8.セリー
「広いだろう。ここは、ミューゲ一等の牧場だ。ここの潮風に吹かれた草で育つヤギや牛は、 肉もチーズも、バターも、絶品だと王都でも人気だ」
高く澄んだ青い空と、一面に広がる緑に包まれた大地をゆっくり歩く。彼が今日、連れて来てくれたのは、従妹さんの実家だという村随一の大牧場だった。
ミューゲでは酪農や小麦栽培が主な農業で、季節ごとに村人全員で手を回しているそう。野菜や果物なんかは産業というより、自分達で食べる分だけ育ててる感じ。ほら、日本でも昔は庭に蜜柑や柿の木が庭先にあったでしょう?あんな風。特に果樹は、村を歩いてるとそこかしこに自生してるのね。子供達が採って食べてるのをよく見る。
「村の子供はみんな、よくここで遊び回る」
「リュートも?」
「俺は、どちらかと言うと振り回されたクチだな」
なにこのハイジの世界。ヤバい。ヤバいしか出てこない。早急に語彙力求む。いや、これは遊び放題でしょう。だめ、これ走りたい。というか思いっきり踊りたい。絶対に気持ちいい。
彼だって、そうは言いながら、懐かしそうに目を細めてる。むしろこの空間が嫌いな人っているの?まぁ好みは人それぞれか。とにかく、この絶景といい空気といい、思いっきり童心をくすぐってくれちゃって。私だって子供の頃、こういうところで思いっきり遊んでみたかったわ、くそぅ。
〜大牧場のフロマージュブランとクラムチャウダー〜
「ここらへんでいいか」
彼は目星をつけた木陰に、おばあさまのパッチワークだというシートを敷いて、私を手招きする。出かける時にお母さんが持たせてくれたバスケットから、小道具を取り出して何か作っていくのを私は隣に腰を下ろして見ていた。
「これが、さっき夫人に頂いたフロマージュブラン。発酵が進んでいない、若いチーズだ。あっさりしているから、俺たちはよくこれを昼食代わりにしている」
どうやら、新鮮なうちに私に食べさせようとしてくれてるらしい。
さっきご挨拶したご夫人は、これぞ牧場主の奥様!って感じの恰幅の良い方で、豪快な笑顔が印象的だった。チーズやバターを数種類頂いて、大きなバスケットの中はもう満腹。
お土産のつもりで蔓籠に採ってあった木の実やハーブを、小さな木のボードで手早く刻んで、白いフロマージュブランに練り混ぜてゆく。最後に、ファゴットさんが今朝採って持たせてくれた野生の蜂蜜をくるりと軽く混ぜて出来上がり。念願のワイルドハニー!やったね!
「あとは、木苺や桃のジャムを混ぜても美味しい。口に合うだろうか」
「チーズって、重たいイメージがありました。でも、これはボウルたっぷりでも食べられそう…」
「新鮮なのもそうだし、フロマージュブランは特に口当たりが軽い。それで栄養価も高いから、これからまだ仕事が待っている昼時にちょうど良いんだ」
そのまま食べても、持参のパンやクラッカーに乗せて食べても美味。ありがたく堪能してると、彼はジャムやさっきのスミレの砂糖漬けも取り出して、他にも数種類あっという間に作ってくれた。わ、すごい、これにスミレの砂糖漬けって相性抜群だ!え?レモンバームのパウンドケーキにも乗せて食べるんですか?なんか生クリームみたい……〜〜〜〜〜っ、ほんと語彙力なくてすみません!苦い思い出だったレモンバームが美味しくなった!
