鏡の中のかくれんぼ
「ねぇ、わたしとかくれんぼしましょうよ」
聞きなれた、というよりも、よく知った声が聞こえてきたのは、京子がトイレで髪を整えているときだった。あたりをきょろきょろ見まわしてみたが、京子以外には誰も入っていない。空耳かと思い、鏡に視線を戻して「ヒッ!」と悲鳴を上げてしまった。鏡の中の自分が、ほほえみ小首をかしげていたのだ。もちろん京子は、そんなポーズは取っていない。
「えっ、どういうこと?」
背筋がぞっとして、京子は急いでトイレから出ようとしてがく然とした。学校の女子トイレには、個室には当然ドアがつけられているが、入り口にはドアなどない。つまり出入り自由になっているはずなのに、なぜか出入り口が無くなっているのだ。
「えっ、ええっ?」
きょろきょろする京子に、再びさっきの声が聞こえてきた。
「そんなきょろきょろしても無駄よ。出口は隠したわ。あなたがわたしを見つけない限り、あなたはここから出られないの」
引きつった顔のまま、京子は先ほどの鏡の前へかけよった。もう疑いようがない。そこには自分が、くすくすと不気味な笑い声をあげて、京子を見返していたのだ。映っている自分に思わず触れてみるが、なんの変哲もない、ただの鏡だ。真っ青になる京子を見て、鏡の中の京子はアハハと楽しげに笑った。
「面白い顔ね。あなた、ホントにわたし? そんな子供みたいにふるえて、泣きそうになっちゃって。……まぁいいわ。とにかくさっきいったとおりよ。わたしとかくれんぼしてちょうだい」
「かくれんぼって……ねぇ、いったいどういうつもりよ? これ、なんなの? なんの冗談なの? それとも、もしかしてわたし、夢を見てるんじゃ」
「現実逃避したくなるのもわかるけど、早く見つけないと、一生あなた出られないわよ。かくれんぼのルールは簡単。このトイレの中のどこかに、わたしが隠れているから、わたしが合図すると同時に探して、見つけ出してわたしにさわってちょうだい。そうすればあなたの勝ちよ。勝てばもちろんここから出してあげるわ。……だけど」
ふふっともったいぶった笑いかたをして、鏡の中の京子は舌なめずりをする。
「もしあなたがわたしを見つけられずに、制限時間を過ぎてしまうと、この鏡は消滅するわ。そうなったらもう終わりよ。あなたは一生ここから出られない。トイレの花子さんならぬ、トイレの京子さんとして、一生をここで終えることになっちゃうわね」
楽しそうな口調とは裏腹に、なんとも恐ろしい事実を突きつけられ、京子は半狂乱になって鏡をたたいた。
「ふざけないでよ! ねぇ、出してよ、ここから出しなさい!」
「そんなことしても無駄だってば。さっきいった通り、かくれんぼでわたしを見つけないとどうしようもないわ。せいぜいがんばってちょうだい。それじゃ、わたしのすがたが鏡の中から消えたら、それが合図よ。がんばって見つけてちょうだいね」
ふふんと鼻を鳴らして、鏡の中の京子はくるりと優雅に踊り出した。その間も、もちろん京子は割れんばかりに鏡をたたきまくっているが、そんなことをしても鏡の中の京子にはなんの影響もなかった。ただ手が痛くなるだけで、京子はそのうちたたくのをやめた。
「うふふ、ようやくわかったようね、無駄だってことが。じゃ、またね。……って、もうきっと会えないと思うけど」
そう言い残すと、とうとう鏡の中の京子のすがたは、けむりのように消えていった。鏡には再び京子のすがたが映る……わけでもなく、トイレから鏡の中の京子のすがただけが消えてしまったようだ。それと同時に、鏡の上のほうに、なにやら数字が出現した。598、597、596……。どうやらこれがカウントダウンらしい。京子の顔から血の気が引く。
「は、は、早く探さないと!」
