表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「青菜」

作者: 霧夜シオン


落語声劇「青菜あおな


台本化:霧夜きりやシオン@吟醸亭喃咄ぎんじょうていなんとつ


所要時間:約35分


必要演者数:最低3名

      (0:0:3)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって、性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


●登場人物


植木屋うえきや:裕福なお屋敷に出入りしている植木屋さん。


ご隠居:裕福なお屋敷の主。植木屋さんをやとっている。


隠居奥:ご隠居の奥様。三つ指ついてお出迎え。


植木屋妻:植木屋の妻。ざっくばらんな性格。


辰公たつこう:植木屋の友人の大工。



●配役例

植木屋:

ご隠居・辰公:

隠居奥・植木屋妻:




枕:最近の夏はことのほか暑いですね。年々平均気温が上がって来てます

  。物価も上がって来てます。税金も公共料金も上がってます。

  上がるのは給料所得だけにしてほしいもんですな。

  夏の暑さにも我々人間と同じで名前がついてます。

  猛暑、酷暑こくしょ大暑たいしょ…ちょいと耳慣れないものだと、激暑げきしょ厳暑げんしょ炎暑えんしょ

  …どっちにしてもあまり聞きたくない名前ですな。

  まあそんな事を言っていじめだと思われて暑さを怒らせてもいけませ

  んからそのくらいにしておきましょう。

  江戸時代は小さな氷河期、つまり小氷期しょうひょうきと呼ばれる時代でもありまし

  たが、夏が冷夏れいかばかりだったかというと決してそうではなかったよう

  です。

  ドイツのシーボルト、医師にして博物学者で有名な方ですな。

  彼が1861年に江戸に滞在たいざいしていた頃、温度計観測の結果こんな言

  葉を残してます。

  「七月と八月、江戸湾と江戸および周辺では高温。ときには木陰こかげでも

  摂氏せっし約三四・四度まで達することがある。絶えず南と南東の風が吹く

  。」だそうです。

  現代に匹敵ひってきする恐ろしい暑さですね。

  勿論もちろん、自然の気候変動が大きな原因であったことは言うまでもない事

  かと思いますが、その他にも意外な人為じんい的原因があったんだそうで。

  さきのシーボルトさんはこう続けてます。

  「原因として、この風は地表ちひょうの空気が、黒くて厚い屋根瓦やねがわらによって

  異常なほど暖められた当然の結果である。この黒い屋根瓦やねがわらは巨大なる

  都市の数マイルにも及ぶ面積をおおっている。」

  …。

  確かに黒いものは熱を吸収しますが、まさかの原因でしたね。

  それに幕末の江戸の人口密度は現代よりも密集していたんだとか。

  その人口が日に数度、かまどを使って火を起こして…と考えると、

  空恐そらおそろしいものがありますな。

  さて、そんな江戸の昔、ある裕福なお屋敷で仕事をしている植木屋うえきや

  いまして。


ご隠居:植木屋うえきやさん、ごせいが出ますな。


植木屋:おっ、どうも旦那だんなですか!

    いやあ、そこで旦那がすずんでらっしゃるのを気づきませんで、

    どうも失礼をしました。


ご隠居:貴方あなたがこのところ、毎日毎日うちに来て仕事をしてくださる。

    まこと心持こころもちが良い。

    それにまた、貴方あなたが水をいて下さると、これがまたとても良い

    。

    うちの女どもに任せますとね、水たまりばかりこしらえて、

    どうも思うように水が行きわたらない。

    貴方あなたが水をくと、まるで夕立が過ぎた後のように

    庭じゅうくまなく行きわたる。

    青い葉からしずくが落ちて、そこを通してくる風は涼しいですな。

    

植木屋:いえいえそんな!

    あっしもこうやってお屋敷で仕事させていただいておりますから

    涼しさのご相伴しょうばんにあずかっているようなもので。

    うちの家なんて、風が時々しか来ないもんですからしんどいんで

    すよ。

    何しろ住んでる所が長屋ながやの一番奥の更に突き当たりですから、

    たとえ風が吹いたって長屋ながや羽目はめこすり、

    板塀いたべい越して曲がりくねったあげくにやっと届くんです。    

    そんなだから風がうちのとこに御免ごめんくださいする頃には、

    もうすっかり生暖かくなってますからね。

    こういう風が吹くようじゃ、今晩あたり化け猫でも出るんじゃね

    えかって思うような、そんな風になりますよ。


ご隠居:化け猫が出る風と言うのは面白いですな。

    時に植木屋うえきやさん、貴方あなたはごしゅはお好きですかな?


