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虚白の観察日誌2  作者: 荒屋朔市
7日目

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16/30

淑女

ここで働かせてください。


 七日目の朝。食堂へ入ると、給仕たちが挨拶をしてくる。いつも僕の背後に隠れ、やり過ごしていた妹だが、この日は初めて挨拶を返した。


「おはようございます」


 慣れないながらも精一杯に声を出す。その健気さに、緊張感を漂わせていた給仕も微笑み返した。これに気を良くした妹は、決意を新たにしたような面持ちで席へ向かった。


 レナが朝の挨拶を交わす。それが終わると妹は背筋を伸ばし、真っ直ぐにレナを見据えた。


「レナ先生、お願いがございます」


 その畏まった物言いに、顔を上げたレナは興味を唆られたように微笑む。


「何かしら? ユラ」


 妹は改めて深呼吸してから口を開いた。


「この屋敷に置いていただいている身として、私だけ何もせず、守られているだけでは申し訳が立ちません。私にも、お手伝いをさせていただけないでしょうか?」


 妹の言葉を聞いた給仕たちが驚いたように顔を見合わせた。それだけ妹の申し出は、この屋敷の住民にとって異例な行為なのだろう。

 本来、政治に関わる旧家な家柄であれば、中層の子女が行儀見習いと婚約者候補探しを兼ねて出仕するのが通例。そんな屋敷の仕事を異種族だけで切り盛りさせていることの方が異例だ。


 しかし、それが屋敷の主であるレナの意思なら、妹の申し出は失礼に当たる。僕は止めに入るべきか迷ったが、言葉選びに迷っている間にレナが返した。


「とても良い心がけね。でも、貴女は客人で未成人なのだから、気を使わなくて良いのよ?」

「いいえ。私がそうしたいのです。何もやることがないと不安で、怖いことばかり考えてしまいます。手を動かしていたいのです」


 どうやら妹の意思は固いようだ。レナは少し考えた後、ふっと表情を緩めた。


「分かったわ。では、厨房の手仕事を手伝って貰おうかしら? 豆や木の実の殻剥き、香草の選別なら、怪我の心配もないでしょう?」

「ありがとうございます!」


 内気な妹らしい控え目な笑顔だったが、その瞳は輝いていた。



 朝食後、厨房の片隅に案内される妹の後について行った。

 この時間の厨房は、食器を洗う音や下拵えに勤しむ物音で賑やかだった。給仕たちは最初こそ戸惑っていたが、妹が袖を捲り上げ、豆の皮剥きを始めると、温かい目で見守るようになった。


 妹は昔から、長時間集中して読書をするより、身体を動かすのが好きな性分だ。実家でも豆菓子を作ったり、レナから譲り受けたドレスを解いて、二人分の外套を仕立てたりしていた。その一つが、現在もエシュの腰布として使われているのだが……。


 屋敷に来てから僕の傍を離れようとせず、何も手に付かなかったのは、環境変化と妹なりに遠慮していたせいだろう。


 リズム良い作業音が響く。硬い殻を器用に割り、中の鮮やかな緑色の豆を取り出していく。


「お上手ですね。お嬢様」


 給仕の一人が感心して声をかけた。


「豆はエルの好物だから……」


 少し照れたように妹が微笑む。つられて様子を見に来たエシュが、横から手元を観察していた。妹を真似て籠から豆を掴み取る。

 中身を取り出すため、指先に力を込めた途端、殻ごと圧し潰された豆が隙間から溢れ出た。


「力を入れすぎたら駄目だよ。優しくしないと」


 妹が頬を膨らませる。エシュは自分の手についた緑色の物体を見つめ、舐め取った。


 微かに眉を寄せたエシュを見て、妹と給仕がクスクスと笑う。張り詰めていた空気が少しだけ解れたようだった。

 再び観察をして、次の豆を手に取る。指先の感覚に集中しているのが何となく伝わってきた。今度は綺麗に割れた。中の豆も無傷だ。


「できた! エシュ、すごい」


 妹が手を叩いて褒める。エシュは少しだけ豆と殻の感触を指先で確かめ、次の豆へ手を伸ばした。

 規格外の怪力を制御できるよう修練を積むのは、いつか役に立つだろう。


 これで僕は、妹の面倒を見ていたという言い訳で、日誌提出を遅らせる手を使えなくなった。日誌作成のため、一声かけて部屋へ戻ることにした。



 独りで部屋に戻った僕は机に向かい、書くべき内容を頭の中で並べる。


『観察対象エシュの微細な力加減の制御について』

『妹との協調作業による精神的安定の兆候』


 そこまで書き留めてから、発光菌ランプを見るともなしに眺めた。廊下を巡回する武装した使用人たちの足音と共に、革鎧などの摩擦音が聞こえてくる。屋敷は平和そのものだ。


 今日という穏やかな一日が、喧騒と惨劇前の最後の休日であるような気がした。



 昼の地響きが過ぎていった頃、お茶と豆菓子を盆に乗せた妹が部屋へ戻ってきた。僕は妹の話を聞きながら、和やかな休憩を楽しんだ。



 その夜は、日誌の提出から戻った後も文机に向かった。

 元々寝付きの良い妹は、気疲れもあってか心地良さげに眠っている。エシュは定位置になりかけている扉の横で胡座をかき、目を閉じていた。


 欠伸をして、そろそろ布団に潜ろうかと考えた頃、微かな衣擦れの音に振り返る。エシュが立ち上がり、暗闇の中で瞳を光らせていた。


「エシュ?」


 気になって声をかけたが、反応はない。しばらく様子を見ていると、遠くで物音が聞こえ始めた。

 重く硬い金属が衝突する音と知らない男の怒号。


「敵襲! 敵襲! 正面玄関!」


 鍋底を叩きながら廊下を走る給仕の叫び声。ついに始まったのだ。

 

 

嵐の前の静けさ。

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