石の顔って何? 目とか鼻とか付いてんの?
先生、それ初耳です。
妹の手を握って中庭へ急いだ。
そこでは使用人たちが復旧作業に取り組んでいた。割れ石を片付け、土を均し、粗い砂利石を準備している。
それに混ざって、エシュが黙々と石を運んでいた。二人がかりで運ぶような石も平然と持ち上げ、指示通りに並べていく。周囲の者は目を見張りながらも、土砂をかき集めたり、砂利を運んだりして、それぞれの作業に取り組んでいた。
「待て、こっちが顔だ。……こう、上に向けんだよ」
作業を指揮する年配の男が、腰を押さえながら声をかけている。身振り手振りで石畳の噛み合わせについて伝えようとするものの、エシュは振り返りもせずに石を転がす。ドスンと音を立てて石が収まった。
「お? ちょっと待ってろ。……高さがちげぇや」
偶然か必然か、納得のいく向きに収まったのを見るや年配の男が、視線を低くして石同士の高低差を見比べる。その間にも、エシュは次の石へ手を伸ばした。
「オメェ、待てって……!」
怒号のような声が飛んだ。それには修繕を指揮する責任者として、指導者としての焦りがあった。
僕は離れた場所から様子を眺めていた。あんな風に他人と接するエシュの姿は初めてだ。僕や妹よりも、ずっと屋敷の住人たちと馴染んでいるように見える。
これまでは不器用で力任せな部分しか見てこなかったが、職人を唸らせるほどの速さで石畳の構造を理解して積み直すエシュの背中に、奇妙な頼もしさを覚えた。
その日の夜、僕は日誌を持って食堂へ向かった。
「……地下水路の崩落予知と修繕で見せた怪力ね」
食事を済ませた後、日誌の項目を確認したレナは、その目を輝かせた。
「この『地下水路の崩落予知』についてだけど、その時の声色や表情は? それを見聞きしてどう感じた? 主観を排除しなくていいの。むしろ、貴方を通してエシュがどう『観測』されたかを知りたいのよ」
彼女は教師や政治家というより、純粋な好奇心を刺激された学者や研究者のような表情で語った。
「ねぇ、ロエル。貴方にはエシュがどう見えているの?」
唐突な問いに僕は閉口した。
日誌には「受動的順応」「怪力」「予知」といった事実を並べたが、それは観測者としての記録に過ぎない。僕自身の感情を問われているのだ。
「……危うい存在です。非常識で、世間知らずで、何をするか分からない。目を離した隙に人を襲いかねない猛獣です」
それは管理を任されている者としての義務感というより、保身から出た言葉だった。レナは首を傾げ、微笑を浮かべる。
「それだけかしら? 貴方はエシュが傍にいると、少し安心しているように見えるわ。中庭で彼を見つけた貴方の目は、猛獣へ向けるものではなかったわよ」
僕はスプーンを握り直すように拳を固めた。出会った時の恐怖を思えば信じ難いことだが、そう見られても仕方ないような仕草を見せていたかも知れない。
「日誌には、客観的事実だけを書けばいいと思っていました」
「事実も大切よ。でも、誰かを介してでしか観測できない真実もある」
レナの言葉の意味を理解しようと黙り込んだ。察しの良い彼女は、僕が手こずっていることに気付いたのだろう。
「ねぇ。エシュの外見的な特徴を聞かせてくれない?」
僕は少し考え、最も相応しい言葉を探した。
「赤い癖毛に褐色の肌、筋骨隆々の大男です。琥珀色の瞳孔、獣のような目をしていて、初めて見た時は『人食いの怪物』は実在したのかと思いました」
当時の状況を思い返しつつ淡々と述べる僕に、レナは静かに頷く。そして、意外なことを口にした。
「私には、炎の鬣を持ち、漆黒石のような肌をした少年に見えるわ。初めて見た時から、ずっと」
急に黙り込んだ僕を見て、彼女は悪戯っぽく微笑んだ。
「力強さよりも、未完成な危うさを感じるの。恐ろしい怪物に見えたのは、その時の貴方が、強い不安と恐怖を抱えていたからではないかしら? でもね。だからこそ私は、彼の成長や変化の可能性を信じられるのよ」
僕が見ている姿と彼女の目に映る姿が違う? 俄には信じ難い話だ。
もっと多くの視点から観察しなければ、真実に辿り着けないのかも知れない。気は進まないが、聞き込み調査をする必要がありそうだ。
部屋へ戻る途中、話が終わるまで待つと言い張った妹の手を握り、僕は問いかける。
「ユラは、エシュをどう思う?」
すると妹は考え込むように頭を揺らした。
「まだ怖い。でも、エルが一緒にいる時は少し安心できる」
「外見は?」
「大きくて力持ちだけど、時々、ちょっと子供みたい」
「子供みたいって、どんなとこが?」
具体的に聞き出そうとすると、また妹は頭を悩ませる。
「ん〜とね。真似っこするところ」
「大きい以外の特徴は? ボサボサの癖毛も変わってるよね?」
「うん。……ほんのちょっとだけね」
エシュの能力は、人間の思考や感情の『聴心』能力に留まらず、万物の声から『予兆』を知覚できるのかも知れない。
部屋の扉を開けた僕は、中を確認して背後を振り返った。
「エシュは?」
「大事なお話の途中で食堂を出て行っちゃったきり、見てないよ」
またエシュの姿がない。どうやら部屋を抜け出すクセがついたようだ。
僕は溜め息を吐き、妹を部屋に残して探しに出た。中庭にはいなかった。廊下を進むと、書斎の前で立ち尽くす大きな背中を見つけた。
扉の向こうからは物音ひとつしないが、レナは書斎にいるのだろうか。扉を開けるでもなく、ノックするでもなく、ただ扉の前に立って耳を澄ませている。
その姿は忠実な番人のようでもあり、獲物の隙を窺う獣のようでもあった。少年を思わせる要素なんて、どこにも見当たらない。
で、妹よ。
結局のところ、どんな奴に見えているのかね?




