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虚白の観察日誌2  作者: 荒屋朔市
エシュ視点2

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19/30

未来

手を掴まれたが最後。


 下層街の市場は熱気に満ちていた。発光菌ランプの薄明かりの下で露店がひしめき合い、髪色も肌色も多様な人間が行き交う。


 色を失くした子供は外套のフードを目深に被り、大男の後を影のように追従する。

 衆目の視線、怒号や叫び声、些細な生活臭。此の観測者は、其れら外部刺激に対して過敏な反応を見せる。影に隠れるようにして通りを歩く内、衆目が自身へ向けられてないと知り、僅かに気を緩めた。


 周囲の店頭に並べられたものを観察し始めるまで、然程かからなかった。真新しい物体に目を見張り、胡散臭い物体は半眼で睨む。

 其れ等と連れを見比べるように、定期的な視認を行う。


 間隔が開き始めた頃、足元に何かがぶつかった。


「……あいた」


 人混みに揉まれ、弾き出された其れは、ひ弱な子供の姿をしていた。転倒しかけた手を掴む。金と薄茶が混じる髪を揺らし、小さな「何か」が顔を上げた。

 驚きに見開かれた眼。其処に見えたものは、左右で明度の異なる緑の瞳孔。

 何かは不思議そうに小首を傾げた。澄んだ鈴の音のような声が口から発せられる。


「えっと? ……アナタは、だ〜れ?」


 問いに答えず、発せられる《声》に意識を傾ける。周囲の雑踏とは明らかに異質な「共鳴音」。


 柔らかな両手で大男の腕に触れた。

 小さな掌が、皮膚の上で硬い感触を探り当てる。観測者が「屈強な肉体」として見ている以上、岩のように硬く、確かな質量を持って其処に在った。


「答えられないの? そうか、名前がないんだね? ボクはジヴ。未来にあるものなら、ボクが探してあげるよ」


 玉のような緑に囲まれた瞳が、遠くを見通すように窄まる。


「ちょっと待って。……うん、見えてきたかも?」


 ジヴと名乗った其れは、未だ世界の何処にも存在し得ない情報を認識した。


「誰も本当のアナタを知らない。だけどね、だからこそ、もっと自由でいいんだよ。流水のように淀みなく、火のように揺れて、煙のように軽く舞い上がる……」


 大男の筋肉質な腕の輪郭が揺らいだ。硬度と質量が消失する。黒い霧のように実体を失い、湯気のように揺らめく。

 彼は自身の腕を見つめた。観測者の認識から外れ、流動的に変化した身体。腕を動かし、物質的な「重さ」が其処に存在しないと気付く。内と外の境界線が溶け、曖昧になっていく現象を事実として記録する。


「ほらね? さっきよりも『今』の方が、ずっといい」


 霧状になった腕を見て楽しげに笑う。まるで袖に腕を通すように、ブカブカな手袋をはめるような手付きで、男の手首から指先へ自身の其れを重ねる。

 乱暴に衝突させることも、掻き乱すこともせず、撫でるような速度と距離を保つ。異物が混ざり込んで、浸食してくる感覚もない。


 突如、視界とは異なる景色が押し寄せてきた。

 レナが「神の古泉」を訪れた日に見た人影。其れが複数集まり、逃げる者を追いかけ、街の外れで検問する光景。小さな逃亡者は、男が腰巻にしているのと同じ色の布を頭から被っている。


(これは大変だ。探しに来た子たち、怒ってるかな? 早く帰らなきゃ……)


 接触部位から、此の現象を引き起こしている「何か」の焦燥と目的が流れ込む。男は抵抗せず、情報の流入を受け入れた。


(また皆んなを困らせちゃった。そろそろケンカを止めて、仲直りしてくれないかな……)

「お互い、もう戻らなきゃ」


 小さな人差し指を立て、自身の口元へ近づける。


「ここで会ったことは秘密ね? 心配させちゃうから」


 霧状の腕から手を離すと、ジヴは雑踏へ向かって駆け出して行く。小さな人影が、他の誰にも観測されることなく光の粒となって消えた。


 直後、色を失くした子供が振り返る。紅い眼が、外套を腰に巻いた赤髪の大男をはっきりと捉えた。


(他人の邪魔になるのに、あんな所で突っ立って……)


 古着を扱う店先から男を観測する子供の呆れたような《声》が囁く。

 小さな観測者の前で、彼は自身の両手をゆっくりと握りしめた。硬い感触。いつもの屈強な身体に戻っている。


 外套のフードを目深に被った子供と腰布姿の大男を観測する《声》。間近に迫ってくるのを感知した男は、色を失くした子供の元へ歩き出す。徐々に集まってくる其々の《声》へ意識を向けた。




次回は、深夜徘徊レベル2。

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