6.セリー
小森の朝は涼やかだ。
森の暮らし、っていうと、少女向けの海外童話なんかのイメージで、いかにも綺麗で爽やかな空気が漂っているんだろうと思うでしょう?うん、間違ってはない。近代文明なんかとは無縁だから、間違っても東京都心部の排気ガスまみれじゃないし。でもそれ、正しくもないの。
確かに綺麗ではあるけど、これがね、土臭さと獣臭さが絶妙に入り混ってる。うんと糞臭いということはないけど、爽や、か?って感じ。もちろん、草木の清涼な良い香りもするのだけど。でもこのリアル感が安心する。うん、そりゃ、森の動物の皆さんも朝起きて、生理活動しますよね。快適なお腹で今日も一日過ごしましょう。
〜小森の庭の蜂蜜バタつきパンと、黒パンと白パンのオープンサンド〜
というわけで、私も快適に一日を始めるべく、いそいそと家の外に出る。
水を汲むのは、井戸でも、ましてや水道の蛇口でもなく、そばの泉から。カルキ臭くなくて凄く美味しいよ。硬水軟水はよくわからないけど。水って人によって合う合わないってあるけど、ここの水は私も大丈夫だった。そこから躓いたらどうしようかと思ってたから安心。
水桶に汲んで、えっちらおっちら。天秤棒もあるんだけどね、たぶん今やったら確実に転ぶわ。使ったことないし。でもそのうちトライしたい。
ちなみに水汲みは、やっと最近になって許可が出た。そこそこ力仕事だから、暫くはファゴットさんがやってくれれて、私は大人しくしてろって。…あ、鹿さんおはよう。
あの鹿の親子は毎日同じ時間に、水を飲みに来る。あまり警戒していないのは、私が『魔女』ってわかってるからかな?キキが周知でもしてるのかな?この間ばったり熊や豹に会ったけど、華麗にスルーしてくれたよね。あぁお前か、みたいな感じで。はい、これからお世話になります。
「キキ、起きたの?」
中に戻ると、暖炉のそばで大欠伸してた。ふふ、こうして見ると、普通の可愛い黒猫なんだよね。まだ少しよたよたしながらキッチンに向かうと、のそのそとついてきた。お腹空いたのね。蜂蜜でも舐めておく?
『魔女の家』のキッチンは小さい。
基本的に『魔女』だけが暮らしてきた家だから、当たり前と言えば当たり前か。こじんまりとコンパクトで、シンプルで使いやすいよ。窓から朝陽の木漏れ日が差し込んできて、窓硝子やシンクにきらきら反射して綺麗。
日本では次々と目新しい調理器具とかバンバン登場してたけど、便利すぎても堕落しそうだなぁって思ってた。私は手仕事って好きな方。おばあちゃんおじいちゃんっ子だからね。
さぁ、まずはお湯を沸かそう。目覚めのお茶はほっと和むひと時。
腰くらいの高さの小さな薪ストーブに火を熾す。調理の火の元はこれだけ。その熱源で上のコンロで料理するの。うん、私も最初びっくりした。まさか電子レンジがあるとは流石に思ってなかったけど。
でもこのキッチン、使ってみると凄く機能的。手の込んだ豪華な料理はしないから、ちょっと隅で包丁とまな板使えば済んじゃうし。冬なんかはそこの暖炉で煮込み料理とかするんだろうなぁ。ちょっとワクワク。ここには電気もガスもない。アーミッシュの人達も驚きのアナログですよ。
小森の外では魔法石っていう文明の利器が使われているみたいだけど、ファゴットさんは念のためにいくつか保管してても基本的に使ってない。私も馴染みのないものより、マッチとかの方がしっくりくる。夜のランプはオイルです。
さて、お湯が沸いた。天井から吊るして干してある薬草を少し取って淹れる。んーっと、今朝は…よし、爽やかにミントとラベンダーにしよう。わ、良い香り…。さらさら静かに梢の音がして、早朝特有のほど良い薄明るさが落ち着く。
幼い頃、太陽や蛍光灯の明るい光って苦手だった。庭の木陰とか桐箪笥の隅っことかに隠れたりしてね。ちょっと怖かったけど、押入れとか物置部屋もよくお世話になったなぁ。起き抜けの障子のやわらかな雰囲気も。それで、学校に行きたくないなぁってぼーっとしてると、いつもおばあちゃんがコポコポ温かいほうじ茶淹れてくれて、蜂蜜バタつきパン作ってくれて、それでなんとか外に出たんだよねぇ。ふぅ…わぁ、なんかおばあさんみたい。いいよ、これから鍛え直すもの。
今はお休み中の暖炉のそばの揺り椅子でゆっくりお茶を飲みながら、今朝は何を作ろうと考える時間は食いしん坊には至福。あ、この揺り椅子は私専用になってます。先代『魔女』のおばあさんが使ってたものみたいで、自分は必要ないからとしまってたらしいのをファゴットさんが引っ張り出してくれた。完全に介護人扱いです。反論出来ないんだけどね。