植木屋:へっ? ごしゅってぇと、さけですか?

    あっしぁ酒ときたらもう、あるってぇとあるだけんじまうんで

    すよ。


ご隠居:ほう、何ですかな、そのあるだけむというのは。


植木屋:えぇですからね、一両あったら一両呑いちりょうのんじまう。

    二両持ってたら二両吞にりょうのんじまう。

    十文じゅうもんしかえってなったら、何とか酒屋に無理矢理むりやり頼み込んで、

    一滴いってきでもいいから売ってもらおうってなるんです。


ご隠居:なるほど…それは本当にお好きなんですな。

    実は今、こうやって庭をながめながら涼んで、一杯やっていたとこ

    でね。


植木屋:一杯? あぁそうですかぁ!

    するってぇと旦那だんなも酒がよほどお好きな方で?


ご隠居:いやいや、よほど好きと言うほどの事もありませんな。

    こんな風情ふぜいで庭をながめながら…ちょいとめるなどというのは、

    おつなもんですからな。

    どうです? 私が一口ひとくち付けただけですが、もし失礼でなかったら

    、あとは貴方あなたが片付けて下さらんかな?


植木屋:えっ?

    片付けてってぇと、あっしにご馳走ちそうして下さるんですか?

    いえね、そりゃあ好きですから、すすめられて断った事はないんで

    すけどね。

    それに、今日の分はそろそろ終わろうかなと思っちゃあいたんで

    すが、まだ仕事中ですからね。

    お断りします、って立派に言ってのけてえんですが、

    あっしがいくら言ったって、はらん中が黙ってねえんですよ。

    お断りしますって言った途端とたんはらん中から「いただいておきなさ

    い」なんて声が聞こえるってェとめ事の元になりますからね。

    ここは素直すなお頂戴致ちょうだいいたしやす。


ご隠居:そうですか、そうしてくだすった方が私もうれしい。

    さあさあどうぞこちらへ、遠慮えんりょなくお掛けになって、

    そのガラスのコップでおあがんなさい。


植木屋:えっ、ガラスのコップ?

    これやっぱりガラスのコップでいいんですか?

    コップって言うのかな、それとも猪口ちょこって言うのかな、

    どっちかなって思ったんですが、そうですか。

    じゃ、この洒落しゃれたので頂戴ちょうだいさせていただきます。


ご隠居:それは上方かみがたの友人から届いた、柳蔭やなぎかげという酒でね。


植木屋:柳蔭やなぎかげ、へぇ…柳蔭やなぎかげってぇとあれですね、

    なんだか幽霊が出て来そうですね。

    じゃ、頂戴ちょうだいいたしやす。


    【一口飲む】


    旦那だんな、これ なおしじゃありませんか?


ご隠居:そうですな、こちらの方ではなおしと言いますが、

    上方かみがたでは柳蔭やなぎかげと言っております。


植木屋:はぁはぁはぁ、一つの物が所が変わると呼び名が変わるってのは

    よくありますね。

    難波なにわあし伊勢いせでは浜荻はまおぎなんて言いますが、その口ですね。

    へえ…そうですかぁ。

    だけど旦那だんな、なんですね。

    こういう時にこういうものもなかなかおつなもんですね、これ。

    驚きました。

    さっぱりしてていいですよ。

    【一口飲んでつぶやく】

    うめぇや、これ。

    それによく冷えてますね。


ご隠居:いやいや、さほど冷えていると言うほどの事もないんだが、

    貴方あなたは今まで日向ひなたで仕事をしていたので、口の中に熱がある。

    それで、そんなものでも冷えて冷たいと感じるのでしょうな。


植木屋:あぁ~なるほど。

    そういやそうですね。日向ひなたで仕事をしていたから口の中に熱が、

    あ、そういやなんだかね、口の中がねばねばねばねばしてますか

    らね、ええ。

    【一口飲んで】

    旦那、これ美味うまい酒ですよ。こりゃあうめえや。


ご隠居:そうそう、そこにこいの洗いがあるから、おあがんなさい。


植木屋:へ? こいの…?

    これ、こいの洗いですか?

