012 ギルドマスター
ベルンシュタイン侯爵領の冒険者ギルドのギルドマスター室では、二人の男が向かい合って座っていた。
一人は頭頂部だけ黒い白髪の老人。
もう一人は壮年の大柄な男で、いかにも荒事を得意とするような面構えに似合わないメガネをかけている。
男は恐縮したように目の前の老人に話を切り出した。
「ジオ様、ベルンシュタイン侯爵が是非お会いしたいと……」
「あぁ、面倒だから断ってくれ。一貴族ごときといちいち会ってられるか」
「そう言うと思ってましたよ。王族との面会すら断られますもんね」
がっかりした様子もなく、壮年の男——冒険者ギルドのギルドマスターは頷いた。
長年の付き合いであるため、ジオがそういった権力との接触をしない事は重々承知していたのだが、侯爵があまりにもしつこいので一応話をしただけだ。
そもそも勇者は世界の均衡のために、特定の集団に所属しない事が決められている。
顔を繋いだところで自身の権力になんの変化もないにも拘わらず、それでも会ったという事実があるだけで、何らかの牽制になってしまうのが貴族の面倒なところである。
「私としてもどうでもいい事なんで、そのように致します。……それで、ダンジョンの方はどうでしたか?」
「ん。何にも無かったわい」
「何にもですか……?」
ギルドマスターが調査した際、確かに教会に怪しい動きがあった。
聖騎士の何人かが琥珀ダンジョンに入って何かしていたようなのだ。
そもそも教会と冒険者ギルドはあまり友好的とは言えない。
ケガをした冒険者に対して法外な治療費を請求する等、揉め事が後を絶たない。
そんな相手がこちらの領分とも言えるダンジョンで何かしていたら、気にしない訳にはいかないだろう。
「儂は冒険者登録はしているが、一応公平な立場なんで偏見無しで調べた。特におかしな物は何も無かったぞ。若干の魔力残滓はあったと思うが、ダンジョンに影響を与えるようなものでもなかったわい。まぁ、儂が探索したという話は広まってるじゃろうし、教会も迂闊に動けんじゃろ」
「そうですか。スタンピードに繋がるような仕掛けをされたのでなければ、しばらくは問題ないですかね」
「あっ、そういえば妙な冒険者に会ったぞぃ」
「妙な冒険者……ですか?」
「Aランクのちっこい女冒険者じゃ」
「Aランク?閃紅姫以外でこの街に入ったという報告は受けていませんが?」
Bランク以上の冒険者は、所在を明らかにするために街に入った時に冒険者ギルドに報告する義務がある。
それを怠ると罰金のペナルティを課される為、よほどの事が無い限りギルドマスターの耳に入るはず。
「金髪碧眼で、名はヒナというらしい。妙な魔法を使う娘じゃった」
「ヒナ……高ランク冒険者でヒナという名は聞いた事がないですね」
「白銀の冒険者カードを見せてたから名前も間違いないと思うぞ」
「偽造カードか……危険ですね」
「いや、そんな邪気は纏っておらんかったがのぅ……儂も助けられたし」
「ジオ様を助けた!?」
「あぁ。食料が尽きて亀もまともに倒せんかったところを手伝ってもらったんじゃ。軽装のわりに無傷で100階層に現れたから、それなりに出来るとは思うが」
教会の手の者だろうか?何故今になって次々にそんな怪しい動きがあるのか、ギルドマスターは理解に苦しむ。
琥珀ダンジョンはダンジョンボスも攻略されていて、ドロップアイテムも粗方調べ終わっている。
とても利益など見いだせるとは思えないが……。
思考に沈みそうになる前に、ギルドマスター室のドアが強めに叩かれたため、意識を目の前に戻した。
「どうした?来客中だぞ」
ドアの向こう側に立っているであろう職員は慌てるように声を出した。
「申し訳ありませんっ!閃紅姫レイア様が『クソジジイを出せ!』と怒鳴り込んで来てまして」
ジオの背中に冷たいものが走った。
「最近のレイアは怒りっぽくてのぅ。ちょっと尻触ったぐらいで烈火のごとく怒るんじゃ」
「それは誰でも怒りますって……」
言うが早いか、ジオは立ち上がってギルドマスター室の窓に手をかけた。
「じゃ、後はまかせた!」
そして窓から飛び降り……いや、飛び上がり、老人とは思えない軽快な動きで屋根伝いに走り去ってしまった。
「えぇ〜!?丸投げは勘弁してくださいよー!!」
悲哀に満ちたギルドマスターの声が空しく響き渡った。




