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【闇堕ち直前】主人公の色なし観察日誌2  作者: 荒屋朔市


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6/12

生体情報の交換

そう聞くと、何だか少し嫌らしい。


 僕の要求に対し、エシュが無言で寝台から降りる意思を見せた。それを見届けた僕は、椅子を机の下へ押し込んで、敷布団を寝台から床へ移動させる。

 呆れるほど鈍感なエシュにとって、寝る場所が柔らかい草の上か硬い岩の上かなんてことは些事だ。そもそも「古泉」には、ふかふか敷布団がなかったのだから。

 僕は空いた寝台に、妹が抱えて持ってきた布団を敷き直した。


「ユラ、ここなら大丈夫」


 妹は床の布団に座り込んだエシュを遠巻きに警戒しながら、寝台へ駆け寄って布団の中に潜り込む。僕も発光菌ランプに布をかけ、妹の隣に滑り込んだ。


 妹の寝息が聞こえ始めるまで、そう時間はかからなかった。緊張の糸が切れたのか、疲れていたのに眠れずにいたのかは分からない。僕はそっと身を起こし、ランプの布を捲って文机に向かった。


 広げられたままの日誌は、まだ数行しか埋まっていない。昨日のうちに必要な情報交換を済ませておいて正解だった。

 ペン先をインクに浸し、僕は昨日の「触診結果」を記録すべく、適切な文章表現を模索した。


 ◇


 朝夕の食事に加え、香りの良いお茶と焼き菓子が、給仕によって運び込まれ、食器が回収されていく。部屋の扉に鍵はかけられていなかった。抜け出そうと思えば可能だっただろうが、妹に会える機会を逃すわけには行かない。


 他にやることもないため、日誌にエシュの食事量、排泄と睡眠の不必要性など、凡そ生態とも呼べないものを詳細に記録していった。

 エシュは飲食するが、必要性や限界量については未知数だ。そう推察する根拠として、排泄現場を見たことは一度としてない。無論、他人に見られながら堂々と行為に及ぶ奴の品性は疑うが、むしろ隠すことを憚っていそうなのがエシュだ。痕跡すら残さないなど、異常としか言いようがない。

 仮説「食物をエネルギーに変換する効率の高さ」を示唆するとして、この軟禁生活中の要観察項目に加えようと思う。



 エシュと出会ってから「神の古泉」での生活中に得た情報を書き出し、まとめるには時間がかかりそうだ。気分転換も兼ねて、今できることを優先しよう。


「日誌に記録するため、君を観察したい。触っても構わないだろうか?」


 寝台で寝転がっていたエシュは、視線と無言を返した。拒絶らしい拒絶をされない限り、了承と受け取って問題ないはずだ。

 僕はエシュの手に触れた。褐色の肌は、生身の人間と変わらない程度の温度と弾力を持っている。皮膚の下の骨や血管の感触、筋肉の隆起を観察し、首筋に触れて呼吸と脈拍も調べる。

 爪の先、毛先の質感に至るまで、決して移ろわない。本物の野蛮人なら荒れているのが普通だろう。まるで絵画や彫刻にあるような完成された美だ。

 胸に耳を押し当てて、呼吸音や鼓動を探す。規則的で常識的な音のみが繰り返されている。


「出会った頃と比べれば上達したと思う」


 共同生活をする中で違和感に気づくこともあったから、何を見つけても大きな驚きはない。エシュの肉体が常識を超えたものであることを改めて確認できた他、大きな成果はなかった。


「努力は認めるけど、細部をもう少し丁寧に再現できない? そうしないと屋敷の人たちを騙せないよ。その雑さも含めて面白いと思うけど」


 エシュの首に触れながら、大きな手を引き寄せて僕の首に触れさせる。


(それとも、屋敷の住人は既に知っていたのかな? 君は僕の邪魔をして、ハンカチの持ち主である彼女の味方をした。僕と出会うよりも前から彼女が君の主だったなら、その行動に納得がいく。君は誰の味方なんだ?)


 そんな考えを口に出さないまま、僕はエシュの瞳を見つめる。琥珀色の中から見つめ返す僕と目が合っただけで、返答はなかった。体温に似た心地よい温度を指先から交わす内に、呼吸と脈拍の間隔が重なる。

 エシュのそれが緩やかなものへ変化していく。観察している内に、僕自身の鼓動も穏やかさを取り戻している。どちらが模倣しているのか、その境界さえも解け崩れていく感覚。


 ◇


『仮説:摂取した有機物をエネルギーに変換する効率が極めて高い、あるいは物質を体内で分解・消滅させる未知の器官が存在する可能性』


 人の形をしているように見えているが、その本質は人間の理解を遥かに超えた『何か』だ。

 エシュという存在の底知れなさに、僕は恐怖よりも、ある種の知的興奮のようなものを覚えていた。


 ペンを止め、書き上げた文章を見返す。

 恐怖から逃れたいがために自分とは違う者を忌み嫌い、排除せずにはいられないのが人の性。特に、この閉鎖的な国では、それが顕著だ。

 もし、この情報をありのまま提出したら?


「彼は人間ではありません。極めて高度な擬態能力を持つ、未知の捕食者です。生命体ですらない可能性もあります」


 そんな報告は、保守派がエシュを「処分すべき怪物」と断定し、革新派が「解剖調査すべき実験動物」を我もとに寄越せと主張する現状を後押しするだけだ。

 どちらに転んでも、エシュに未来はない。そして、エシュの「管理者」である僕は最悪の場合、実験動物と一緒に檻の中だ。


『排泄に関しては、個室内の設備を使用していると思われるが、未確認』


 嘘は書いていない。確認していないのは事実だ。


『肉体構造は成人男性と大差ないが、基礎体力が著しく高い』


 これも嘘ではない。大差ないように「見せかけている」だけだ。

 僕は調べ尽くした情報の中から、知られても問題がない情報、政治的に利用しやすい情報を選別すると決めた。

 

 インクの蓋を閉め、寝台の方を振り返る。妹の安らかな寝顔と、床で丸まっている背中。守るべきがどちらかは明らかだ。何の力もないのに、それでも失いたくない。

 この矛盾と傲慢に満ちた均衡を存続させるために、ペンで事実と虚構の境界線を引こう。


 明日は、屋敷内を見て回れるよう提案してみようか。エシュの反応を確かめるためと言い訳すれば、大抵のことは融通してもらえそうな気がする。

 ランプに布を被せ、妹の隣で目を閉じた。

 

 

そう感じたとすれば、心が汚れているせいです。

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