    いえさっきからね、なんかあるなって思ってたんですけどね。

    面目めんぼくねえんですが、あっしはこの年になるまでこいの洗いってもの

    は頂戴ちょうだいしたことがねえんですよ。

    なにぶん、初めてなんで食い方がよく分からねえんですが、

    その、どうするんで?


ご隠居:ああ、そこの味噌みそに付けていただくんですよ。


植木屋:あ、これに…。

    あっしは今まで、こいってのは黒いもんだとばかり思ってました。

    ずいぶん白くなりましたねこれ。

    何でしょうね、これだけ洗うにはずいぶん石鹸せっけんを使ったんじゃな

    いですかね?


ご隠居:いやいや、洗いと言っても、別に洗濯をしたわけじゃありません

    から。

    黒いのは皮だけで、身は白いんですよ。

    ま、外套がいとうのようなものですな。


植木屋:あ、皮ですか!

    いやあどうも、知らねえってのはだらしねえもんですな!

    こいのが外套がいとうならウナギは紋付もんつきはかまってやつですかね!

    じゃ、頂戴ちょうだいいたしやす。

    さっそくこれを、味噌みそに付けて…

    【一切れ食べる】

    【三拍】

    へぇ…旦那だんな、これシャキシャキしてて美味うまいもんですねぇ。

    

ご隠居:いやいや、美味うまいと言うほどの事もないでしょうが、

    それはもうごく淡泊たんぱくなもので。


植木屋:あ、たんぱくね。

    そうですねぇ。

    あの、すいませんが旦那だんな、このたんぱくをもう一切れいただ

    きたいんですが、よござんすか?


ご隠居:ええ、遠慮なくおあがんなさい。


植木屋:じゃ、頂戴ちょうだいいたしやす。

    【もう一切れ食べる】

    こらうめえわ。

    旦那だんな、これもよく冷えてますね。


ご隠居:ああ、それならご覧なさい。

    下に氷がしいてあって、その上に乗っているからですな。


植木屋:えっ、氷ですか!?

    ちいと行儀ぎょうぎわりいんですが失礼して…あ、ほんとだ!

    へえぇ驚きましたねぇ!

    自慢じゃねえですが、氷なんてものはひとなつのうちにあっしの

    口の中に一度入るか二度入るか分からねえぐれえのもんですよ。

    下手するとね、お目にかからねえうちに夏が通り過ぎちまいます

    からね。

    それがこうやって、ちょいと氷が欲しいなって思った時にスッと

    出てくるってのは、いやあ、やっぱりお屋敷ですねえ…さすがだ

    なあ。

    ぁそうだ、あの…旦那だんな

    その…餓鬼がきみてえだって笑わねえでもらいてえんですが、どうで

    すかね、この氷をひとっかけ、頬張ほおばってみてもよござんすか?


ご隠居:えぇどうぞどうぞ。


植木屋:よござんすか!?

    じゃ、その失礼して…

    【氷を口に入れる】

    !!!

    くぉーっ!

    くぅーっ!

    【慣れない冷たさにしきりに頬や後頭部を叩いている・三拍】

    くはぁーっ。

    旦那だんな、この氷は冷えてますねぇ!


ご隠居:氷が冷えているというのは面白いですな。

    しかし、貴方あなたのようにそうやって出すもの出すもの、

    何でも美味おいしいと言ってもらえるとまこと心持こころもちが良い。

    時に植木屋うえきやさん、貴方あなたがお好きですかな?


植木屋:えっ?


ご隠居:のおひたしはお好きですかな?


植木屋:あぁ! のおひたしって、青菜あおな

    あっしはもうとくるってぇと、でぇ好きで!!


ご隠居:?でぇすき?


植木屋:ぇっ、ぁあいや…大好き、で…。


ご隠居:ははは、別に言い直さんでもよろしいが、そうですか。

    それではさっそく台所からこちらに取り寄せて…


植木屋:いやいやいや、わざわざ取り寄せてもらわなくたって

    あっしは勝手口かってぐちがわかってますから、ぐるっと回ってね、

    向こう行って女中じょちゅうさんからいただきますから!


ご隠居:そんな事をしては酒の味が落ちますよ。

    まあちょっとお待ちなさい。いま取り寄せましょう。


    【ゆっくり手を二回叩く】

    これよ。


    【ゆっくり手を二回叩く】

    おくや。

    

隠居奥:【ふすまを開けて三つ指ついて礼】

    旦那だんな様、お呼びでございますか?