しかもこの絶景。心地いい木陰。メェ〜ってどこからか聞こえてくる。ううん、完全にピクニック気分…というか、最初からそのつもりで連れてきてくれたんだろうな…。なにもかもいたせりつくせり。一体どこのお嬢様。せめて木の実やハーブを採ってきておいて良かった。
「君は、こういう木陰が好きなのか?」
「え?」
「俺は単に日差しと君の体調を考えてのことだったが、これまでも木陰にいると、君はとても安らいでいるように見えた。…冷めないうちに食べると良い」
バ、バレてるー!いや別に内緒とかじゃないんだけど、えぇぇ、よく見てますね…?よく…あ、うん、深く考えない考えない、うん。隠すようなことでもないし、まぁ良いんだけど。
喋りながらナチュラルに差し出された木のお椀を受け取ると、ほっこりクリーミーな匂い。彼がさっきから魔法石で温めていたのは、新鮮な牛乳と野菜とソーセージを煮込んだスープ。ご夫人が二人分、分けてくれたんだよね。んん〜、野菜はトロトロだしソーセージは胡椒やハーブが効いてて最高…!じんわり美味しいものって身も心も落ち着くなぁ…うん、それとおんなじ感じかな。
「そうですね…好きというか、落ち着くので。小さい頃、明るすぎる太陽や光がちょっと苦手で、ありがちな話、喋るのも得意じゃなかったんですよ。それでよく、陰に逃げ込んでて。木陰は、特に木漏れ日を見てると慰められたので、見つけるのがクセになってるのかもしれないです」
「そうか。なら、物言わぬ草花や書物なんかも、そうだったか?」
「あ、はい」
ちなみに不思議で仕方なくて魔法石ガン見してたら「あんまり近すぎると火傷してしまうぞ」とやんわり苦笑されてしまった。絶対また子供っぽいって思われた…でもだって不思議なんだよ!
「落ち着く、というのは、俺にも覚えがある。光や人付き合いが苦手だったわけではないんだが、特に積極的という性格でもない。こちらに過剰に期待したり触れ合ってくることはないから、そういうもののそばにいた方が楽でな」
わ、わかる、それ凄くよくわかる…!うわ、急に親しみを覚えるとかなんて現金なの私。でも敬語は抜ける気がしないけど。そんなに畏まらないでくれって言われてもね?畏まってるんじゃないんです、ドギマギしちゃってこうなってるんです…!本当は名前だって、リュートさん呼びのままの方が心臓に優しいんだけど、なんかさみしそうに苦笑するから…!そっちの方が心臓痛かったし、私も歩み寄る努力はするべきだってなんとか自分に言い聞かせて、名前だけでも有り難く呼び捨てに…うぅ、意識しまくりの自分が気持ち悪い…。
彼は紳士だ。そして、ズルい。
愚痴って良い?だって、彼、まずもって近づき方がズルい。例えるなら、星の王子様の狐の話。わかる?あの話を現実でやる人初めて見たよ。むしろ出来る人がいるなんて思わなかった。
好きだって、最初にはっきり伝えて来たけど、それを言葉や態度でぐいぐい押してこない。私が彼を覚えるのを待ってる。名前だけじゃなくて、リュート・セレナードという人を。
私が、例えば簪の琥珀珠やパンを見て、彼を思い出すように。何かの風景を見たりして、彼を思い出すように。
待ってるだけじゃなくて、その思い出が私にとって良いものになるようにしようとしてくれてる。私が反射的に引いて引っ込まないように、少しずつ距離を測りながら声をかけて、手を差し伸べてくれる。
その測り方が、これまたスマートで自然。逆に、例の先輩はいかにも策略練ってます感があって、芝居がかってて、こうされたら嬉しいだろう?みたいな勝手な思い込みと、そんな自分に酔ってる感じだった。比べるのが失礼だ。
きっとそれは、彼自身が素のままで私に接してくれてるからだ。好きな相手だから、って自分を無理やり取り繕ってる感じがしないからだ。
彼は心からこの村を愛しんでいて、それを素直に伝えようとしてくれてるからだ。「初めて」って言ったのは本当で、スマートだけど、手慣れてるのとは確かに違って。彼も私と同じように一生懸命、手探りしてくれてるのがわかるからだと、思う。
その等身大が、凄く、嬉しくて。だから、ドギマギするけど、安心もして。気づけば、そっと差し出される手札を、受け取ってしまっている。
「あ…」
いつの間にか彼のことばかり考えていた。そんな自分にまた戸惑って、視線を彷徨わせていたら、草っ原にぽつんと立っているモミの木に目を吸い寄せられた。正確には、木陰でゆらゆら揺れているブランコ。
「あぁ、懐かしいな。まだあったのか」
話を逸らそうとしたわけじゃないけど、ちょっとホッ。
あぁ、良いなぁ。ブランコか。公園…あんまり遊んだことなかったし。ほら、ピョーンって飛ぶの、やってる子供達見てたら楽しそうで、あれ、ちょっとやってみたかったの。今なら出来…ないか。うん、今やったらまた怪我する。でもそのうち絶対やりたい。
「…乗ってみるか?」
「え」
あれ、私そんなに物欲しそうな顔、してた?
