王子の視線が痛いです……
「……もう、後がないわ」
学園の中庭、噴水の前で私は震えていた。
私の目の前のウィンドウには、血のように赤い文字で最終通告が刻まれている。
【緊急ミッション:公開罵倒】
[アルフレッド王子の前で、ヒロインを完膚なきまでに罵り、身分の差を叩きつけてください]
[失敗した場合、即座に『崖からの転落死』シナリオへ強制移行します]
「崖は嫌! 高いのは絶対に嫌よ!」
私は心の中で絶叫した。
向こうから、アルフレッド王子と親しげに歩いてくるクロエの姿が見える。
王子は、前回私が(激辛クッキーで)気絶させたことをまだ根に持っているのか、私を見る目がどこか険しい。
「……来たわね。よし、いくわよ!」
私は、前夜に必死で書き連ねた『悪口リスト』を脳内で展開した。
不細工、無能、厚顔無恥……。よし、完璧。
「お待ちなさい! クロエ・フォン・ルミナス!」
私は扇子をバサリと広げ、二人の前に立ちはだかった。
アルフレッド王子が眉をひそめ、クロエを庇うように一歩前に出る。
「エルゼ、また君か。今日という今日は、彼女を侮辱することは許さないぞ」
(願ったり叶ったりよ、王子! ぜひあなたの前で、彼女をボロクソに言ってやるわ!)
私は、震える唇を無理やり吊り上げ、クロエを指差した。
「よく聞きなさい、クロエ! あなたのその、あまりにも……あまりにも、ひたむきな努力の跡が見える指先! 毎日図書室で、平民出身のハンデを埋めるために血の滲むような予習をしている姿! 醜いわ!!」
「……え?」
クロエがポカンと口を開ける。王子の眉間にも深い皺が寄った。
違う、間違えた。噛まないよう必死で、肝心なセリフを間違えた。今の褒めてる。次よ、次!
「それだけじゃありませんわ! あなたのその、春の陽だまりのような温かい笑顔! 困っている人を見れば、自分のことは後回しにして駆け寄るその愚直なまでの善性! 見ていて反吐が出ますわ! あなたのような、誰もが守ってあげたくなるような愛らしい少女が、この学園にいること自体が間違いなのですわ!」
私は息を切らしながら、一気に捲し立てた。
……あれ?
おかしい。悪口リストから言葉を選んでいたはずなのに、私の口から出たのは、日頃からクロエを見ていて「本当にいい子だなぁ」と感心していた本音の垂れ流しだった。慣れない事と、極度の緊張で脳が機能不全に陥っているみたい……。
「だ、大体、何ですの、その透き通るような瞳は! まるで一点の曇りもない宝石のようで、私の汚れた心を見透かされているようで、不快極まりないですわ! あなたのような聖女のような存在は、もっと神殿の奥深くにでも祭られているべきですのよ!!」
私は最後に「おーっほっほっほ!」と付け加えた。
これで、身分の差(=神殿の奥にいるべき)を叩きつけたはずだ。でも、崖落ちイメしたせいで、もはや自分でも何を言ったかすら覚えていない始末。
…………シーン。
沈黙。
噴水の音だけが、シュワーと虚しく響く。
「……エルゼ様」
クロエが、感極まった様子で両手を頬に当てた。
「私の……指先の努力まで見ていてくださったんですね……! 私、エルゼ様にそんな風に思っていただけて、もう、感激です!」
「違う、今の罵倒よ! 最大級の侮辱なんですのよ!?」
私は必死に否定したが、背後からシステムメッセージが非情な音を立てる。
【判定:失敗】
[罵倒の内容が『究極の称賛』であると認識されました。ヒロインの好感度がMAXを突破しました]
[警告:心臓停止まで残り10秒……5……4……]
(死ぬ! 私、死ぬんだわーーーー!!)
心臓麻痺に備える。
私が顔面蒼白になり、自分の胸を抑えて膝をつこうとした、その時。
「……ふっ、はははは!」
突然、低く笑い声が上がった。
顔を上げると、そこにはお腹を抱えて笑うアルフレッド王子の姿があった。
「な、何がおかしいのですか、王子!」
「いや、済まない。君がこれほどまでに……これほどまでに『不器用』な人間だったとは知らなかった」
アルフレッド様は笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭うと、今までに見たこともないような、興味深げな眼差しを私に向けた。
「君は、彼女を貶めるために呼び止めたんだろう? なのに、口から出るのは彼女へのリスペクトばかり。……エルゼ、君はもしかして、自分を悪役に仕立て上げてまで、彼女の良さを周囲に知らしめようとしているのか?」
「はあ!? そんな高度なこと考えてませんわよ! 私はただ、彼女が憎たらしくて!!」
混乱する私を、王子は一歩踏み込んで覗き込んできた。
「君という人間が、少しわからなくなった。以前の君なら、もっと冷酷に言葉を選んでいたはずだ。……今の君は、なんだか、放っておけない危うさがあるな」
【緊急回避:一部対象(攻略対象)がバッドエンドルートに同行不可になった為、ルート修正の為、一時的にペナルティを保留します】
(保留……! 助かった、のかしら?)
私は王子からの「興味津々」という熱い視線と、クロエからの「崇拝」の視線に挟まれ、逃げ場を失った。
「……わ、わたくしは、忙しいのです! これで失礼しますわ!」
私は再び、マントを翻して全力で逃走した。
背後でアルフレッド王子が「エルゼ! 次の茶会、私の隣を空けておくよ!」と叫ぶ声が聞こえたが、私は耳を塞いだ。
ダメだ。
悪役をやろうとすればするほど、死ぬはずのフラグが、なぜか「逆ハーレムフラグ」に書き換わっている気がする。
「私……本当に死なずに国外追放程度になれるのかしら……」
夕暮れの廊下、私の嘆きは誰にも届かず、システムだけが非情に【好感度上昇中】の文字を点滅させていた。




