検証
無情で無謀なマッド・サイエンティスト。
震える背中をさすり、妹が落ち着くのを待つ。強張っていた指先に体温が戻った頃、二人で寝台へ移動した。
エシュが戻らない。まだ襲撃の余韻が冷めない中庭に残っているなら、迎えに行くべきだろうか。
妹に事情を説明して、僕は部屋を出た。
中庭は、戦闘の痕跡と修復作業の熱気や湿気、いろいろ混ざった複雑な残り香で、むせ返るようだった。
給仕が掲げるランプを頼りに、縛り上げた侵入者を使用人の男たちが運び出している。本格的な修復は明日以降だろうが、侵入経路となった穴は土嚢と瓦礫で埋め戻していた。
僕が屋敷を訪れた日と同じく、誰もが無言で取り組んでいる。そこから切り離されたように、エシュは壁際にしゃがみ込んで発光キノコを眺めていた。泥水を被り、踏み荒らされたキノコたちは、きっと助からないだろう。
「水脈から侵入してくるって、いつから気付いてた? どうやって、この場所を知ったと思う?」
問いかけると、エシュは首を傾げて応じた。
エシュの能力を索敵に利用して情報を共有できれば、危険な状況も未然に回避できる。そう踏んだが、エシュ本人が知識と経験を積むまでは、連携を取るのも難しいか。
「サハル……さんの傷は深いの?」
そんな会話をしていた時だ。
「ロエルは無事ね。エシュも、ありがとう。おかげで助かったわ」
声をかけてきたレナから、平静を取り繕っているような雰囲気を感じた。
「サハルさんの容態は?」
社交辞令として尋ねると、レナは少し言い淀んだ。
「命に別状はないけれど……傷が深いの。それに傷口の状態も良くないわ。熱が出始めている」
泥に塗れた刃物なんて、毒が塗られているのと変わらない。
「治療師を呼ぶ手配はしたけれど、今後の計画に支障が出るのは避けられないわ」
議会までの今日と明日、会場へ向かう道中の安全も、エシュに頼らざるを得ない。
僕はエシュを見た。いつもと変わらない表情だ。不安や心配は感じない。だけど、サハル本人はどうだろう。仕事のために生きているような軍人が、議会当日に警護対象を離れ、のんびり療養なんて……。
試す価値があるのではないか?
助けたいという殊勝な心掛けではない。エシュの回復能力を確認するには、またとない機会だ。堅物だが、レナとサハルが互いに信頼しているなら、協力を仰げるはず。何も起きないことを確認するだけとしても、試す価値はある。
「……先生、サハルさんの傷を見せていただけませんか? 僕の怪我をエシュが治してくれたことがあります」
粗方の計算を終えてから僕は口を開いた。
「彼自身の傷が回復するのは私も見たけど、貴方の傷を?」
レナの意表を突いたらしい。差し出がましいに留まらず、早まったかも知れない。上手く行かなそうな気がしてきた。
「前例は一度きり。治せる確証はありません」
レナの目が、ほんの一瞬だけ研究者の輝きを見せる。
「……その時の状況を詳しく聞かせてくれるかしら?」
僕は、かつて『灼熱沼』へ向かう前の出来事を思い返していた。
あの時、僕は終わりを覚悟した。怪物に食われて血肉となるなら、それも一つの救済だと、抵抗もせずに自分を明け渡したのだ。だからこそエシュは「我が身の一部」と認識して、僕の破損を修復した。影のように付き纏うのも同じ理由なら、あれに近い状況を「再現」する。
僕たちはサハルが運び込まれた客室へ向かった。
扉を開けた途端に、血と消毒薬の臭いが鼻を突く。サハルは寝台で上半身を起こし、包帯を巻かれた左腕を抱えていたが、エシュを見るなり眉を寄せた。
「……なんだ、ぞろぞろと。見舞いなら結構だ」
「ハル、少しだけ我慢して」
レナが宥めようとしても、サハルは頑なだ。
歓迎されないのは想定内だ。寝台の脇に立ち、エシュに視線を送った。意図が伝わるとエシュは無言で近づき、サハルの腕を見下ろす。自分から治そうとはしない。あの時も、治そうとして治したのではないのだろう。
「ちょっと拝借します」
サハルの右手を掴み、無理やりエシュの手に重ねさせて、三人の肌が触れ合うようにした。
「おい、何を……!」
「動かないでください」
僕は目を閉じ、あの日の感覚を呼び覚ます。エシュの首筋に触れた時、互いの鼓動が重なり合い、境界が溶けていくような感覚。
僕の脈拍は緊張で速い。サハルの脈拍は緊張と興奮で乱れている。対して、エシュの脈拍は面白いほど一定で緩やかだ。
「呼吸を合わせてください。できる範囲で」
僕は呼吸を整え、エシュの脈拍に集中する。バラバラな三つの鼓動が、一つに収束していくように。
エシュは過去の損傷を蓄積しない。呼吸も鼓動も本来なら無駄なのだろう。エシュは観察して模倣する。そのための不要を排して、必要を取り入れた。
外套を水に浸し、揺らして、繊維に絡まった汚れを取り除くように。あるべきが、そこにあるというだけの状態。エシュの腰巻きは後で洗うべきだ。
「……ぐ、ぅぅ……!」
呻り声に気を取られて、目を開けた。
時間が逆巻きされるように、異常な歪みが無理やり正常へ整えられるような強制的な修正。
エシュが手を離し、僕は大きく息を吐いた。膝が震える。誰かに知られる前に座りたい。そう考えた途端、大きな手で肩を引き寄せられた。
サハルは荒い息を吐きながら、震える手で左腕の包帯を引き千切った。そこには傷跡一つない皮膚。最初から怪我など存在しなかったかのような完治だ。
レナが息を飲む。サハルは呆然と腕を見つめ、理解が及ばないものに向ける目でエシュを見た。
「ご協力、有難うございました。おかげで貴重な情報を得られましたが、想定以上に疲れましたので二度とやりません」
それだけ言って軽く一礼すると、客室を出た。日誌に記述すべき項目を脳内で練りつつ廊下を歩く。
『回復現象には、対象との「同調」による自己領域への取り込みが必須である』
エシュを客室に残して来てしまったのではと思い至り、振り返る。琥珀の中の僕が、僕を見つめ返していた。足音も立てずに後をつけて来たらしい。
やはりエシュは鏡だ。そこに何を映し、どう共鳴するかは、見る者に委ねられている。
お疲れサマル。安らかにお眠り。




