終わらない螺旋階段
啼いている…―
鳥が啼いている…―
―…………―
叩いて何かを主張しているようだが、分厚いプラスチックを通してでは柔らかな和太鼓の音のようにしか聞こえない。
「ごめん…」
―…………―
ドームは別に密閉状態というわけではない。ちゃんと空気孔がある。何より、機械を使って空気を巡回させている。
ただ、少年の口は布で塞がれている。発せる音は唸り声くらいだ。
―…………―
少年は目尻に涙を溜めて、必死にプラスチックを叩く。
それに彼は…
「ごめん…」
長めの白衣の裾に半分隠れた手のひらでドームを撫でた。
と…―
『この腐れイカれ野郎!出せ!そいつを傷付けるな!!』
ガンッ。
少年の隣にもドームがある。
中には青年。
肘や膝を窮屈そうにぶつけている。
「黙ってくれないか?俺は助ける為に―」
『助ける?助けたいならそこから出してやるんだな!』
「黙れ!お前のせいで……!」
怒りの隠った拳は、少年が暴れるドームに落ちた。少年はびくりと肩を震わせると、溢れてしまった涙を拭いて、耳を塞いで縮こまる。
『あんたは最低だ。あんたと同じように精神がイカれる前に、早くそいつを出してやれ』
翡翠が彼を、白衣の男を憐れむように見る。
「―っ!お前のせいで!お前がいるから!」
『イカれてるから言っている意味が分からないか。あんたには、そいつが泣いているのが嬉し泣きに見えるんだな』
「煩い!黙れ!!!!」
彼は歩みを進めると、青年の方の巡回させている機械を蹴倒した。ブウンという鈍い音と共に、それは動きを止める。
青年のドームには空気孔はない。彼は、機械の外れたそこに蓋をした。
微かに孔を残して。
少年が目を見開き、青年の方を向いて必死にプラスチックを叩き、首を振って青年に涙を浮かべる。
『そーくるとはね』
青年はそっと胸を押さえると、少年に向いた。
『安心しろ』
………………っ―
強く握り込まれる青年の拳。少年に向けられた微笑は瞬く間に消え、額に脂汗をかき始める。
―………んーっ!!!―
少年は彼を睨み付けた。
白衣の彼は、一瞬、苦い顔をすると、強張った笑顔を少年に向けた。
「辛いのは分かるよ。だけど、もうすぐ苦しみから解放されるから。ね?」
緋色は彼から目を逸らさない。
「……………」
少年の明らかな抗議の色を持ったそれは彼の目を逸らさせた。彼は少年に背を向けると、青年の方のドームに近寄った。青年は虚ろな瞳の奥から憎しみを込めて彼を睨む。
『あんた……死ね…よ』
「死ぬさ。お前も俺も死ぬ」
『死んで…一人?…マジで…死ね…』
「大丈夫だ。一人でも生きて行ける」
『また…そいつを…性玩具に…したい…のか?…そいつの…生きるは…』
ぜえぜえと、青年の言葉に雑音が混ざる。
『いつだって……他人の…オモチャだ…そいつは…それを……受け入れる……当然の…ように…ごほっ……』
唇が微かな空気を求めて孔に近付いた。彼は冷ややかな目でそれを見る。
「これじゃ死なないくせに」
『一人じゃ…生きては…いけない…』
「だけど、これには俺の死もお前の死も必要だ」
『だったら…!―』
―皆、死ねばいい―
そう聞こえた気がした。
青年の声じゃない。
彼は白衣を翻して少年を見詰めた。少年は緋色の瞳を真っ赤な血の色に染めて、彼を見上げる。
『落ち…着け!』
青年は噎せながら少年に叫んだ。
「どう…した…?」