ご隠居:あぁおくや、植木屋うえきやさんがを好きだとおっしゃるから、

    かつぶしをたっぷりかけてこちらに持ってきてあげなさい。


隠居奥:…旦那だんな様。


ご隠居:?なんだね?


隠居奥:鞍馬くらまから牛若丸うしわかまるでまして、その名を九郎判官くろうほうがん


ご隠居:!…あぁ、そうか。

    じゃあ、義経よしつねにしておきなさい。

    …植木屋うえきやさん、どうもすまん事をした。

    勝手かってごとが分からんと言うのが男のだらしがないところで、

    まだあると思っていたがみんなになってしまったそうだ。

    まあひとつ、お許しいただきたい。


植木屋:いぃえいえ、許すも許さねえもねえんですよ。

    あっしははなっからがねえと思いやそれで済むんですから。

    それよりもあの、どなたかお客さんがお見えになったようですか

    ら、どうぞそちらへおいで下せぇ。


ご隠居:?別に誰も来ませんよ?


植木屋:えっ、でもいま奥さんが…。


ご隠居:?おくは、もうがみんなになってしまった、

    無くなってしまったと、そう言っただけですが。


植木屋:【しばらくぽかんとして】

    ……そういう話は出てなかったような気がするんですがねえ。

    どなたか、おいでになってるんですよね?

    いいんですよ、あっしに気は…使わねえでしょうけども、

    遠慮…遠慮もしねえでしょうけども、

    どうぞどうぞ、あちらにおいでになって下せぇ。


ご隠居:いえ? 誰も来てませんよ。


植木屋:え、いやだって、先ほど奥様おくさまがそうおっしゃってましたよね。

    鞍馬くらまさんとか、牛若うしわかさんがおいでになったとか。


ご隠居:! あぁあぁ、あれですか。

    ははは……まぁ貴方あなたはうちへ出入りされている方だから、

    お話してもよろしいでしょう。

    あれは私とおくとの、隠し言葉というやつで。

    仮に来客のおりおくがそういったものは無い、とか、

    もう食べてしまった、支度したくできない、などと言うと私も気まず

    い思いをするし、お客様もしらけてしまう。

    そこで隠し言葉の出番です。


    「鞍馬くらまから牛若丸うしわかまるが出でまして、その名を九郎判官くろうほうがん。」

    そのは食べてしまったからもうないと言う事で、その

    う。

    それじゃ仕方がないからしにしておきなさい、と言う事で、

    「義経よしつねにしておきなさい。」

    つまり、九郎判官義経くろうほうがんよしつね洒落しゃれで私とおくの隠し言葉というわけです

    な。

    こうすれば、人様ひとさまに知れる事もない。


植木屋:はあぁなるほどなぁ…いや驚きましたねえ!

    確かにそうすればうちの中のはじおもてへ知れねえで済むって話です

    よね!

    いやぁほんと違うなぁ…。

    うちのかかあなんて、家の中でも知らなくてもいいような事を

    わざわざ表へ向かって言うんですよ!

    さっきの青菜あおなの話じゃありませんけど、かかあに持ってこいって

    言ったら大変ですよ。

    三日前に買ったつまみがいつまであると思ってんだい!って。

    あともう何も言えなくなっちゃうんですからね、あっしは。

    しかも朝から晩まで、イワシが冷めちゃうイワシが冷めちゃう、

    ってのべつまくなしに言われたら、あっしが朝昼晩とイワシを

    食ってんのが長屋ながやじゅうに知れ渡っちゃうじゃありませんか。

    いや、そりゃ確かに食ってるから知れたっていいですけど、

    わざわざ人に教えるってのはねぇ…。

    【一口飲む】

    【つぶやく】

    鞍馬くらまから牛若丸うしわかまるが…その名を九郎判官くろうほうがん、ねぇ…

    【酒を注ごうとしてお銚子ちょうしが空になってることに気づく】

    旦那だんな柳蔭やなぎかげ義経よしつねになりました。


ご隠居:ああ、これはとんだ失礼をしましたな。

    では、代わりを——


植木屋:【↑の語尾に喰い気味に】

    いえいえいえ、別に催促さいそくしたわけじゃねえんです。

    あっしも何か言ってみてえなって思っただけですからね。

    これぁ旦那だんなとあっしの隠し言葉ってやつで、へへへ。

    もうね、いや、本当に結構けっこうです。

    じゅうぶんに頂戴ちょうだいいたしましたんで。  

    また明日早くにうかがいやすから、今日はこれでしめえにいたしや

    す。

    どうも、ご馳走ちそう様でした、ありがとうございやした!


