「めいど」の茶店
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こーらくん、聞いたかい? 最近この辺りにも、コスプレ喫茶ができるって話。なんでも店員さんが執事としてお出迎えしてくれる、「執事喫茶」らしいよ。
メイド喫茶といい、漫画喫茶といい、もはや「喫茶」よりもその前につくものがウリなのが、いまの風潮かねえ。
――む? 純粋な「漫画喫茶」よりも、インターネットができる「ネットカフェ」も多い。
ああ、その手の話も聞くねえ。私はまだ利用したことがないけど、場所によってはだいぶサービスが充実しているみたいじゃないか。そこで寝泊まりする人の話もちらほら聞くしねえ。世の喫茶事情もだいぶ変わってきたもんだ。
家の外で茶をしばく喫茶。これも日本では数百年前から行われているものだ。
こーらくんも知っているだろう、「茶屋」「茶店」のたぐい。時代劇などでもしばしば登場するこの場所は、ときにちょっとした事件を呼び込む。
私もつい最近、仕入れたばかりの話があるんだが、耳に入れてみないかい?
むかしむかし。諸国を旅している男が、夕方ごろにとある峠の茶屋へ立ち寄った。
店の裏手は竹やぶに隠されて、全体の大きさがはっきりしない。周囲はすでに薄暗くなりつつあり、軒先の提灯には火が入れられている。
その明かりを頼りに、ふらっと男は近づいていく。店をのぞいてみると、手前の土間の部分に数人掛けの椅子と長机。すでに入っている客もいて、机の上には食べかけの団子などが乗った小皿や、お銚子などが乗っている。
更に男が驚いたのが、土間の奥から伸びる廊下だ。小さいながら途中で直角に曲がり、その道に沿って、ふすまが何枚も立てられている。その向こうからは食器を打ち鳴らしたり、談笑したりする気配が盛んに聞こえてきた。
そして明るい。部屋の隅はもちろんのこと、もろもろの席を囲む四つの角にも燭台が置かれ、机の上を余すところなく照らし出している。
廊下に関しても同じ。かなり詰めた感覚で同じものが置かれており、一歩間違えれば火事になりかねない状態だった。それでいて、燃料たる油の魚臭さをほとんど感じない。
まさかこのような町はずれに、これほどの装いを持つ茶屋があるとは。男も長いこと旅をしていたが、驚きを隠せなかった。
やがて給仕のひとりが男に気づき、席へ案内してくれる。品書きも飯屋と遜色ないものが並んでおり、男は食い手のありそうなものを適当に注文し、先に運ばれてきた冷の酒をいっぱいあおる。
清水を口にしたかのような、さっぱりするのどごし。それでいて腹に注がれるや、火のつくような熱さが胃の壁をじりじりとあぶり出す。その熱がじんわりと身体の中で版図を広げていく心地よさ。思わず、男はうなってしまうほどだった。
やがて運ばれてきた料理もまた絶品だが、少し不思議な味わい。舌へ乗せたはしから柔らかくなり、腹の中を通さずに直接血や肉の中へ染み通っていくかのよう。
当初は歯ごたえのなさを心配した男だったが、すぐに満腹感を上回る満足感におぼれ、ウトウトしてしまいそうなくらいだった。「歯で筋を断つのが、俺の食へのこだわり」という者でもない限り、嫌いになれる奴がいるのかと、男が感じてしまうほど。
「お客様がた、お帰りです」
外がすっかり暗くなり出したとき、店の奥からアサガオの柄をあしらった女性の給仕が姿を見せつつ、そう告げてきた。
ほどなくふすまが開く気配。食後の余韻にひたりながら壁に寄りかかりつつあった男は、むくりと背を伸ばす。自分が来る前より、店の中にいたであろうというお団体。その顔を拝んでおこうと思ったんだ。
曲がった廊下の奥から続々と姿を現わす面々だったが、その一人目から、男はたちまち酔いを醒まされる。
男が食事をしている間にも燭台の本数が足され、もはや欄干のついた橋のようになった廊下。そのうえを足音ひとつ立てないすり足で進むのは、腰に湾曲した太刀を佩く侍の姿だったんだ。
兜はつけていないものの、その直垂を身に着けた姿は戦帰りといったいで立ち。その後にも3人ほど似たような格好の男が続き、その次は楽器の「ビワ」を抱えて目を閉じた法師姿の男が数名。
更にその次は、服や体つきから女と分かるが、顔には文字の書かれた半紙を貼り付けた者たち。視界が隠れているはずなのに、彼女らは前の人に触ることなく、すっすっと迷いなく廊下を進んでいく。
――どこかの芸人の一座なのか?