「セリー、腹減った」
「はいはい」
朝はだいたい、たっぷり水分と栄養を摂れるスープと、私が買ってくるパン、それにチーズやジャムなんかを添えて二人と一匹の食事は完結している。うん、我ながら質素で素朴だ。
でも、食材そのものに、滋養とかエネルギーがいっぱい詰まってるからか、地味とか貧相とか全然ない。むしろとんでもない贅沢だわ。ハウス栽培どころか路地栽培でもなくて、野生で育った果物や木の実やハーブが手に入るってどう?葉っぱ一枚、木の実ひとつがもうね、とてもエネルギッシュなのがわかる。これは不健康になりようがない。
…よし決めた。夜に作ってまだ余ってる雑穀を炊いたのに、ちょっとスパイスを加えてお芋を入れて、スープにしよう。皮ごとが美味しいよ。ダシ?必要ないない。入れても美味しいと思うけど、じわ〜って素材の味が出るから塩だけで十分。でも時々、ファゴットさんが猟をしてきた時なんかはお肉や骨も入れるよ。ジビエって言うのかな?あれも美味しい。
あとは、昨日貰った卵があるから、スクランブルエッグにしよう。たっぷりのオリーブオイルで半熟に。さっき泉のほとりで見つけたハーブと一緒に食べたら、きっと美味しい。まだこの世界の植物に詳しくないけど、バジルみたいな香りがした。
「あ、ファゴットさん。おはようございます」
「おはよう」
卵を割っていたら、表からファゴットさんが戻ってきた。
彼は本当に早起き。今日は裏手の小屋で何か作業をしていたみたいだけど、日によっては猟に出かけていることもある。そういう時は、少し遠くから聞こえる銃声が目覚まし時計の代わり。パッカンパッカン、薪を割ってることもある。
暖炉もオーブンも、使い慣れてしまえばこっちのもの。一人暮らしは長かったからね、自炊レベルならそこそこ料理出来ますよ。ちゃっちゃとスクランブルエッグを作り終えれば、スープも良い具合。
それで、あとはやっぱり、蜂蜜バタつきパン。
えぇ、もうここぞとばかりに、毎朝欠かさず食べてますよ。もう食べないと落ち着かない。だってここ、のどかな森だよ?そこに小鳥とかリスとかいるんだよ?童話の世界だよ?蜂蜜バタつきパン食べるしかなくない?
「キキー、ごはんー」
「おぅ」
さぁ、小森の庭にテーブルをセッティングしましょう。
今日はやわらかな水色のテーブルクロスに、生成色のレースをダブルがけ。使ったクロスは毎日ちゃんと洗ってアイロンかけてるよ。これも私の仕事。青系って食欲が減る色らしいけど、レースと木製のテーブルと一緒だとあら不思議、あっという間に美味しい食卓の出来上がり。
クロスを使うと、全体に一体感が出て、しかも簡単にお洒落になる。日本にはこういうあまり文化なかったなぁって思ったけど、あっちは代わりに器の伝統文化凄かったよね。
日本は昔はひとりひとりにお膳があったから、クロスとかランチョンマットは必要なかったんだろうね。お膳とランチョンマット。文化は違うけど、実は根っこが案外似てるのは、やっぱり同じ人間だからかな?こういうの考えるの楽しいなぁ。
二人と一匹揃って、はい、朝イチのご馳走頂きます。
天気が良い日は外で食べたいです!っていう私の要望のより、朝はこうして木漏れ日の中で贅沢をしております。ファゴットさん手作りの小さな木のテーブルに、これも手作りの木のお椀やお皿。この家、金属って殆どないの。そのままの木の食器類は手触りも口当たりも最高。ほっこりする。
スープでお腹を温めたら、冷めないうちに蜂蜜バタつきパンに早速手を伸ばす。今日はおばあちゃん版。バターが良い溶け具合。今日は卵と一緒にお勧めされた、干しイチジクと胡桃を練りこんだのを試してみるの。今まではプレーンのでしか食べてなかったからワクワクする。
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ、おいし…っ」
ご い り ょ く 。
凄い、これ美味しい。蜂蜜とバターだけが一番!なんて無意識に思い込んでたけど、干しイチジクと胡桃との組み合わせ美味しい。凄い。パンに全粒粉が練り込んでるのも良い。
干しイチジクのプチプチ甘いのと、胡桃のサクサク香ばしいのが、バターと蜂蜜に凄く合う。凄い。いくらでも食べられそうで、でも一枚も食べれば大満足できちゃう。なにこれ幸せ…。
それと今朝は、黒パンと白パンでオープンサンドも作ってみた。やわらかめのパンも三種類くらいあるんだけど、隣同士で並べられてるの見て思わず両方買ってきちゃった。思い出したアニメが何かって、わかる人にはわかるはず!
