058 蟹
この世界の蟹は、横ではなく縦に歩く。
前世の世界にも縦に歩く蟹はいたらしいけど、そもそもいつも茹で上がった蟹ばかりで、動いてる状態の蟹って見たこと無かったかも?
閑話休題、この蟹めっちゃ素早い!
さすがスタンピードの元凶になり得る魔物だけあるね。
このままじゃ追いつけないから、私は『獣化する為の毒』を腕に打ち込んだ。
「ぐがあああっ!!」
白銀の猿となった私は、両足に気を集中して、蟹に追いつくべく加速する。
みるみるうちに蟹との距離が縮まり、あと一歩というところで蟹が急旋回した。
足を巧みに動かして、人型の生物には出来ない機動を見せおった。
こっちも負けてられないね。
私は空中に透明の足場を生成して、それを蹴って軌道を変える。
蟹の表情は分からないけど、動きから推測すると焦っているようだ。
人族と思ったのが獣化して、しかも空中を飛び交ってたら、そりゃ困惑もするだろうね。
ようやく追いついたはいいけど、蟹の頸椎にあたる部分が分からない事に気付く。
哺乳類や爬虫類と違って、甲殻類の神経がどうなってるか全然分からない。
流路とクリティカルポイントから大凡の弱点は割り出せるんだけど、そこを刺した時に注入する為の的確な毒をイメージ出来ない。
変な毒を打ち込んで食べられなくなったら、せっかくの蟹が台無しになっちゃうよ。
かといって、力任せに倒してぐちゃぐちゃになるのもダメだ。
私は毒を使わずに、地道にクリティカルポイントを気功で突いて、徐々に無力化する事にした。
蟹のクリティカルポイントを突き続ける事、数分。
獣化が解除されたところで、ようやく蟹が沈黙した。
「ふぅ……甲殻類の弱点も勉強しとかないとだね。蟹とか海老とか食べたいし」
……ふと思ったけど、海老は蝦という漢字が割り当てられる事もあったよね。
どうして甲殻類って虫の字が含まれているんだろう?外骨格だから?
まさか虫の仲間……いや、これ以上考えちゃダメだ!食べれなくなっちゃうぅっ!!
そういえば爬虫類も虫の字が!嫌ああああああああああああっ!!
昆虫食だけは嫌なのおおおおおおおおっ!!
おばあちゃん、お弁当にイナゴ入れないでえええええええええええっ!!
……はっ!?急に前世のトラウマがっ!?ちょっと前世の私、トラウマ多すぎない?
なんとか気を取り直して、蟹を引き摺りながら、街へ戻る事にする。
しかし、
「……ここどこ?」
蟹を追いかけて、かなり森の奥深くまで来てしまっていた。
少年達から貰った地図を見てみるけど、近くに目印になるようなものも無い。
毒で足場を生成して木の上から周囲を確認してみるが、何故か街の影も形も見えず、遠くの山々がこちらを見下ろしているだけだった。
獣化した強靱な脚力で走ったから、相当な距離を移動してしまったらしい。
たぶん、もうこの地図の範囲から出ちゃってる気がするよ……。
「せっかく暫くあの街に定住して、貴族の動向を探ってもらおうと思ってたのに……」
一人呟くも、こんな森の奥では人影も全く無いので、誰も反応を返してはくれない。
私は諦めて、蟹鍋の準備を始めた。
「あっ!せっかく買って貰った大きい鍋、宿に置きっぱなしだったよ」
服も買う前に街から離れちゃったから、今日も夜寝る時は全裸だ……。
鍋買う時に針も一緒に買って貰ってたのは幸いだ。
多少強い敵でも、精度の高い針があればなんとかなると思うし。
蟹は甲羅を鍋代わりにして煮る事にした。
調味料(毒)で味付けして完成!
生成した毒は10分で消えちゃうけど、染みこんで変異したものは消えないから、スープに味は残らないけど肉質部分には味が染みて残るのだ。
「うむ!美味いっ!余は満足じゃああああああっ!!」
スープも調味料(毒)は消えてるけど、蟹自体の味が溶け込んで旨味が出ている。
素材の味が効いてて、とても美味しい!
小躍りしながら、半分程食したところで、こちらに近づく何者かのクリティカルポイントが視えた。
火を消そうかと思ったが、すでに相手はこちらを捉えているようで、真っ直ぐに向かって来ている。
しかも2人いる……この蟹鍋が目的か?無料ではやらんぞ。
「あら〜ん?こんなところに金髪美少女が」
「不可解。こんな森の奥に、年端もいかない少女がいるなんて」
現れたのは肌が浅黒くて筋肉隆々でムッキムキの男……に見える体を持つお姉さん。というか、オネエさん?
身長は優に2mを越える巨体だけど、化粧してるし、長い黒髪をお下げにしているので、性別の判断が難しい。
もう一人は、私より少し年上に見える、水色の髪をした少女。
こちらは明らかに丸みのある女の子らしい体型で、肩より少し長めの髪は縛ったりせずにそのままのスタイル。
しかし一番の問題は、この2人の流路である。
ムッキムキの方は、気の流路がジっちゃん並で達人級にヤバく、少女の方は魔力の流路がミミィとタメ張れるぐらいの膨大な量で流れている。
こんな化物を2人同時になんて相手できる訳がない。
私は覚悟を決めた……。
「美味しいっ!!この蟹めっちゃ美味しいわねー!!」
「美味っ!美味っ!満足っ!!」
残っていた蟹を全部お二人にさしあげた。
勝てない喧嘩などせず、大人しく軍門に降るに決まってるでしょうが。
いいのさ、私は腹八分目で……。
この物語はファンタジーです。
実在する調味料及び獣化する為の毒とは一切関係ありません。