それにしては、化粧が堂に入り過ぎている。
先頭を行く直垂姿のうなじには、折れた矢が突き立つ。肌と接するところには血の溜まりができ、背中を見送る間も垂れ落ちることを止めなかった。
ビワを抱える法師の指は、いずれも爪どころか指先を失っており、ビワをおさえられる力は期待できないはず。それが手のひらに貼り付いているかのように、びくともしない。
かの女たちに関しても、近くまで来ると顔の紙から、かすかだがしずくが滴っているのが分かった。泣いているのだろうが、半紙を突き通ったそれらは、紙の表に書かれた字すらもにじませ、一緒に床へと連れていく。
男の座る椅子と机の向こう側。距離を離したその場所からも届くその臭いは、男もよく嗅いだことのある、血の臭いではなかったか……。
一座の人数は30人にも及んだ。しんがりをつとめるのは、背骨が大いに曲がった子供のような背丈の老人。彼らの中ではただひとり、ぴょこぴょこと小さく跳ねながら廊下を進む。
だが彼が通り過ぎたところから、廊下の燭台がひとりでに消えていく。老人の身体は明らかにろうそくに届いておらず、給仕たちも各々の持ち場で頭を下げるほか、みじろぐことを控えているにもかかわらずだ。
老人が土間へ下りる。男や他の客の間をすり抜けていくが、その席の周りの明かりは消えなかった。「ありがとうございました」と見送る給仕たちが声を合わせる頃には、光源の大半を失った店に、夜の空気が押し寄せてくる。
彼らがいたであろう、廊下の奥の座敷は、もうふすまの輪郭を捉えることもできない。目が慣れないばかりでなく、見通せない視界の先から冷たい風が吹き寄せてくる。
単純に火が消え、熱を奪われたからとはいえないだろう。もし踏み入ったら、そのまま外へ出てしまうんじゃないか。そんな心配さえこみあげてくる。
やがて長椅子に掛けていた客たちも、ぽつぽつと腰を上げ始めた。
それらの席もまた、客が燭台の囲いから外へ出ると同時に、火が勝手に消えていく。そのたび暗さを増す店内に戸惑う男だったが、給仕も他の客も慣れているのか、いっさい動じる素振りなし。
ついに店内は男と、二人連れの客を残すばかりとなる。もはや、あばら家にいるのではと思うほど、四方から吹き寄せてくる風。明かりの近く以外では、顔もろくに確かめられなくなった給仕たち。
男はさっと腰をあげた。ここでどんけつになるのは勇気がいる。燭台の囲いを抜けると、男の席もまたふっと闇の中へ消えた。より視界が悪くなる。
「ありがとうございました」と声を出す給仕たちだが、男はというと、イスや机につっかえてなかなか前へ進めない。
その腕が不意に、ぞっとするほど冷たい手で掴まれた。
「お客様。お足元が悪うございますか? しからば、丹田にぐっと力をおこめくださいまし。すぐ明るくなりますよって」
言われた通り、下腹のあたりに力をこめたらどうだ。
まるで昼間のように店の中が明るくなり、外もまた、行灯が地にも空にも置かれているような、明かりを放ち始める。
男の手を掴んでいたのは、何度か見た給仕のひとり。そのまま出口まで案内してくれ、男が勘定をしようと懐へ手を伸ばしかけたところを「すでにいただきましたので」と。
見ると、男の銭入れはすっかり軽くなっていた。のぞいてみると、相応の額の金が取られている。暗闇でつかんだ際に、すったのか。
「再び縁がございましたら、『めいど』の茶店をどうぞよろしくお願いいたします」
他の客が去る時にはしなかった声かけ。男はそれを受け、足早に道の先を急ぐ。
明るさにくわえ、全身がぽかぽかと暖まっている。それは一刻、二刻と時間が過ぎても止まず、男は無事に次の目的地へたどり着くことができたとか。
それからも男は暗さに参ると、給仕にいわれた通りに力を込めた。人前で行ったところ、男は自ら光を放っていると指摘され、気味悪がられたこともあったとか。
やがて男はひとつところに腰を据えるが、件の発光法は生涯衰えることはなかったらしい。だが、彼はあの茶店を後にしてから、たびたび幽霊の目撃談を耳にした。
それは首に矢を生やした落ち武者だったり、指先を失いながらビワを弾く法師だったり、顔を経文の書かれた紙で隠してすすり泣く女だったり……。
いずれもあの「めいど」の茶店にいた者たちとそっくりの姿をしていたとか。そして彼らの姿は、月明かりのない夜の下でも、自ら青白い光を放っていたらしい。
「めいど」の茶店。
そこは死者の集う「冥土」という意味のみならず。彼らが生者に認知されるための「明度」を提供してくれる場所ではないか。
晩年の男は、自分の体験をそう語ったのだとか。