遠征
お疲れ様る。
議会という戦場を潜り抜けた翌朝。僕と妹は「古泉」へ向かう準備をしていた。エシュは所定の場所に落ち着き、荷造りを黙って観察している。
「随分と軽装だな。護衛もつけずに行くつもりか?」
朝食後、隠し通路のある廊下に立つと、壁に寄りかかっていたサハルが声をかけてきた。私服に剣帯という格好で、鋭い眼光を僕の背後の少し高い位置に向けている。
振り返ってエシュと視線を交わし、正面に向き直った。
「夕食までには戻る予定です」
「ガキ二人と不確定要素。何かあった時、誰が収拾をつけるんだ?」
舌打ちに続き、苛立ちを隠そうともしない声。物騒な場所に警護対象を近づけたくないという本音が透けて見える。そこへ、軽やかな狩猟装束に身を包んだレナが、どこからともなく現れた。
「いいじゃない。私も行くわ。上には『現地調査』って報告するから、文句はないでしょう?」
その背後には、大きなバスケットを抱えた若い給仕が二人。結局、密やかな遠足は、大掛かりな遠征へと様変わりしてしまった。
◇
北門を潜り抜けて、階段を下りた先。そこには、僕の記憶にある光景よりも鮮やかな「光の庭園」が広がっていた。
地底湖の水底から湧き立つ仄かな青白い光と、やや黄味がかった発光キノコの光。
「……きれい」
僕の手を握りしめ、青白い湖面を見つめた妹が感嘆を漏らす。
「何度来ても気味が悪い。不用意に歩き回るなよ」
サハルは不機嫌な顔で周囲を検分し、危険が隠れていないかを確認してから、ようやく剣の柄から手を離した。その間、水際から少し離れた岩棚に、給仕たちが絨毯を広げた。
僕は妹と手を繋ぎ、湖畔に沿って歩いた。壁画や珍しいキノコが自生している場所、岩壁の窪みを見て回った。色とりどりの花と木の実。柔らかい苔と芝草。
湖面へ視線を落とすレナを見つけた僕は、妹を給仕たちに預けてから問いかける。
「……先生。ひとつ、確認しても良いですか?」
「何かしら?」
ブーツの爪先で足元の土を弄ぶ。そこに生い茂る苔は、湿り気を帯びて柔らかく、弾力があった。
「過去の『神降ろし』についてです。下層街の演目では救世主が民を導いたとありますが、書庫の記録では、その依代は残骸と泥を捏ね上げて造られた。と、記されていました」
「ええ。祈りと供物を捧げて神を呼び起こした。それが『神降ろし』の起源」
彼女は過剰に褒めることもせず、話の続きを促すように視線を返した。
「今回の召喚は『失敗』とおっしゃいましたが、この現状が失敗だとは思えません」
僕は湖畔の向こう岸、茂みの陰に佇むエシュを見る。
「一人が完全な権能を保持していれば、内乱は終わったでしょう。でも、それは一方的な蹂躙を招いたはずです」
深く息を吐き、レナは僕の頭を軽く小突いた。
「そうね。誰か一人が『完全な力』を手にしていたら、ここを訪れる自由もなかったかも知れないわ」
国も一族も劇的な救済を得ることはなかった。代わりに、「神の分霊の顕現体」と言う隣人を得た。
エシュの公式名を「クォル」に決めたのは、役割や運命で縛りたくなかったからだ。先送りにされた課題は、現代人の知恵か、あるいは「顕現体」と協力して解決策を探していくしかない。
背後から足音が近づいてくる。振り返ると、サハルに付き添われた妹が、こちらへ歩いてくるところだった。
いつの間にか、手を繋げるほどの信頼を勝ち得ていたようだ。異性への警戒が特に強い妹の性質を知らないサハルは、眉間の皺を深くしている。
「淑女のエスコートに、その表情は減点よ。ハル」
嗜める言葉とは裏腹に声色は柔らかい。僕のすぐ側まで来て、はにかむように妹は微笑んだ。
「エル、レナ先生。ごはんの準備できたよ」
◇
絨毯の中心に置かれたバスケットの中には、果物とサンドイッチ。
「見て。これ、エシュが見つけたの」
どこか誇らしげな妹が果実を口に運ぶ。その隣でエシュが木の実を咀嚼していた。散策中に見た覚えのある果実が、いくつか並んでいる。
サハルは食事を早々に済ませると、広い場所に移動して剣を振り回し、型の確認を始めた。その目は時折、湖畔を歩くエシュを追っている。
「ロエル」
レナが、僕の隣に座り直した。
「明日からは、『後継者』として本格的な教育が始まるわ。今日みたいな自由時間は、当分お預けになるけれど、貴方は生贄になるわけではないの」
彼女は湖の底から湧き上がる青い光に目を向けた。
「……分かっています。今日は、ここに来ることができて良かったです」
焦がれるほどに求めて止まなかった静かな場所。
きっと僕がこの地を離れ、街へ行く決意をした理由の一つは、不安に襲われたからだ。生きている実感が次第に薄れて、エシュも僕自身も、すでに存在してないのではと考えるようになった。
そんな気持ちを抱え、腐っていくこともできただろう。視線さえ無視できれば。
何が切っ掛けだろうと、あの日は初めて、人混みにさえ心地良さを覚えるくらい忘れられない日になった。
一歩間違えれば、街の住人を危険に晒す可能性もある無責任な行為だったかも知れない。だけど、行動したから今がある。
いつまで続くか分からない今を大切にしたい。
笑顔を忘れてはイケナイ。