    【帰り道で独り言】

    どうだい、違うねえ…これだもんねぇ…。

    鞍馬くらまから牛若丸うしわかまるでまして、その名を九郎判官くろうほうがん

    旦那だんな義経よしつねにしておけ、か…。

    お屋敷ってのはねぇ…どっか違うと思ってたけど、そういうとこ

    まで違うからねぇ…ほんと。

    俺だってよ、そういう事いっぺんぐれぇさぁ…——


植木屋妻:ちょいと、何をぐずぐずぐずぐず言いながら帰って来てんだい

     !

     イワシが冷めちゃうよ、イワシがさ!!


植木屋:…始まりやがったな、こんちくしょう。

    ええ?おうおうおう、イワシを焼くのはいいけどよ、

    なんでぇその焼き方は。ちゃんと焼けちゃんと!

    頭ぐれぇ取ったらどうだ! ちゃんとあたま取って焼けよ!


植木屋妻:贅沢ぜいたくな事言うんじゃないよ。

     こういうところに滋養じようがあるんだよ!

     カルシウ~~ムってのがあんの、カルシウ~~ムっていうのが

     !

     こういうところ食べとくと体を壊さないんだよ!

     だからごらん。犬は風邪ひかないだろ?


植木屋:こンの野郎…犬と俺を並べる奴があるかよ!


植木屋妻:当たり前だよ、お前さんと犬は一緒にならないよ。


植木屋:そうだろう?


植木屋妻:そうさ、良い犬は高く売れるもの。


植木屋:こンの野郎、すきを見て俺を売る気になってやんな!?

    あぶねえ野郎だなこいつは。

    それよりもな、俺ぁ今日ぐれえこんなに馬鹿に感心しちまった事

    はねえんだ。

    いや驚いたよ。


植木屋妻:何言ってんだい。

     二言目ふたことめには感心した感心したって、首かしげて帰って来てさ。

     いったい今日は何を感心したってんだい?


植木屋:おう、お屋敷でな、なんだか気が乗らねえからもう仕事を片付け

    ちまおうと思ってたところよ、後ろで旦那だんなが涼んでらしたんだな

    。

    植木屋うえきやさん、ごせいが出ますね、なんて言われて俺ァ、ドキッとし

    て、はらん中を見透みすかされちまったかと思っちまったよ。

    そしたら旦那だんなが召し上がっていた酒を片付けてくれって飲まして

    くれたんだよ。

    それじゃあいただきますって飲んだその酒が、柳蔭やなぎかげってんだ。

    柳蔭やなぎかげったって、幽霊が出てくるような酒じゃねえぞ。

    

植木屋妻:そんなことお前さんに言われなくたって分かってるよ。


植木屋:お前はそんな事言うけどよ、

    何も知らねえから俺がこうやって一つ一つ教えてんだから、

    そのたんびにちゃんと覚えろよ。

    柳蔭やなぎかげってのはな、上方かみがたでの呼び名なんだ。


植木屋妻:知ってるよ、そのくらいの事は。

     当たり前じゃないか。


植木屋:~~お前な、どうしてそうやって人の話に、当たり前だぁ、

    そんな事分かり切ってるよぅ、としか返さねえんだ。

    そんな事ばっかり言ってたら話が先へ進まねえんだよ!

    おぇいっぺんでもあ、そうなの、とかへえ、そうだねとか

    言ったことあるか!?

    たとえ分かっててもそういうふう相槌あいづちを打つもんだよ!

    おめぇは何でも俺の話を聞くと、あったりめえだぁ、

    んなこと決まってらぁっ、ってよぅ……!

    まぁいいや、んで、その柳蔭やなぎかげはこっちじゃあなおしって——


植木屋妻:【↑の語尾をさえぎるように】

     そんな事は分かってるよ。


植木屋:【間髪入れずに】

    分かってねえから言ってんだよちゃんと聞け!

    それで俺がうめえうめえって呑んでたら、こいの洗いってのを

    ご馳走ちそうしてくれたんだ。

    こいったって中身は黒くねえんだ、白ぇんだぞ!


