第一区切り
「っ――はっ、はぁ……っ。しつこいっつの……!」
額を汗がつたう。
神社の境内を全力疾走で走りぬけ、辺りを見回す。
――どこか、隠れないと。
そのとき、神社の影から僕の手を思い切り誰かが引っ張った。
「いっ!?」
な、なんだ!? そう思い、声を上げようと思ったが、小さな柔らかい手が僕の口を塞いでいた。
首をぎこちなく後ろに向けると、赤い着物のような、半纏のようなものを着た少女がにっこりと微笑んで、空いている片方の手の人差し指を立てて「しーっ」と言った。
とりあえずどうすることもできないので、僕はこくこくと頷いた。少女はまたにっこりと微笑むと、僕の口を塞いでいた手をどけた。
「くそっ、あいつどこ行ったんだよ!」
「ここにいるはずなんだけどな……。あっちのほう捜してみよーぜ」
たかたか、いや、ドタドタという五月蝿い足音が遠ざかって行った。
「ふーっ……」
とりあえず、セーフってところか。
緊張からか、また額から汗が滴り落ちた。
「今の子達から逃げてたの?」
そうだ、忘れていた。僕一人じゃなかったんだ。
「え、ああ、うん、そう。助けてくれてありがとう」
「ふふっ、どう致しまして。なんで逃げてたの?」
「……言いたくない」
「そっかぁ」
少女はとくに気にした様子もなく、納得していた。
実際のところ言いたくない、というほどでもないのだけれど、昔父さんに言われたことがあったから言わなかった。
『いいかい、壱之助。壱之助は男の子だ。だから、滅多なことが無い限り泣いてはいけないよ。それと、女の子は男の子が守るものだ。格好悪いところや、弱いところはできるだけ女の子には見せないようにしなさい』
――それが、父さんと僕との約束だった。僕はそれに頷いたのだから、約束したということだ。
いじめられている、なんて格好悪いにもほどがあって言ってはならない。
「君、お名前なんて言うの?」
少女が無邪気な笑顔を向けて聞いてきた。
「壱……」
「いち?」
不思議そうに、小首を傾げる。
「……之助」
「そっかぁ、壱之助くんっていうんだ。いいお名前だね」
良い名前、なんて言われたのは久方ぶりだった。
皆古臭いと言って、僕の名前をバカにした。
「そう……かな」
「そうだよ。かっこいいお名前ね。私は一花っていうの」
「いちか?」
「そう。数字の一に花でいちか」
随分、可愛らしい名前だと思った。
明るくて可愛い、少女にぴったりだ。一輪の花と書いて、一花。
「一花、助けてくれてありがとう」
「うん。壱之助くんが助かってよかったわ」
一花はクスクスと笑った。
よく表情の変わる、明るい子だ。
よく見ると、一花の着ている着物は、汚れていた。色も随分と褪せていた。
もしかして、一花も貧乏でいじめられていて、それで僕を助けてくれたのかもしれないと思った。
「じゃあ僕、そろそろ帰るよ。母さんが心配しちゃうから」
「うん、またね壱之助くん。よかったらまた、この神社に来てね」
「うん、分かった」
僕は一花に手を振りながら、神社の階段を下りて行った。
途中、一花はなんでまたこの神社に来てと言ったのかと思った。一花はあの神社に住んでいるのだろうか。いや、そんなはずはない。
いつだったかは忘れたが、もう十年以上前にあそこの神社に人は住んでいないはずだ。昔母さんからそう聞いた。
それじゃあ、一花はあそこによく行くのだろう。それできっと、僕にまた来てと言ったのだろう。
そう結論付けた頃、僕は丁度神社の階段を下りきった。