166 騎士団長
数日前。
ゲシュタイン帝国の騎士団長オウルは、その日聞きたく無かった報せに天を仰いだ。
帝国の腐った重鎮共が何か企んでいる事は知っていた。
強引に王国へ留学させられた勇者に何かしようとしていた。
それに対抗する為の護衛も付けたが、防ぐ事は出来なかった。
——勇者が殺された。
どうにか出来なかったのかと自分を責めた。
身命を賭してでも王国行きを阻むべきだったと。
しかし今更悔いてももう遅い。
せめて償いとして彼の遺体だけでも何とか回収したいと考えた。
王国からの報せが来て間もなく、帝国が王国へ出した要求は騎士団長にとって更なる衝撃となった。
重鎮達が王国へ責任を問う事は粗方予想出来ていたが、今回の件に全く関係の無い円卓の勇者の関係者の首まで求めたのである。
『円卓の盟約』によって勇者は国同士の争いには関与しない事になっているが、勇者の関係者に手出ししたとなればどうなるか分からない。
皇帝が魔王と密談を交わしていたという聞いた時は眉唾だと思っていた情報が真実味を帯びてくる。
これは帝国だけの問題でな無くなるという予感に背筋を冷たい物が走った。
なんとか手を回して国民を守らねばと思っていたところへ、新たな命令が下される。
「王国との境界にて王子の身柄を受け取ってこい」
皇帝自らの勅命とあっては、逆らえば命は無い。
しかし、今はそれどころでは無いので何とか嘆願してみる事にする。
「それは私以外では勤まらない事でしょうか?」
「余の判断が不服と申すか?」
その言葉で全てを理解した。
この皇帝の考えは、ニヤニヤと不快な笑みを見せる重鎮達と同じであると。
つまり自分を疎ましく思っていると。
先代皇帝であれば忠義を尽くすに足ると思っていたが、現皇帝は少々荒事を好みすぎる。
無駄に戦禍を広げる事に度々苦言を呈していたのを煙たがられてはいた。
それでも軍を纏める騎士団長として軽んじられる事は無かったのだが、遂に切り捨てられる時が来たようである。
おそらくはこの任務の先に待っているのは罠である——と確信してしまった。
案の定、共の者は自分の味方たり得ない者ばかりだった。
最後の時はせめて国のために少しでも抗って、腐った者を一人でも多く切り伏せようと心に誓う。
騎士団長は悲壮な覚悟で王国へ向けて馬を走らせた。
王国の王子を受け渡しに来たのはマントやフードで全身を覆い隠した怪しい者達。
後ろに控えるのは騎士団長を見張るためだけに同行した兵士達。
この場にいる全てが敵と思えた。
いつ仕掛けてくるか分からない緊張の中、それは唐突に起こる。
——気当て。
遙か高みにいる者だけが使える気の極意。
それを受けて周囲の者達がバタバタと倒れて行く。
ここで仕掛けて来たかと思う反面、自分以外も攻撃されている事を不思議に思った。
次の瞬間、太陽の如く光が目の前で弾けた。
視界が塞がれた事を悟って、自身のスキル『心眼』を発動する。
何者かが王子を連れ去ろうとしているのが視えた。
咄嗟にその者を斬り伏せようとしたが別の何者かに防がれてしまう。
そちらの方が明らかに強い気配を放っているので警戒せざるを得なかったが、その隙に王子は連れ去られてしまった。
なるほど、王子の受け渡しの失態で責任を取らせるつもりだったのか——とすればこの者達は帝国が手配した輩だろう。
そう思った騎士団長は腹を括った。
どうせ潰える命であればあの少年の為に使えば良かったと愚痴をこぼす。
しかしそれを聞いた目の前の者が動きを止めた。
王子を奪った事で目的は遂げたであろうに、何故か逃げようとしない。
あろうことか自分に向かって突っ込んでくるのが分かった。
小柄な体躯である事以外は心眼では分からないが、動きの鋭さから相当な達人であると思われる。
咄嗟に防御を試みるが、相手の拳は騎士団長の腕に軽く触れただけだった。
何かスキルを使われたのかと思い後ろへ飛び退くと、次の瞬間信じられない事が起こる。
『あーあーテステステス。聞こえるかなぁ?』
自分の頭の中に素っ頓狂な少女の声が聞こえて来たのである。
思わずビクリと反応すると、その少女の声が続く。
『あ、聞こえてるっぽいね。声には出さないでね。貴方タケル君と知り合い?』
驚きのあまり思わず呟いてしまう。
「こ、これはお前がやっているのか?」
『こら!声出すなって言ったでしょ!心で強めに思って貰えば通じるからっ!』
『す、すまん!……って、何故私は謝っているのだ!?』
『顔にも出さないで。ちょっと私と闘いながら話をしましょう』
少し視界が回復して目を開けてみれば、黒ずくめの小柄な者が構えを取っている。
闘いながらという事なので、自身も一先ず剣を構えてみた。
おそらく少女であろうこの者は、タケルという名を口にした。
帝国の間者かと思っていたが話し方からそうは思えなくなっていた。
それ自体が罠である可能性もあるが、別にもう罠であっても構わなかった。
少女はかなり手加減して(大型の魔獣を一撃で殺せるぐらいの力なので手加減の意味を疑うが)攻撃して来た。
騎士団長がギリギリ捌けるぐらいに加減してくれているのだが、その攻撃は気当てを食らっても立っていられた者達ですら割って入れない程に苛烈だった。
『タケル君とは知り合いなの?』
『タケル様がこの世界に来てから色々面倒を見ていた。息子のように思っていた。それが王国で……』
戦闘の苛烈さからは全く想像も出来ない程普通に頭の中に話しかけてくるので、思わず素直に答えてしまう。
息子のように思っていた事など誰にも告げた事も無かったのに、この少女には嘘をついてはいけないような気がしてつい話してしまった。
『そっかぁ。あ、ちなみにタケル君生きてるから』
「な、なんだとぉっ!?」
『あ、バカ!声に出すなって言ってんでしょうが!!』
『す、すまんっ!だが、それは本当か!?』
『うん、本当だよ。おじさん嘘はついてないみたいだし、これからタケル君に会わせてあげるね』
少女が頭の中でそう言った瞬間、目の前の黒ずくめの気が一気に膨れ上がった。
次の瞬間、騎士団長の意識は刈り取られてしまった。




