模倣犯の犯行
腕を縛るロープが私の体重にギシリと嫌な音を立てる。
あぁ、腕が痛い。
長袖の服の上からとはいえきつく締め付けるそれに両腕は痛みを訴えていた。
私は今、天井から吊るされているような格好で両腕を一纏めにされ頭上で縛られている。足はギリギリ地面に付いているものの、今履いている多少ヒールのある靴が脱げれば踵は浮いてしまうだろう。
冷や汗が背中を伝う。私の目の前には真っ黒なフードのついたマントを被った大柄な人物が立っている。
仕事終わり、勤め先である叔父と叔母が経営するカフェを出てから家への道中、白昼堂々この人物に拐われたことだけは確かだ。けれど、その後の記憶は定かではない。気付けば、このように縛られて、何処とも知れないこの場所にいた。どこかの倉庫のような建物の中は薄暗く埃っぽい。
今、巷を震撼させている連続殺人事件に酷似したこの状況。
犯人は大柄な黒衣を纏った男。連れ去った女性を吊した状態で犯し刺殺する。それが、その連続殺人事件の特徴だった。
このままでは、殺される…。
でも、逃げる方法は浮かばない。そもそも、私は吊るされているだけで、ほとんどの体力を奪われていた。何度か大きな声で助けを呼んだが周囲に届いていないのか状況は何も好転していない。叫ぶだけで息切れを起こすほど、私はあまり体が丈夫ではない。たとえ私を縛るロープが無かったとしてもこの人物から逃れることは難しかったかもしれない。
「どれだけ、叫んでも無駄だよぉ?誰も助けには来ないんだから」
その声に頭の中で、何かが、引っ掛かった。
聞いたことがある?
親しい人物ではない、けれど何度か聞いたことがある。親しくもないのに覚えているということは、たぶん印象が強かったからだ。思い出してどうなるとも思えないけれど、私は思考を回転させる。
どこだ?恐らく、職場だ。嫌な記憶の残る人物の中には当てはまらない。職場で出会った際の印象は良かったようだ。
そして、思い至る。このまとわりつくような甘く優しげな声…。声質自体は低いのに、柔らかな喋り方をするせいで、威圧感を感じさせない。
「何考えてるの?今からお前は殺されるんだよぉ?もしも、殺されたくないなら、このお薬を飲もうね。このお薬を飲んでくれたら何にもしないで助けてあげるよ。でも、拒否したら、どうなるかわかってるよね?」
「あなた、ローゼン?」
「っ………」
沈黙は消極的な肯定。私は確信してしまった。そして、同時に頭の中が混乱して一瞬気を失いそうになった。ふらっと倒れそうになるも両腕を縛るロープがそれを許さず、自重により腕にかかった強烈な負荷に呻き声が漏れる。
「ううぅ」
次の瞬間、痛みが和らぐ。何かに抱きかかえられている感覚に、ゆっくりと瞳を開く。視界に広がる見知った人間の姿。マントのフードに隠されていた、犯人の整った顔がはっきりと視認できた。
やはりそれは、職場のカフェを時々訪れる、美の化身のような男。ローゼン・アルハイムだった。
「シェリルちゃ、あっ…」
倒れかけた私を抱き止め心配げにのぞき込んできた男のアイスブルーの瞳をじっと見つめ返す。視線と視線が交わり、ローゼンはまるでしまった!という顔をした。
その瞳の奥には一点の曇りもなかった。
ローゼンはまるで金縛りにでもあったかのように、私から視線を外せないようだった。
私はようやく混乱から抜け出す。
「…へぇ、こんばんは、ローゼン。いいえ、連続殺人事件の、模倣犯さん」
私は震えそうになる声を押し隠して、淡い微笑みを唇に乗せた。