植木屋妻:当たり前じゃないかそんな事は。

     黒いのは皮だけだよ。


植木屋:あ、知ってんの…ま、知ってんのならいいけどよ。

    んで、んめぇんめぇって食ってたら、俺があんまり喜ぶから

    旦那だんなも嬉しくなっちゃったんだろうな。

    植木屋うえきやさん、のおひたしはお好きかな、

    って言うから俺ァでぇ好きだって言ったら、すぐに取り寄せてや

    ろうってな、

    【目の前で両手をすり合わせる】

    こうやってよ、


植木屋妻:何やってんだいそれ。

     なんか乗り移ったの?


植木屋:乗り移ったんじゃねえよ!

    これから手を叩くんだ。

    【手をゆっくり二回叩く】

    【ご隠居の真似をしているが若干棒読み】

    これよ。

    【手をゆっくり二回叩く】

    【ご隠居の真似をしているが若干棒読み】

    奥や。


    ってやると、ふすまをスッと開けて隣から奥様がよ、

    【三つ指つくが、妻の様子に気づく】

    …?

    おいっ…おい、こっち見ろよこっちを!

    俺が話をしてるってのに、そうやって横向いてたばこ飲み始める

    んじゃねえよ!

    たまにはちゃんと聞け!

    この形を見ろこの形を!

    

植木屋妻:どの形? あぁその形。

     そういうかえるが出ると雨が降るね。


植木屋:ハァ!?

    俺ぁかえるの話をしてるんじゃねえんだ!

    こういう形で奥様がゆびつくんだよ!

    【ご隠居奥の真似をして】

    旦那だんな様。


    【ご隠居の真似をして】

    なんだい。


    【ご隠居奥の真似をして】

    旦那だんな様。

    右や左の…じゃなかった、

    およびでございますか。


    【ご隠居の真似をして】

    植木屋うえきやさんがをお好きだとおっしゃるから、かつぶしをたっぷり

    かけてお出ししなさい。


    【ご隠居奥の真似をして】

    旦那だんな様。


    【ご隠居の真似をして】

    なんだい。


    【ご隠居奥の真似をして】

    鞍馬くらまから牛若丸うしわかまるでまして、その名を九郎判官くろうほうがん


    てぇと旦那だんなが、

    【ご隠居の真似をして】

    ほう…じゃ、義経よしつねにしておけ。


    どうだよおい、これがおめぇに分かるか?


植木屋妻:分かるよそのくらいは。

     火傷やけどのまじないだろ?


植木屋:や、火傷やけどのまじない!?

    かーっ、おめえなんかそのくらいのもんだよ!

    そうじゃねえんだ、いいか?

    これはつまり奥様と旦那だんなの隠し言葉ってやつだ。

    仮におめぇ、らくらいのおりによ——


植木屋妻:え? なんだって?


植木屋:らくらいのおりによ——


植木屋妻:雷が落ちんの?


植木屋:客が来るんだよ。


植木屋妻:そりゃ来客だろ。


植木屋:っあぁそうだ来客来客。

    来客のおりによ、無い、とか食べちゃった、とかお互いにはじをかく

    ってもんだ。だからおもてへ知れないようにってんで隠し言葉の出番

    よ。

    鞍馬くらまから牛若丸うしわかまるでまして、と来て、

    そのろうとしたが食べちゃってもう無い。

    それで、その名を九郎判官くろうほうがん

    じゃ、仕方しかたがない、しにしようってんで、

    義経よしつねにしておけ、だ。

    ええ、どうだい? おめぇにこれだけの事が言えるか?


植木屋妻:言えるよ。


植木屋:言えるぅ!?

    じゃ今言ったの覚えたのか?


植木屋妻:覚えたよ。

     でもすぐ忘れるね。


植木屋:ぅおぉいおい、忘れちゃいけねえよ!

    それよりもおめぇ、覚えたって言ったな?

    じゃあちょっと見ろ。

    あれァ…大工だいく辰公たつこうだ、長屋ながや路地ろじ戻ってくらァ。

    どっかへ出かけてやがったんだな。

    いま呼ぶからよ、さっきのやってもらおうじゃねえか。

    ちょっとそこの酒持ってこい。


植木屋妻:ええ? 一合いちごうしか入ってないよ。


植木屋:いいから早く持ってこいってんだよ!


植木屋妻:はいはい。


植木屋:それからその魚、魚もこっちへ持ってこい。


植木屋妻:魚? このイワシでいいのかい?


植木屋:そうだよ! その塩焼きでいいから持ってこい!

    早くしねえと辰公たつこう来ちまうだろうが!