彼はそう言うと、緩やかな坂を下ってゆく。懐かしそうにブランコに触れると、木陰の中から私を振り返った。「おいで」って。……ねぇ、もう、本当にズルい。
半ばヤケクソで近づいて、乗ってみる。
…。わ、わぁ、ブランコだ。ごめん、ぶっちゃけ人生初でテンションあがるわ。使いこなれてるからか、乗り心地も良い。やっぱり素材が植物性って癒される。うん。
現金なことに、意地も羞恥も忘れて、私のどこかにあった童心が元気になった。夢中になって揺れてると、くすりと笑う気配。えぇもういくらでも笑ってくださって結構ですが何か?
「よかった」
「え?」
反応が単音多くてすみません。揺れながら、いつもより高低差のある彼の顔を見上げる。
「俺は、君がどんな世界にいたのか、知らないから。こうして案内役を買って出たが、俺にとってかけがえのない良いものでも、君にとってはもしかしたら、良くないものもあるんじゃないかと思ってた。だけど、君はそうして、この土地を受け入れてくれてる。だから、よかった」
はいここで質問です。前後三十度ずつくらいの角度で揺れているブランコからいきなり両手を離したらどうなるでしょうか。はい、そこの良い子のみなさん正解です。
「セリー?…どうした、手を離したら、危ないだろう」
「好きです」
それでも、今、彼に手を伸ばさなければならなかった。それで、伝えなければいけないことが。
彼は私に本当に甘い。叱るけど、私の奇妙だろう行動ひとつひとつに、理由や意味があると当たり前のように考えてくれる。あぁもう、だからそういうところも、むず痒いの。こっちはこれが、今はまだ精一杯なのに。
「私、この世界が好きです。死にかけて召喚されたのでもなくても、あっちに未練があったとしても、私、きっとこの世界をちゃんと好きになりました。この村が好きになりました。まだ、全部を知ってるわけじゃないけど、きっとこれから全部、好きになります。…ごめんなさい、ちゃんと言ってなくて」
そうだ、彼だって手探りで、異世界人のことなんかわかるわけがない。赤を青って言うかもしれないし、太陽を月って言うかもしれないし、良いを悪いと表現するかもしれない。そんな人間を相手にしているんだから、不安に思って当然だ。
私は自分のことに精一杯で、たった今までそのことを失念してた。なんて情けない。私だって誰かと会うの怖かったのに。もっとちゃんと伝えるべきだった。それこそ全身全霊で。彼の厚意や好意に甘えて、受け身ばかりじゃいけない。いつも「今日はありがとうございました」って言ってたけど、それじゃ足りないんだ。
「召喚されたのがあの小森で良かった。見つけたのがあのお店で、私を見つけてくれたのが、あなたで良かった。私、本当にそう思ってるんです。本当です。ちゃんと好きになってます。だから」
だから、不安にならないでほしい。
彼のお陰で、私はひとつひとつ、この世界のこと、このミューゲのこと、知ることが出来てる。自分がこれから生きる世界を。
本当は私から挨拶回りするべきなんだろうけど、彼が間に入ってくれて、村の人達とも少しずつ知り合うことが出来てる。彼が手を引いてくれてるから。
今はこんなに甘えてばかりだけど、いつかちゃんと自分だけで歩けるようになったら、きっと恩返ししたい。それまでは、ただ手を引かれるだけじゃなくて、せめて堂々と背を伸ばしていよう。そうして少しずつ、私に何が出来るか見つけよう。言葉が不器用だなんて、そんな甘えたことを免罪符にしてないで、自分の気持ちを素直に伝えよう。
「本当は、ありがとうだけじゃないです。リュートとこうしていられて、凄く嬉しい」
そう、私はあなたがいてくれるお陰で、大丈夫なの。だから、そんな不安そうな顔しないでーその一心で、彼の手を両手でがっちり握った。届けって念じながら。
……後から振り返って、待ってこれ普通に告白じゃ?と気付いて夜のベッドで悶えることになったのは、別のお話。彼の耳が微かに赤くなっていた原因に気づかなかった愚か者はここです。




