クディリエル伯夫人の懺悔
私はこの国の王太子であるジャクソンである。私は婚約者である公爵家のロレーヌを深く愛していた。貴族のしきたりである家同士のつながりという垣根を超えて愛し合ったのだ。
しかし、リリン男爵令嬢の告白によってその愛はまやかしだったと知った。ロレーヌは私との愛を偽って王家に入り、王族を毒殺して女王となろうとしていたのだ。
初めは信じられずにいたが、リリンだけでなく、他の貴族の者たちもロレーヌや公爵の野望を秘密裏に伝えてきたのである。
かわいさ余って憎さ百倍とはこのことだ。あの愛を誓った日々も言葉も全て私を騙すための嘘だったのかと逆上した私は、すぐさま公爵家に兵を送り、ロレーヌの家族共々捕えて監獄に入れたのだった。
私はそれを、しきたり通りに国教会の教皇に伝えに行くことになった。
婚約や結婚は二人だけのものではない。王家や公爵家、また国教会も関わってくる。祝福をしてくださる神へも謝罪しなくてはならないのだ。
王太子である私が教会に入ると、中は騒然とした。アポイントメントをとるのを忘れていたのだ。私もこの時はロレーヌのことで心を傷めていたため、上の空だったのかもしれない。
対応した僧侶が、ある部屋を指差し、そこで待っているよう言ってきたので快諾した。
すると僧侶は教皇を呼んで来るのと、お茶などを用意しますと言って駆けていってしまった。
私は部屋に入ろうと思ったが、近づいてみると、扉がいくつかあるのに気づいた。
手前の扉を開けると、なにやら通路になっており、奥に部屋があるのが見えた。
おそらく、ここではないとは思ったものの好奇心から通路を歩き、扉を開けてみるとこぢんまりした部屋の中に、椅子が一脚だけ。そして入り口とは逆のほうに小さな窓がある。しかし格子が網の目のようになっていて、なんの部屋か分からなかった。
「牢屋? それにしては椅子はいいものだぞ?」
椅子に座ってしばらくすると、その窓が外から開かれ、女性の声が聞こえてきた。
「ああ、神父さま、どうか聞いてください。私は恐ろしくて、恐ろしくて……」
それは悲痛な声だったが、網の目の格子のせいで、あちらの顔がよく分からない。だが衣服は貴族の婦人のようで、印象的なつばの広い帽子が見えた。
そしてなんとなく気づいた。これはいわゆる懺悔の部屋というもので、市井の民たちが匿名で自身の罪の告白をし、僧侶という神に仕えるものに聞いて貰うということで、胸のつかえをとって楽にするものだということを。
きっと私を応対した僧侶がここの担当だったのだろうと思った。
私は僧侶ではないが、このご婦人がどんな懺悔をするのか興味が湧いてきた。
このご婦人も、誰かに聞いて貰うことで楽になりたいだけなのだから、別に私でもいいはず、私が生涯彼女の悩みを胸にしまっておけばよい話だ。
私は窓に近づいて婦人に話しかけた。
「神はとても慈悲深いです。あなたが正直に話せばきっとお許しになるでしょう」
「ああ、神父さま。ありがとうございます」
「さぁ神に懺悔なさい」
「実は神父さま。先ほどジェラネイル公爵とそのご家族が逮捕されたことをご存じでしょうか?」
ジェラネイル公爵家はロレーヌの家だ。なぜこのご婦人はそのことを懺悔に?