植木屋妻:せわしないねぇ…はい。


植木屋:そんでおめぇは次のに…って次のねえんだな、うちは。

    しょうがねえ、押し入れに入れ。


植木屋妻:ええ!? やだよぉこのクソ暑いのに押し入れなんて!


植木屋:【↑の語尾をさえぎるように】

    いいから! いいからほらッ、入ってろって!!

    …よし。


    【二拍】


    ごせいが出ますな!


辰公:ん? おぅ、おめぇか!

   今日はずいぶんはえぇじゃねえか!

   もう帰って来たのか?


植木屋:…ごせいがでますな!


辰公:あ?俺か?

   俺ァよぅ、せいがでねえんだ。仕事休んじまったもんでよう。

   んで、昼寝したら体かったるくなっちまったんで、

   湯屋ゆや行っていま帰って来たんだ。


植木屋:…~~ごせいが出ますな!


辰公:おめぇ、人の話聞いてねえのか!?

   今日はせいが出ねえんだよ、俺は!

   昼寝しちまったんだから。


植木屋:…昼寝にごせいが出ますな。


辰公:昼寝にせいを出す奴なんかいるわけねえだろ!


【以下、植木屋のご隠居のセリフの真似は、棒読みに近い感じになります

。】

   

植木屋:あなたが毎日来て水をまいて下さると、庭に水が行きわたって

    青いものからしずくが落ちる。

    そこを通してくる風などは…すずしいな。


辰公:??なァにを言ってやんでェ。

   青いものなんかどこにもありゃしねえじゃねえかよ。

   そこにあんのはゴミめだろうが。   


植木屋:…~~ゴミめの根元にハッカあぶらをまいて、

    その中をハサミむしがしっぽを持ち上げてくるくる回っている所を

    抜けてくる風などは…すずしいな。


辰公:…おめぇどうかしてんじゃねえか?

   涼しかねえよ、くせえだけじゃねえか!

   

植木屋:……~~あなたは、ごしゅはお好きか?


辰公:なんでぇごしゅって。酒か?

   そりゃ好きだよ、でぇ好きだ。


植木屋:あなたにおさけをごちそうしよう。


辰公:あ? ほんとかぁ?

   今までおめぇにたかられた事はずいぶんあったけどよ、

   おめぇにゴチになるってのは生まれて初めてだよ。

   ほんとにいいのか? じゃ、もらうぜ。


植木屋:さあさ、そこにお掛け。

    汚れてもかまわん。


辰公:…そりゃ俺が言うセリフだよ!

   たまには掃除したらどうなんだよ、ええ?

   真っ黒けじゃねえか!


植木屋:そのガラスのコップでおあがり。


辰公:ガラスのコップだぁ?

   そんなもんえじゃねえか。


植木屋:…~~猪口ちょこをガラスのコップだと思って、おあがり。


辰公:なんだよおい、変な事言ってやがんな。

   じゃあ、もらうぜ。


植木屋:それは、上方かみがたの友人から届いた、柳蔭やなぎかげだ。


辰公:柳蔭やなぎかげ

   なんだ、こっちで言うとこのなおしじゃねえか。

   つまんねぇものんでやがんな、おい。

   ま、いいや何だってな。

   【一口飲む】

   ? あん? 何だこれ、当たり前の酒じゃねえか。


植木屋:ぁ…でもまあ、それを柳蔭やなぎかげだと思っておあがり。


辰公:いいよ別にそんなもんじゃなくたって。

   俺ァまともな酒の方がずっと好きだからよ。

   これァなかなかイケるクチだよ、うめぇよこれ。


植木屋:あなたは、今まで日向ひなたで働いていたから、口の中に熱がある。

    それでそんなものでも、冷たいと感じるのだなぁ。


辰公:【猪口と植木屋の顔をしげしげと見比べて】

   別に冷たくねえよ。

   日なたみずみてえじゃねえか。

   なまあったけえよ。


植木屋:…~~でもあなたは、今まで日向ひなたで働いていたから、

    口の中に熱がある。


辰公:いや、俺熱はねえよ。


植木屋:……いや、あなたは口の中に熱がある。


辰公:【↑の語尾に被せるように】

   無いってんだよ!


植木屋:…でも、少しはある。


辰公:そりゃ少しはあるよ。

   ちょっとはきゃ死んじまうだろうが。


植木屋:そこに、こいの洗いがあるから、おあがり。


辰公:こいの洗い?

