在ることの苦しみ
「神を信じるかい?」
Sが訊く。
「わからないな」
「僕もだ」
Sも僕も無神論者だった。
「僕たちはいつまで存在しているのだろうな」
「神が望むまでだろうな」
僕の冗談に、Sが笑った。
「僕たちの望みではないんだな」
「それもわからない。いつか僕たちが望んでいたことの成就なのかも知れない」
「なるほど」
Sは納得したが、僕にも確信があるわけではなかった。
僕たちに可能なのは移動と変化、そして人生の恩恵が出会いというものなのだろう。
僕は、未知なる銀河へと進んでいった。
そこには、太陽系のような惑星がやはり無数にちらばっていたが、エメラルドや青銀、鮮紅など、目と心を奪われるほど鮮やかな色彩の星々の宝庫だった。
Sにも、是非見せたい光景だった。
口では、とても言い表せはしない。
位置を教えて、彼本人の目で確かめさせたい。
僕は、ゆっくりとその鮮やかな星々の銀河を探検した。
この宇宙にもきっと知的生命体はいるのだろう。
しかしいまのところこちらに向かって働きかけてくる存在や意識は見当たらなかった。
好意も悪意もなく、星々はただ麗々しく漆黒の空間に広がっていた。
進むことはその分終焉へと近づくことだろう。
肉体をなくし意識体となっても存在はつづいているが、この状態も永遠ではないだろう。
永遠につづくものなどなにもなく、永遠の存在もまたない。
それが嘆くべきことだろうか?
永遠に生きたいと願う人間も多いようだが、よほど苦しみのない人間なのだろう。
在る喜びというものもあろうが、そこには避け難く苦しみや悲しみが付随する。
耐え得ることが不思議なほど大きなそれらが降りかかる。
なにもなくなるということはそれらからの解放にほかならない。
それが救いでなくてなんであろうか。
知りつづけることは学びであろう。
しかし学びは苦しみを伴うものだ。
知り、学ぶことは面白いことではあるが、学生に卒業があるように、苦しみにも終わりがあって然るべきだろう。