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地獄のキッチンと、天使の味覚

「ふ、ふふふ……これぞ、悪魔の果実。これで彼女を絶望の淵に叩き落としてやりますわ……!」


 深夜の公爵家厨房。私は、不気味に赤黒く光る物体を手に、怪しく(震えながら)微笑んでいた。

 手に持っているのは、隣国から秘密裏に……というか、普通に「珍味」として輸入した超激辛香辛料『ドラゴンの吐息』だ。


【システム警告:悪役ポイントが枯渇しています】

[次回の接触で『明確な身体的苦痛』を与えられなかった場合、心臓機能を50%制限します]


「心臓制限って何!? 息苦しくなるやつでしょ、絶対嫌よ!」


 システムさん、今日も今日とて容赦ない。

 前回の「紅茶事件」の後、なぜかヒロインのクロエちゃんから「エルゼ様、お洋服大丈夫でしたか?」と心配の特攻メール(魔導手紙)が届いたせいで、私の悪役ポイントはマイナスに振れかけているのだ。


 だから、私は決意した。

 本物の毒は、さすがに私の良心が爆死する。だから……食べたら口から火が出るほど辛い、「概念としての毒」を盛ることにしたのだ。


「いい、エルゼ。これは教育よ。世の中には、見た目が可愛くても中身が地獄のようなものがあるって教える、慈悲の心なのよ……!」


 自分に言い聞かせながら、私はクッキー生地に『ドラゴンの吐息』をドバドバと練り込んでいく。

 ……あ、目に染みる。痛い。これ、混ぜてるだけで涙が出てくるんだけど。


 三時間後。

 見た目だけは、最高に美味しそうなピンク色のハート型クッキーが焼き上がった。

 私はそれを、これ以上ないほど可愛らしいフリフリのラッピングバッグに入れ、リボンをかけた。


「……あ。ダメだわ。これじゃ『プレゼント』に見えちゃう。悪役らしくしなきゃ」


 私は震える手で、ラッピングの上にドクロのシールを貼り付けた。……が、あまりに物々しくて怖かったので、その横に「てづくり♡」という付箋を貼った。

 矛盾がすごい。でも、これが精一杯の妥協だった。


 翌日の放課後。図書室の隅で熱心に自習しているクロエを見つけた。

 私は、取り巻きを装った「緊張で顔が引き攣っている私」として、彼女の前に仁王立ちした。


「クロエ・フォン・ルミナス! 勉強なんて、身分不相応なことをしていますのね!」


「あ、エルゼ様! ごきげんよう!」


 クロエが花が咲くような笑顔で顔を上げる。眩しい。その光で私の汚れた魂が浄化されそう。

 いけない、私は悪役。ポイントを稼がないと心臓が腐る。


「これを受け取りなさい! わたくしの手作りですわ。……ふ、ふふ。中には『毒』が入っていますから、覚悟して食べることね!」


 私は、ドクロシール付きのクッキー袋を机に叩きつけた。

 よし、言った! 「毒」って言ったわよシステムさん!


【判定:悪役発言を検知。実行を見届けた場合、大量ポイント付与】


「えっ、手作り……!? 私のために、エルゼ様が……?」


 クロエは「毒」という言葉を綺麗にスルーし、ハート型のクッキーを見て頬を染めた。

 彼女はためらうことなく、袋を開ける。

 待って。それ、本当に辛いのよ? 一口食べたら水三リットルは必要になる代物なのよ? 水中毒になるわよ?


「いただきます!」


「あ……」


 止めようとした手は空を切った。

 クロエの小さな口が、真っ赤な『ドラゴンの吐息』入りクッキーをサクッと噛み砕く。


 一秒。

 二秒。

 クロエの顔が、一瞬で茹で上がったタコのように真っ赤になった。

 瞳にはみるみるうちに涙が溜まり、震え出す。


「ひっ、ひぐっ……、はぁ……っ!!」


(やった……! 悪役ミッション成功! ……でも、ダメ、耐えられない!)


「ちょっと、クロエちゃん! 大丈夫!? ごめんなさい、今の冗談よ! はい、これお水! 飲んで! あ、氷も必要かしら!? ほら、牛みたいな牛乳よ!!」


 私は椅子を蹴倒し、彼女の肩を掴んで揺さぶった。

 悪役令嬢がヒロインを必死に介抱する。図書室の静寂が破られ、周囲の視線が突き刺さる。


「……何事だ、騒がしい」


 その時、図書室の入り口から低く心地よい声が響いた。

 プラチナブロンドの髪に、冷徹なまでに整った美貌。この国の第一王子であり、ゲームのメイン攻略対象、アルフレッド殿下だ。


「アルフレッド様……っ!」


 私は冷や汗を流した。まずい。ヒロインを(辛味で)虐めている現場を王子に見られたら、即座に国外追放ルート一直線ではないか。


「エルゼか。また君か……。クロエ嬢が泣いているようだが、一体何を……」


 アルフレッド様が、机の上のクッキーと、涙目のクロエ、そして慌てふためく私を交互に見た。

 私は覚悟を決めた。


「そ、そうですわ! わたくしがこの泥棒猫に毒を……っ」


「……これ。すごく、美味しいです……っ」


「……え?」


 私の言葉を遮ったのは、クロエの声だった。

 彼女は、涙を流しながら、鼻を赤くして、ニコリと笑ったのだ。


「この刺激……身体の芯から熱くなって、なんだか元気が湧いてきます! エルゼ様、私の冷え性を心配して、こんなに特殊なハーブを配合してくださったんですね……!」


「は……? え、あ、ええ。そうよ、当たり前じゃない。……感謝なさい!」


 私は反射的に扇子で顔を隠した。

 システムログが流れる。


【判定失敗:対象が『深い感謝』を抱いたため、悪役ポイントの獲得に失敗しました】

【警告:『不器用な優しさ』ボーナスが発生。好感度が上昇しました】


(嘘でしょ!? なんでそうなるのよ!!)


「……ほう。手作りか。エルゼ、私にも一枚くれないか?」


 アルフレッド様が、なぜか興味深げにクッキーに手を伸ばした。

 私は叫んだ。


「ダメです!! それは王子が食べていいものでは……!」


「……遠慮するな」


 パクッ。

 王子がクッキーを口にする。

 直後、彼の彫刻のような美貌が、見たこともない形に歪んだ。


「……ぐ、ふっ……!? げふぉっ、ごほっ!!」


「殿下ーーー!? 誰か、王宮医を! 早く王宮医を呼んでーーー!!」


 図書室は、前代未聞の大混乱に陥った。

 王子の口から魂が抜けかけているのを見ながら、私は確信した。


 悪役令嬢を演じるの、難易度高すぎませんか……!?

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