   贅沢ぜいたくなこった——ってこれ、イワシの塩焼きじゃねえか。


植木屋:…まあでも、それをこいの洗いだと思って、おあがり。


辰公:何だよ、さっきから変な事言ってやがんな。

   まぁいいや。俺ァこのイワシの方がよっぽど好きだやな。

   【一口食う】

   おっ! おいこのイワシぁうめえぜ!

   あぶらがのってんじゃねえか!


植木屋:いやいや、美味うまいと言うほどの事でもない。

    それはごく、たんぱくなものだ。


辰公:…俺ァあぶらが乗ってるって言ってんだろうが!

   あぶらが乗ってて淡泊たんぱくって、んなことあるかよ!

   まぁ何でもいいや、俺ァ美味うまけりゃ何でもいいんだ。

   【一口食う】


植木屋:下に氷がしいてある。


辰公:うそつきゃがれオイ!

   そんなもんありゃしねえじゃねえかよ!


植木屋:時に、植木屋うえきやさん。


辰公:せよおい。

   植木屋うえきやはおめぇじゃねえか!

   俺ァ大工でぇくだよ!


植木屋:…~~でもまぁ、今日だけ植木屋うえきやにおなり。


辰公:やだよ!

   何で俺が今日だけ植木屋うえきやにならなきゃなんねえんだよ!


植木屋:あなたは、のおひたしはお好きか?


辰公:なに?


植木屋:のおひたしはお好きか?


辰公:きれぇだよ。


植木屋:!…~~あなたは、のおひたしはお好きか?


辰公:嫌いだよ。

   俺ァ青いものがでぇっきれぇなんだ!

   今までいっぺんだって食ったこたァねぇんだからよ!


植木屋:【だんだん半泣きに】

    …~~あなたは…

    のおひたしは…お好きか?


辰公:泣くこたねぇだろおい。

   嫌いなものは嫌いだよ。


植木屋:【ムッとしている】

    そりゃひどいよおぇ。

    それはいくら何でも無いんじゃねぇの?

    今までこっちのお仕着しきせ飲んだり食ったりしといてよ、

    ここへきていきなり寝返りうつってのは、

    それはあんまり友達甲斐ともだちがいがねえよ。

    たとえ嫌いでも、少しは好きだって言え!


辰公:何だよ、さっきからほんとに変な事ばっかり言いやがって。

   しょうがねえな…、好きだよ。


植木屋:【聞いた途端嬉しそうに】

    …好き。

    ぁそう。

    【手を目の前ですり合わせて】

    今さっそく取り寄せよう——


辰公:いいよ取り寄せなくたって!

   

植木屋:【無視して手をゆっくり二回叩く】

    【ご隠居の真似をしているが若干棒読み】

    これよ。


    【手をゆっくり二回叩く】

    【ご隠居の真似をしているが若干棒読み】

    奥や。


植木屋妻:【乱暴に押入れを開けて這い出すように汗だくで出てくる】

     だ、だんなさま…っ…。


辰公:【驚いてのけぞる】

   うおおお!?

   び、びっくりしたじゃねえか!

   何やってんだよお前達ァ!!

   さっきからカミさんの姿が見えねえと思ってたらおめぇ、

   このクソ暑いさなかに今まで押し入れに入ってたのかよ!?

   見ろ、頭から水かぶったみてぇにびっちょりじゃねえか!


植木屋:うるせぇよ、余計な事言わねえで黙って見てろ。

    【妻へむけて】

    植木屋うえきやさんががお好きだと思うから、かつぶしをたっぷりかけて

    こちらに持ってきておあげ。


植木屋妻:……だんなさま…。


植木屋:なんだ?


植木屋妻:…鞍馬くらまから…牛若丸うしわかまるでまして…その名を九郎判官くろうほうがん義経よしつね


植木屋:【つぶやくように】

    しまいまで言っちまったよ…。


    ………弁慶べんけいにしておけ。




終劇



参考にした落語口演の噺家演者様(敬称略)


柳家小三治(十代目)



※弁慶にしておけ:立往生たちおうじょうの意味をかせているらしいです。

         昔は途方とほうに暮れる、や困る、を意味して立往生たちおうじょうと言う

         言葉が使われていました。現在は少なくなってます。

         上方かみがたでは人におごられることを【弁慶べんけい】というそうで

         す。上方かみがた落語【舟弁慶ふなべんけい】のオチにもなっているとか。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