とはいえ、ここは女子トイレだ。トイレの中に隠れる場所なんてそうそうない。京子はすべての個室を、一つ一つ念入りに調べていく。ドアを開けては閉め、開けては閉めをくりかえし、そして最後の個室のドアを開けて、京子はふるえる手でそれを閉めた。
「どうして? どこにもいない……。あっ、まさか」
京子は急いで、掃除道具が入った用具入れを開け放った。しかし、そこもモップやバケツなどが入っているだけで、鏡の中の京子のすがたはどこにも見えない。京子は力任せに用具入れのドアを思いっきり閉めて、それからカウントダウンをしている鏡をバンバンと何度もたたきまくった。
「どういうことよ! ねぇ、あんたどこにも隠れてないじゃない! 卑怯者、どこに行ったのよ!」
狂ったように鏡をたたきまくるうちに、京子はある異変に気がついた。先ほどまでは、すべての個室のドアが開いていたのに、鏡の中の個室は、一つだけドアが閉まっていたのだ。ハッとして、そのしまっている個室を凝視していると、ジャーッと水が流れる音が聞こえて、ゆっくりとドアが開いたのだ。中から出てきたのは……。
「飛鳥!」
親友である飛鳥のすがたが鏡に映り、京子はまたしても狂ったように鏡をたたき、声を張り上げた。それが功を奏したのか、鏡に映った飛鳥は、ぎょっとしたように目を見開き、そして恐る恐る京子に近づいてきたのだ。まさに渡りに船である。京子はこれ幸いとばかりに、鏡の中の飛鳥に懇願したのだ。
「飛鳥、お願い、わたしを、わたしのすがたをしたやつを連れて、この鏡の前に連れてきてほしいの!」
京子のすっとんきょうな願いに、鏡の中の飛鳥は困惑したように首をかしげる。
「えっ、なにこれ、どういうことなの?」
「お願い、驚かないで、よく聞いて! わたしね、どうしてかわかんないけど、鏡の世界のわたしに、このトイレの中に閉じこめられちゃったの! そいつがわたしに、かくれんぼしようとか訳の分からないことをいって」
「もしかして……あなた、京子の、ゆうれいなんじゃ……?」
「そうなの、わたしよ、京子よ! ……えっ、ゆうれい?」
おびえたような目で見つめられて、京子はわずかにまゆをひそめた。
「ゆうれいって、どういうこと? 違うわ、わたし、まだ生きてるよ!」
「そんな、うそよ! だってあなたは、一週間前に交通事故で亡くなったじゃない! わたし、ワンワン泣きながら、お線香あげたでしょ? ……京子、それとも心残りがあって、成仏できなかったの?」
飛鳥が目じりを押さえて顔をそむける。京子は完全に混乱した様子で、おうむがえしに飛鳥に聞き返した。
「一週間前に、交通事故? 亡くなった? 冗談やめてよ! わたし、まだ生きてるじゃないの!」
「京子、突然死んじゃったから、心残りなのはわかるけど……でも、お願い、気づいて。あなたはもう亡くなったの。もう、天国に逝かなくちゃいけないのよ。そうしないと、こんなところにいたら、それこそ悪霊になっちゃうわ」
「違う、違う違う違うわ! ねぇ、お願い、飛鳥、わたしを、わたしをここに連れてきてよ! ねぇ、交通事故なんかなってないでしょ! そんなのうそよ! ねぇ、うそっていってよ!」
しかし、これ以上はもう耐えられなかったのだろう、飛鳥はボロボロ涙をこぼしながら、口を押えておえつをこらえ、急いでトイレから出ていってしまった。それと同時に、鏡に表示されていたカウントダウンの数字も、3、2、1、0となり、鏡はスーッと溶けるように消えてしまったのだ。それと同時に、京子も崩れ落ち、終わらない悲鳴を上げるのだった。
「うまくいったみたいね」
トイレの外に出た飛鳥に、鏡の中の京子が声をかける。飛鳥、いや、鏡の中の飛鳥はにやりとほくそ笑み、そしてうなずいた。
「ええ。これでまた一人、わたしたちの仲間が増えたわ。改めてようこそ、鏡の中の京子」
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