二人暮らし、上手くいってるんだね」
「………」
「蓮はどんどん僕に似てきた。誰かが言ってたんだけど、僕が引きこもりニートの不気味な研究オタクの暇人だって。蓮も同じじゃないかい?」
「にーを紫水と一緒にしないで」
琉雨の髪を撫でる遊杏の瞳に浮かぶのは紛れもない憎悪。それを見た紫水は凭れていた体を起こすと、姿勢を正した。
「ふーん。君は蓮の記憶を一方的に知ることができるんだよね。その脳で。色々あったろう?真実の一つ以外は僕の作ったシナリオさ。どうかな。そして、その真実の中ではさぞかし私は恐ろしそうだ」
「最低な奴だよ」
「最低……か。父親を最低とは。年中反抗期だ」
息を吐く紫水に表情はない。彼は前髪をかきあげて背凭れに頭を乗せて目を閉じた。
「殺してやる」
更にシンと静まる車内。ぴりぴりとした空気が特に前方の座席で漂う。
「笹原、やめなさい。彼女を殺してしまったら契約破棄で僕まで死んでしまう。それに、さっきのは彼女ではなく蓮さ」
笹原は軽く頷くと胸元に当てた手を離す。しかし、指圧によってくっきりと残った銃身の膨らみは消えなかった。遊杏は腕の中で寝返りを打つ琉雨をワンピースの胸ポケットに入れるとその上から両手を添える。
「あぁ、護鳥は消しても契約に問題はないね。繋がりが切れている今、洸祈には護鳥に何があっても分からないし」
「うーちゃんを傷付けたら赦さない!それに、周りに危害は及ばない。及ばせないと契約したはずだよ!」
「しない、しないよ。ちょっとした冗談。僕には少女虐待趣味はない。それに、洸祈にバレた後が悲惨だ。僕は丸焼きにでもされそうだよ」
紫水は手探りで携帯を上に羽織った白衣のポケットから取り出し、渇いた笑いをしてから番号を押した。やがて小さなコール音が響く。
「誰に掛けてるわけ?」
「蓮のお母さん。とでもしとこうか」
「最低な奴。よく電話できるね」
「僕もそう思うよ」
紫水は目蓋を下ろして半眼になった遊杏に苦笑した。