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虚白の観察日誌2  作者: 荒屋朔市
8日目

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22/30

衣服

積み上げた世界観が音を立て崩壊していく。


 夕食後、僕は書き上げたばかりの紙束をレナの執務机に置いた。


「先生、本日分の観察日誌です」


 レナは書類から顔を上げ、優雅な手つきで受け取る。書類を睨んでいた目が、好奇心に突き動かされるような熱のこもった眼差しへ変化する。その隙に、僕は重要事項を済ませることにした。


「それと、ある噂について確認があります。給仕たちが騒いでいました。『今朝、厨房に彫像のような美男子が裸エプロン姿で現れた』と」


 先を促すようなレナの視線を受け、僕は溜め息交じりに続ける。


「勿論、そんな奇行を先生が使用人にさせるとは思いません。僕が寝ている隙にエシュが抜け出したのでしょう。先生は、ご覧になりませんでしたか?」


 レナは口元を隠し、楽しげに目を細めた。


「ええ。その時の彼は、……そうね。前掛け一つを腰に巻いた奇妙な格好だったけれど、踏み荒らされたキノコに手を差し伸べる姿は、私の知る彼だったわよ?」


 給仕たちの証言と食い違っている。

 レナの言う「私の知る彼」が指し示しているのは、以前に聞いた「炎の鬣を持つ漆黒石のような肌をした少年」だろう。すべての証言が真実なら、誰の目からも違う姿に見えていることになる。

 僕に見えている「赤髪の大男」は、ありのままのエシュなのか? 出会った当初の先入観を引きずって、幻覚を見せられているのではないか?


「……そうですか」


 隠し通せるものなら、そうしたい事項の一つだが、どうすることもできない。僕が寝ている間のエシュを僕自身で観測できない以上、僕一人での解明は不可能だ。

 普段は「無愛想だが無害な大男」という認識に固定されているが、僕の視界や意識から外れた途端に、何が起こるのか?

 その手がかりを妹が見つけてくれることを期待していた一方で、エシュの反発を恐れて閉じ込めもせず、成り行きに任せた結果がこれか。


 子供二人が寝ているだけの部屋に、閉じこもっているのは退屈だろう。そんな考えで徘徊させたのは、僕自身の固定観念かも知れない。頭の痛くなる話だ。


「……いつになく思い悩んでそうな表情ね。平静を取り繕えないようでは、陰謀渦巻く魔の巣窟で苦労するわよ?」


 レナは悪巧みをするような表情で微笑んだ。


「明後日の議会には、貴方とエシュにも出席してもらうわ」


 火を掲げて火薬庫の中へ突っ込めと言うのか?

 睨みつけたくなる目を閉じ、レナに背を向けて、下唇を噛みながら深く息を吸う。エシュの横へ腰掛けた。


「正気ですか?」


 見る人によって姿が変わるなら、敵意を持つ者がエシュを『怪物』と見定めた瞬間に、即処分が決定される。無論、遂行は不可能だ。エシュは必ず反撃する。そうなれば、今回のような捕縛のみに留まらない。


「懸念は理解しているわ。でも、私には秘策があるの」


 微笑みを浮かべるレナは立ち上がり、僕の向かい側の椅子に腰掛けてキノコ茶を啜るエシュを見下ろした。


「中身が定まらないなら、外側から固めるしかない。誰が見ても、それ以外の何者にも見えないような『記号』を纏わせるのよ。こっちへ来て」



 本棚の前に立った彼女が、それを両手で押し込む。

 ぎっしりと本が並べられた棚には、仕掛けが隠されていたらしい。隣の棚の奥行き分まで難なく後退した。カチッと音が鳴り響く。すると今度は、押し込んだ棚を引き戸のように横へ滑らせた。


 その向こうには広い収納空間があった。


 庶民では一生かかっても目にできないであろう豪華絢爛な衣装部屋。呆れるほど圧巻の光景。贅を尽くしたような色とりどりのドレスが並んでいる。

 そこに掛けられていた一つを彼女が手に取る。黒い紳士服だった。首元を絞めるタイ。全身を覆うカッティング。


「例えば、これよ。この服を着ている限り、誰の目にも『主に仕える忠実な影』としか映らないわ」


 この事態を想定していなかった僕は、反応に困って黙り込んだ。


「他には、顔を隠せる儀式用の神官服とか、兜付き全身甲冑。こっちはサハルの案ね。大急ぎで用意させたけれど、ただ隠すだけでは意味がないの」


 決然とした態度で彼女は続ける。


「この服は『制御』の象徴よ。議会の連中が恐れているのは『理解不能な存在』と『圧倒的理不尽な暴力』。でも、執事は『主に服従する理性的な存在』だわ。この服を着た彼が貴方の後ろに控える。それだけで、彼の手綱を握っているという事実を雄弁に語れるの」


 僕は思考を巡らせる。「神を従える権限を持っている」と誇示するための盛大な演出。それは強烈な印象を与えられるだろう。

 想像しただけで傲慢さに吐き気がする。しかし、代替案も出さずに批判するのは無責任だ。僕の信念に反する。


「もちろん、貴方の分もあるわ」


 次に彼女が手に取ったものは、襟元が詰まった深緑の礼服だった。執事服と比べて随分と小さい。


「ロエルは『神の調律者』であり、私の『書記官』。その立場に相応しい格好をしてもらうわよ」


 声は聞こえているのに、情報が入ってこない。

 自身を落ち着かせるために深く息を吐く。動揺を悟られる前に、不自然さを感じさせず、失礼のない形で、この場を離れなければ。

 そのためにも、重要な項目を一つだけ確認して会話を終わらせる。


「替えの服はありますか? まともな服を着せたことがないので、慣れる前に破きそうで怖いのですが?」

「え? ええ、練習用の予備なら用意できるわ。大丈夫」


 僕はエシュのために用意された服を見つめた。

 執事。主の影。それが、生き残るための「正装」であり「拘束衣」になるのか。何とも悪辣で皮肉な話だ。


「明日は忙しくなりますね。そろそろ失礼します」

「ゆっくり休んで」


 会話を打ち切って僕は書斎を後にした。


 胸の辺りがざわめく。眠れそうにない。それなら、机に向かって日誌を書こう。思考を整理するために。


 


 「執事服」を上回る最適解を論理的に説明できなくては、重厚な世界観設定を持つダークファンタジーから、「執事萌え」ヲタク群がるキャラ文芸に様変わりする危機。

 どう乗り越えればいい?

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