チリチリと少年の口を塞ぐ布は黒く炭となり、ぼろぼろ崩れていく。そして、露になる少年の薄ピンクの唇。
その唇はゆっくりと言葉をつむいだ。
―ねぇ、皆、死のうよ―
「何を…」
―死ねばいい。死ねばいい。死ねばいい―
『やめろ…!』
青年が言った頃にはもう遅く、ドームは紅く色付いて熔け始める。ドロリとしたそれは冷えた床に落ちてシュッと音を発てる。そして、空気巡回用の機械は、黒い煙を吐いて動きを止めた。
唖然として動かない彼と、少年を止めようと叫ぶ青年。
そんな中で、少年は熔けきったドームから優雅に大理石の床に降り立った。
―皆で死のうよ―
黒服の少年は裸足を鳴らして、後退りする彼に手を伸ばす。
「俺は…お前の為に…」
―俺の為?俺は望んでない―
死神の様相で笑った。
冷めた笑顔。
「じゃないと…お前が死んでしまう!」
―皆、死ねば一緒。ずっと一緒にいられる―
誰かが生き残って悲しむなら、皆、生き残らなければいい。そうしたら、誰も悲しまない。
少年は白い肌を覗かせて、襟首から首飾りを取り出した。
―さぁ、行こう?夜歌は俺達を受け入れてくれる―
緋が揺らめく琥珀。
少年の手の中のそれは、脈を打つように輝きを一層強めた。
「夜歌って…そんなのあるわけ…ないだろ…」
―ある。遠くに…母親に守られる無限の地が―
「俺はお前を生きさせたい!」
―分からない?俺にとってここは死の地。ここが墓場。だから、死んで、夜歌で生まれる。一緒に夜歌で生きるの―
「違う!夜歌なんてない!これが現実だ!俺はお前に現実で生きて欲しいんだ!」
少年は彼に苦笑する。
呆れ果てた顔で。
―もうやめようよ。弘瀬さんはおかしいよ。第一、そう何人も殺してきて、どうして俺を殺さないの?―
「俺は誰も殺してない!殺してきたのは―」
―誰?―
少年は尻餅を突いた弘瀬の腰に乗っかった。
―誰なの?5年前から計18人の子供を殺したのは何処の誰?―
怯えきった弘瀬に少年は上体を傾け、彼の胸に拳を丸めて乗っかった。胎児が母親の腹の中で眠っているようだ。
「俺じゃない…それに…死んだのは…4人だ」
―そうだっけ?たったの4人だっけ?―
先程まで泣き、怯えていた少年ではない。喪服の少年はまるで絵本に出てくる悪魔だ。
ごほっ…ごほっ…
―あ…忘れてた―
上体を起こすと、少年は手を伸ばして青年のドームに触れた。
そして、熔ける。
青年の頭一つ分くらい開けると、再び、弘瀬にへばり付いた。
―19人目は俺?―
「だから、俺じゃない」
―なら、19人目は弘瀬さんだ―
「何…を?」
紅蓮の刃は少年の顔を不気味に写す。
―あなたが俺を殺さないなら、俺はあなたを殺す。あなたが無自覚なら、何も知らずに死んだ方がいい―
「わけが分からない!俺はお前に生きて欲しくて、あいつの力を使って、俺の命でお前が助かるなら!ただ、それだけだ!」
―分かってよ!―
本物の涙。
弘瀬は少年の涙に恐怖を忘れ、驚きしかない。
「悲しい…のか?」
―弘瀬さんのせいだ!俺は…俺は!―
泣きじゃくる子供のように―子供としてではなく、人としてではなく、ただの人形として生きてきた―少年は啼く。
翼をもがれ、耀く舞台から降ろされた鳥。
だが、美しさは消えない。
鳥は空を失っても美しさは消えない。
その美しさに人々は感嘆し、欲に奪い合う。そして、飛べない鳥は弄ばれる。
鳥の恐怖に人々は見惚れ、鳥の悲鳴に人々は聞き惚る。