どちらも生地がきめ細かくて、小さいけどふたつも食べればお腹は至福。スライスしたのに、黒パンにはヤギのチーズを炙って胡桃と蜂蜜を乗せて胡椒をぱらり、白パンにはバターと採ってきた野生のクレソンとトマト、生のマッシュルームを乗せて塩をぱらり。蜂蜜バタつきパンは不動のナンバーワンだけど、これも悩ましいくらい美味。
この世界で目が覚めて、早くもふた月。
当初よりは食べられる量も増えて、水汲みや料理もお許しが出た。最初はちょっとしたことで直ぐに具合悪くなっちゃってたから、それだけでも落ち着いてくれたのは本当に嬉しい。オートミールのお粥は美味しかったけど、いつまでもそれじゃあね。もっと回復したら、習慣だったバレエの自主稽古も再開したい。今はストレッチで徐々に身体をほぐしてる。おばあちゃんに教わって、バーレッスンは朝のラジオ体操代わりだった。だからじっとしてるって性に合わない。
はぁ…それにしても、こんなに穏やかな気分でのんびり過ごせるなんて。私って、今まで随分と呼吸が浅かったみたい。ゆっくり休んでるつもりで、どこか気持ちがせかせかしてた。
なにも、巷で流行ってた田舎暮らし、スローライフをしたいとまでは言わない。昼間はあくせく働いてたって良いの。現実は見ないとね。ただ、ゆっくり息が出来るひと時のある生活っていうのかな。せかせかしてると、踊りものびのびしないのよ。今なら作り笑顔じゃなくて、心から楽しいって笑いながら踊れる気がする。
工夫次第、自分次第で今までも可能だったんだろうけど、うん、なかなかね。なかなか、って言い訳してる時点でやる気が足りなかったんだろう。結局グダグダと慣れきってしまった毎日をループさせるだけの生活。その虚しさに目を瞑って、文句言ってないで満足しなきゃっていうのは通勤ラッシュの皆さんも同じだったんじゃないかな。だってそれが現実だ。ただ、割り切ってはいたけど、やっぱり疲れていたのかもしれない。仕事をやめたのは全面的に例の先輩が理由だったけど。
「うーん…どうしよう」
この家には召喚した次代のための部屋があって、私もそこを使わせて貰ってる。朝ご飯を済ませて、今は何を着て出かけようか考え中なのです。クローゼットはファゴットさんがわざわざ作ってくれました。ありがとうございます。
いくつか候補を選んで、壁にかけて眺める。全部貰い物なの。ありがたや。ところで、なんか壁のそこかしこに、暗号みたいのやら数式みたいのやら書かれてるのが面白い。思いついたら壁にメモって、どこの天才科学者のドラマ?先代のおばあさんの仕業らしいよこれ。
この家、元々は巨大な隕石らしくって。太古に地上に落ちてきて、その影響で周辺の生態系が変わってこの小森が出来たんだって。岩をくり抜いて家にするってどうやったんだろう…純粋な疑問。
だから壁は岩肌なんだけど、寒いとかはなくて凄く快適。ファゴットさん曰く、隕石が保有してるエネルギーが今でも生きてて、何かしら作用してるんじゃないかって。『魔女の家』の起源としては納得のエピソード。
はい、今日はお出かけなのです。まぁ、今日は、というか、ほぼ毎日なんだけど。散歩がてらじゃなくて、ちゃんとしたお出かけ。
「いってきまーす」