俺は便利屋じゃない
お疲れサマル。
「関わりたくありません。命は惜しいですから。これに主人はいませんし、僕を仲介役に据えたところで管理も、ましてや使役など不可能ですよ」
僕は両手で包んだカップに向けて吐き捨てた。壁に並ぶ発光菌ランプの光が揺れる。誰がどんな表情をしているか見たくない。落胆する顔に傷つき、慌てて取り入るような言葉を探してしまう。
「……お前の意思を尊重する」
淡々とした声音で返したのはエシュだった。
他人を切り捨てる自己中心的な選択を提示した僕に対し、怒りも諦念もない。圧力をかけて議論の方向性を正す意図がないなら黙認を選んだはず。そのどちらでもない反応が、僕の胸をざわめかせた。
彼女が視線をエシュに向け、柔らかく微笑みかける。
「声を聞けて嬉しいわ。貴方の意見も聞かせてくれるかしら? 『古泉』の畔で野宿を続けるか、この邸宅で不自由のない暮らしをするか」
隣室の鈍い衝撃が伝わる。机か本棚に硬いものをぶつけたような音だ。彼女は一瞬眉を上げ、給仕に向けて呟く。
「散らかし過ぎたかしら。ちょっと直して来て」
給仕は一礼して隣室に続く扉から出て行った。
エシュを『神の依代』と言いながら、彼女は畏怖を抱いているような素振りがない。同等の知性を持ち、平和的な関係を築ける可能性があることを予め認識していたのだろう。
反対隣のエシュに視線を移すと、半眼に開けた瞼と睫毛越しに僕を見ていた。
眉をひそめ、溜め息を吐く。
横暴な強者に逆らえない被害者を装って、彼女に助けを求める。エシュから解放される算段が、何の意味もなさないような一言で潰えた。
「片割れちゃんには、栄養のある食事と安全な環境が必要だわ。着替えも用意するし、必要なら外出用の変装道具も。悪い提案ではないと思うのだけれど?」
エシュ伝に丸め込めると見込んだように付け加えられた。
外套を腰巻きにした姿のエシュが、今さらオシャレに目覚めるとは思えない。それでも、新情報を見て触れる機会には関心を示す。道案内役として認めていればこそ、本来なら不要なことに気をかけるのだ。
命令や細かい指示を嫌う僕が、些細な言葉尻に不快を示しても放って置くだけ。黙っていることで隠し事を増やしていく性質を持つが、嘘で謀らないのがエシュだ。
僕が彼女の提案を拒絶して帰りたいと言えば、その言葉に嘘がない限り、エシュは聞き入れるだろう。面識がある彼女には手を出さない形で、この場を逃げ出せるかも知れない。
問題は、その後。
深く息を吐き、机に視線を落とした。
「……要するに、管理可能という証拠を上層部に示したい貴方は、その交渉材料を得る。僕は衣食住を保証され、エシュは追われなくなる」
彼女は頷き、穏やかに微笑む。
「ええ。片割れちゃんが望む自由には遠いかも知れない。ここは『古泉』ほど静かではないけれど、安定した生活を得られる。国の干渉も最小限に抑えられるわ」
僕は膝の鞄を握りしめながら言葉を選ぶ。
「観察記録は貴方ご自身か、給仕に任せれば良いのでは?」
「私も忙しい身なのよ。屋敷の給仕たちも、時間外には家族と過ごす自由を認めているの。適材適所に徹しないと何事も上手く回らないわ」
彼女の言う通り、記録係は凡人向きの地味な仕事だ。
空いた皿を回収して、新しい菓子を運ぶ給仕に目を向ける。顔も肌も隠しているけど、給仕は全員が異種族だ。
労働者を使い潰すのは珍しい話でもないが、この女主人は本気で暮らし改善を考えているのかも知れない。嘘であれば、給仕たちから独特の緊張感が伝わるはずだ。
部屋の外へ続く扉は二つ。廊下から入る時に通った大きな扉と、長机の向こうにある小さな扉。
逃げたい。その言葉を何度も捏ね回したが、いつまでも妹を置いて逃げ続けるわけにはいかない。
深く息を吐いて、平静を装った声で僕は条件を出す。
「家に妹がいるはずです。会わせてください。妹が望むなら、一緒に暮らせるよう取り計らってくれませんか?」
ゆっくりと瞬きして、彼女は頷いた。
「ええ。ここに残るなら、妹ちゃんも住人として受け入れるわ。生活と安全は保障する」
視線を横へ流すと、エシュは新しい皿の菓子を眺めていた。これも僕が初めて見る菓子だ。
胸の奥が一瞬だけ軽くなる。でも、安堵するには早い。非力な一個人の選択など権力で簡単に覆され、口約束も反故にされる。
「保証人の書類は妹と話し合った後、二人で署名して提出する形にさせてください」
彼女は頷き、手袋越しに手を打ち鳴らした。
「ええ、構わないわ。交渉成立ね」
それを合図にエシュが低く唸った。
「入っても良いぞ。サハル」
隣室に繋がる扉が開き、金具の擦れる硬い音が混ざる。武装した男の登場で、部屋の空気が引き締まった。
彼の視線が邸宅の女主人、次いでエシュに注がれる。
一歩前に出て、彼女に向き直った。
「交渉は成立した。証人として立ち会ったことを上に報告する。それでいいな?」
この不機嫌な声には覚えがある。名前の響きにも。
「正式な報告は少し待ってもらえるかしら? 妹さんと話す時間が必要なの。十日分の観察日誌と合わせて提出させてもらえる?」
彼女は軽く頷き、落ち着いた声で返した。それに対し、苦労性っぽい疲れた表情の男は深く大きく息を吐く。
「了承した」
二人のやり取りを聞き漏らさないよう僕は神経を集中させる。
その期待を余所に、重要案件は呆気なく終わったらしい。彼はエシュに冷ややかな一瞥を投げた。
「余計なことをすれば猶予は即時に終わるぞ」
それだけ言い残して、廊下へ続く扉から出て行った。彼は下層街で見かけた制服の男だ。武官特有の鋭い目でエシュを睨み、威嚇するような態度で思い出した。
扉が閉ざされ、再び静寂が戻る。
残された空気には、緊張の余韻が色濃く漂っていた。
お前、本当は暇なんだろう?