だから、鳥は心を無くした。
だから、鳥は声を無くした。
だから、鳥は捨てられた。
飛べない空は容赦なく鳥を痛め付ける。
ぼろぼろの体。
痛いよ…
悲しいよ…
誰か…
誰か助けて…
美しさを無くした鳥は誰にも見向きされない。
手のひらを返したような人々の反応。
痛いのに…
悲しいのに…
声は枯れて泣くことすら叶わない。
…―おいで―…
そんな鳥にたった一人。
震える鳥を胸に抱いて歩みを進めたたった一人。
心も声もないのに、優しくしてくれたたった一人。
そんな鳥に…
たった一つの名前をくれたたった一人のあなた。
「…………氷羽…」
―生きて生きてって!もう俺は一人ぼっちは嫌だよ!分かってよ!あなたのいない世界なんて嫌だよ!―
氷羽は弘瀬に抱き付く。
赤みがかった髪を揺らして強く。
弘瀬は…
抜け行く命の中で氷羽を強く抱き締め返した。
ぱた…
弘瀬の手は氷羽の背中から床に落ちた。
―弘瀬…さん?―
弘瀬は幸せそうな顔で…
死んだ。
『氷羽、二人で一緒にどこか遠くへ行こう?』
青年は手に握った刃を床に捨てて言った。
氷羽の視線の先のそれには、赤い、真っ赤な血。
『子供を18人も狂った頭で殺して、挙げ句、記憶に無いときた。この異常者が』
憎々しげに弘瀬を見下ろす青年。
『もうこいつもいない。ぼく達は自由だ』
自由?
自由って?
―何で…―
『氷羽?』
―何で?―
自由って何?
『こいつは殺人鬼だ』
―だから?―
分からない。
―だから何?―
『死ぬべきなんだ。お前も近くにいたら危ない』
―だから君は殺すの?―
止まった弘瀬の鼓動。
弘瀬は死んだ。
もう弘瀬は動かない。
二度と。
―最期に教えてよ、―。20人目は…誰?―
『氷羽?20人目って…』
―俺?君?―
『二人で生きよう?な?』
氷羽は落ちた鉄片を拾う。
赤い血の炎を纏わせたそれを。
―殺した者は殺された者の罪を背負わなくてはいけない。君の罪は18人の子供と…たった一人の弘瀬さん―
君は殺人鬼だ。
『何でだよ!ぼくはこいつとは違う!』
殺人鬼は…
―死ぬべきなんだ―
氷羽は驚きに転んだ青年の心臓を捉えた。
ぽたり…
ぽたり…
ぽたり…
―俺が君の罪を背負うよ。18人の子供と、あの人と君―
激しい運動で高鳴る心臓に刃を向ける。
―そして、俺は俺の罪を背負うよ―
最後の殺人鬼の心臓を貫いた。
18人の子供とあの人と君と…
…―氷羽―…
―夜歌―
…―お帰りなさい―…
―また…失敗しちゃったよ―
…―大丈夫。何度だって貴方の為に繰り返してあげる―…
―もうやめたいよ―
…―それでも、貴方は望んで繰り返すわ。今はお休みなさい―…
―うん。ちょっと休むね―
…―お休み、愛しの子―…
―お休み、夜歌―
荒廃した地にぽつりと立つ、ぼろぼろのコンクリートの建物。
そこでは、ある研究がなされ、幼い子供達が実験台として殺されていた。
建物内には緑に溢れた中庭がある。暖かな太陽の光が射し込むそこには、18の名が刻まれた石が並んでいた。
そして、ある無機質な一室には3人の人間が横たわっていた。
白衣を着た枯草色の髪の男と、ジーンズに青のTシャツの黒髪の青年の間に、黒服の赤みがかった髪の少年。
少年は男と青年の左手と右手をそれぞれ握って胸に抱いて目を閉じていた。
3人は喉かな休日の昼寝のように幸せそうな顔をして寄り添っていた。
まるで、親子のように。