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虚白の観察日誌2  作者: 荒屋朔市
2日目

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9/30

夢見

寝ている間だけでも良い。心安らぐ夢を。


 朝食を済ませた僕は妹とエシュを引き連れ、書庫に向かった。

 扉を開けた途端、妹は歓声を上げて、絵本コーナーに駆け出す。エシュは長椅子で寝転がり、僕は小説の続巻を探し歩いた。


「ロエル様、大変お久しぶりです。読書会以来ですね?」


 急に話しかけられて振り返る。そこに立っていたのは使用人の服を着た若い男だった。


 なぜ今の僕と当時の僕が同一人物であると分かったのだろうか? 肌の色も名前も、あの頃とは違うのに……。

 訝しんでいると、彼は布の下で笑っているような気配を見せた。


「すぐに気づきましたよ。かつて、私も読書会に通っていましたから」


 そうか。ここに仕えている人は皆、下層街から移り住んだ異種族。読書会で読み書きや礼儀を学んだ子供たちが、住み込みで働いているのだ。


「ええ、覚えていなくとも無理はありません。私たちのような者にロエル様は無関心でいらっしゃいましたから」


 彼は態とらしい仕草で続ける。


「ですが、ミシャのことは覚えておいででしょう? 唯一心を許した友人とも呼べる存在……」


 不躾な奴だ。こんな奴に構っている時間が惜しい。

 すぐにでも会話を切り上げ、立ち去ろうと、僕は身を翻した。なぜか身体が重く、思うように進めない。


「忘れるはずありませんよね。だって、ミシャは……」


 すぐに追いついて立ちはだかった彼が、顔の布を取り払う。その下には、あるべきものが何もなかった。



 僕は身体を跳ねさせながら目を覚ました。激しい動悸が喉を締めつける。すぐ目の前では、妹が微かな寝息を立てていた。


 部屋を見渡した先で、エシュの黄金色に輝く瞳がこちらを見ている。僕が悪夢にうなされている間も、ずっと聞いていたのだろうか。


 ◇


 翌朝、文机に向かって昨夜の出来事を整理した。

 古代魔術が衰退した現代において「管理可能な生物」を演出するには、事実を曲げないまま、科学的知見でまとめなければならない。


 書き終えたところで、朝食を知らせるノックが響いた。



 朝食を終えて食堂を出ると、僕は妹の手を引いて書庫に向かった。

 廊下を歩く妹は珍しく上機嫌だった。昨日の屋敷内探検で少しだけ恐怖心が薄れたのもあるだろう。絵本が楽しみなのかも知れない。エシュは無言でついて来る。


 扉を開けた途端に、紙とインク、微かな薬草の匂いが鼻をくすぐった。圧倒的な蔵書量に、妹が小さな歓声を上げてピョコピョコと跳ね、僕の手を引っ張った。


「エル、見て。この本、挿し絵がたくさんあるの。『花』だって。これ、こっちも可愛い」


 妹が広げていたのは地上の植物図鑑だ。詳細な挿し絵に惹かれたらしい。


「……それ、本物? 想像で描いたのじゃない?」

「本物だよ。こっちの葉っぱは見たことあるでしょ? 今朝のスープに添えられていたハーブ」


 目を輝かせてページをめくる姿に安堵し、僕も読みかけ小説の続巻を探して回った。


 途中、本棚に寄りかかって腕組みをしているエシュを見つけた。立ったまま仮眠を始めたようにも見えているが、その耳は今も音を拾っているのだろう。

 小説の次は、神話か歴史書を探すことにした。



 この屋敷の給仕たちは、朝食の片付け後に書庫で休憩を取る習慣があるらしい。その時間になると、エプロンを外した給仕たちが書庫を訪れた。


「あら、お客? ……困ったわね」

「お客様が使用中みたい。厨房に戻ろうか?」


 気を遣って声をひそめているが、全部聞こえてきた。居心地の悪さを感じて本を閉じる。


「あの、皆さん僕たちに構わず休憩してください。もう部屋に戻るところなので」


 屋敷を案内して貰った影響か、あるいは、行く先々で慣れない挨拶を試みた効果か。給仕たちの態度は少し柔らかくなったように思う。


「いえ、そんな……」

「お言葉に甘えさせていただきましょう?」


 種族や立場の違いによる隔たりが、独特の距離感を生んでいる。この感じが、どうにも落ち着かない。


「よろしければ、お手伝いしましょうか?」


 給仕の一人が僕の抱える本を見て申し出た。図鑑三冊と小説と建国神話や国史書、合わせて十数冊。確かに重い。僕は奥の手、「神頼み」を使おうと振り返る。

 最後に姿を見た場所、そこにエシュはいなかった。


「休憩中なのに、ご迷惑では……?」

「いえいえ、お気になさらず」



 結局、図鑑を部屋まで運んで貰うことになった。彼女たちの会話が耳に入ってくる。


「あの頃は、お菓子目的で通ってたわ」

「うちの子も。パン一つを分け合った日、家に帰ってくるなり、お母さんにあげるって」

「私も、読書会がなかったらと思うと……」


 やはり彼女らは読書会の出身者と関係者たちのようだ。印象的な出来事を挙げ、世代の違いを笑ったりしている。

 レナは何年前から読書会を主催していたのだろう。


「……でも、あの子、こっちで見かけないわね?」


 給仕の一人が、ふと思い出したように言った。


「あの子って?」

「ほら、くるくるの金髪に明るい元気な笑顔で、街の人気者だった子」


 ありもしない既視感に似たものがざわめく。


「実家の店を継ぐ人もいるでしょう?」

「それもそうね。あの子が店番をしたら、どんなお店でも、人だかりができそうだわ」


 懐かしそうに笑い合う彼女らの会話を僕は黙って聞いていた。



 給仕たちは文机に本を積み重ね、部屋を去って行った。扉が閉められた途端、僕は寝台に突っ伏した。本探しとは別の疲労感がのしかかる。

 その横に妹が腰掛けて、何を思ったのか僕の頭を撫で始めた。手の温もりが、ザラザラした何かをなだらかに落ち着かせてくれる。


 ふと、顔を上げて部屋を見渡した。


 エシュがいない。書庫から姿を消して、まだ部屋に戻っていないなら、また中庭へ行ったのだろうか? あの「水の声」に呼ばれて。


 僕は壁に掛けられた風景画を見つめた。そこには密集する植物に囲まれた透明な溜め池が輝いていた。

 

 

本の中だけが安全地帯。絵画の中も良さげですね。

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