「──神は全てを知っています。どうぞ続けなさい」
「はい。あの一家が逮捕されたことにはとんでもない陰謀と野望が隠れているのです」
「それはどんな?」
「ウェイク男爵家のご令嬢、リリンは元々男爵の娘ではありません。彼女は孤児でありましたが、ウェイク男爵の弱みを握り、男爵の養女となったのです」
「ふむふむ」
「このリリンという娘は美しいながらも、口に蜜あり腹に剣ありで、社交界に入るとたくさんの貴族と仲良くなり、その懐に入りました。それはまるで毒蜘蛛のようでございました」
「と、おっしゃると?」
「仲良くなるとすぐに、その人の秘密を掴みます。誰しもが少しくらい人に知られたくないことなどございます。それを掴んで、利用するのです。曰く、ああしろこうしろ。曰く、誰々を紹介しろ。彼女は男爵家の養女でしたが、今ではこの国の半分の貴族が彼女の言いなりで、まるで女王です。我が国は罠を張り巡らされた蜘蛛の巣なのです」
「なるほど……。続けなさい」
「彼女はジェラネイル公爵に取り入ろうとしましたが、ジェラネイル公爵は彼女は品がないと見抜き、貴族として毅然と近づけませんでした。そうなると今度は、ご令嬢のロレーヌさまに目を付けたのです」
「ロレーヌ……さまに?」
「ええ。ロレーヌさまを陥れたのです。リリンは王太子ジャクソン殿下に取り入り、ジェラネイル公爵家を取り潰し、自身は王妃になろうと画策したのです。彼女の言いなりになった貴族たちは口々にロレーヌさまや公爵閣下の罪を並べて王太子殿下に密告したのです。殿下はその姦計に乗ってしまいました。やがて、彼女はたくさんの貴族から推薦を受け、王太子殿下の妃となるでしょう。私や夫は心ならずもそれに一枚噛んでおります。ですが、この国が毒婦の手に堕ちるのが悔しくてならず、こうして告白に参ったのです」
私は、この婦人の告白が恐ろしいというより、やはりロレーヌはロレーヌだったのだと嬉しくなり、胸が高鳴る思いだった。
そうなるとすぐにでもロレーヌや公爵を監獄から出さなくてはならないと思い、窓の外の婦人に話しかけた。
「分かりましたご婦人。神は全てをご存じですし、そのような姦計が成功するはずもありません。ですからあなたは安心してお屋敷に帰りなさい。きっと神は数日のうちに裁きを下すはずです」
「ほ、本当でございますか? ああ神よ……!」
彼女は出ていったので、私は格子窓から見えたつばの広い帽子を外に出て探すと、ちょうど馬車に乗る婦人を見つけた。
馬車には旗が立っており、クディリエル伯爵家の紋章があった。
それからは言うまでもない。私は自身の馬車を走らせ、監獄へジェラネイル公爵やロレーヌを迎えに行った。
無実の罪で投獄したことを詫び、彼らを私の馬車へと乗せた。
そして馬を全て外させ、私が馬の代わりに馬車を牽いたのだ。
「殿下! お止めください!」
王族が馬車を牽くなど、前代未聞の行為にロレーヌは叫んだのだ。
「いいや、私の不明のために君たちを辛い目に遭わせたのだ! 私の詫びの印だ!」
そう言って数メートル牽くと、逆にジェラネイル公爵たちは馬車より飛び降り、私をささえてくれた。
「殿下。これ以上は恐れ多いです」
温かい言葉に私は涙を流した。自身の不明が招いた彼らの投獄を、彼らは許してくれたのだ。
私は改めてロレーヌに結婚を申し込んだ。彼女はそれを涙を流しながら受けてくれたのだ。
「私は君を愛していた。だから君が裏で公爵と計り、愛を偽って国を手に入れようとしていると聞き、このような行動に出てしまった。私を許して結婚してくれるのかい?」
「それを聞いて、殿下が私をいかに愛してくださっているか、ますます確信しました」
ロレーヌは泣きながら笑った。私はその涙を指で拭ったのだった。
◇
と、ロレーヌを監獄に迎えに行った後ろで、リリンに千人の兵士を派遣して逮捕しに行かせていた。
リリンの屋敷には、彼女が女王となった暁には忠誠を誓うという、我が国、半分の貴族の誓書が出てきた。
そこで王太子主催でパーティーを開き国中の貴族を招いた。そこにはもちろんロレーヌもおり、みんなそれぞれ盛り上がっている形ではあった。
そこにリリンを引き出した。
リリンには、口汚くしゃべらせるのを許さぬため猿ぐつわを噛ませ、貴族の目の前で謀反の罪状を並べた。
貴族たちは心ならずも謀反に荷担したことを恐れて顔を真っ青にしていた。
そこで私は、貴族たちがリリンに出したであろう誓書をテーブルの上に出すと会場は静かになってしまった。
だが私はこう言った。
「これはリリンに忠誠を誓うと書いた手紙らしいが、私はまだ読んではいない」
と申し添え、全てを暖炉に投げ入れ燃やしてしまった。これは誰が謀反に荷担していたか分からないまま、罪を不問にすると言う意味だったのだ。
すると、誰とも言うことなく貴族たちは私に万歳を唱えた。私はそれを受けてリリンを指差し叫んだ。
「よし! ロレーヌを罪に陥れた魔女リリンを刑場に引き出し、火あぶりとせよ!」
リリンは兵士に刑場に連れていかれた。
そしてもう一つ。
「クディリエル伯夫人はここに!」
「は、はい!」
おっかなびっくりと言った感じでクディリエル伯夫人は前に出てきた。
私はロレーヌに渡された白鳥褒章を夫人の首にかけてやった。
「あ、あの……これは……?」
「うむ。白鳥褒章は我が国を救った女性に送られる勲章だよ。夫人によく似合ってるぞ?」
「あの、ですが、しかし……」
「なに。神からお告げがあってな。夫人が国を救いたがってるが、自身に力がないと嘆いているので、太子よお前が夫人の代わりに謀反を防げと言われてな」
「ほ、本当ですか!? ああ神よ……!」
とその場で祈るので、思わず噴き出すのを我慢するのが大変だった。
こうして我が国は国家存亡の危機を免れたのであった。