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4.リュート

 


 元々、欲は少ない方なのだろうと思ってきた。


 無欲とまでは流石に言わないが、執着心に薄い自覚はあった。家族、家、この村など大切なものはあるし、好むものもそれなりにある。だが、従妹曰く「粘着性があらへん」ようだった。

 言われてみれば確かに、好んだものをどうしても手に入れたいと思うことも特になく、他人の手に渡っても嫉妬することはなかった。誰かの手によって大切にされているならば、それで満足出来た。


 生まれ育ちに恵まれているせいもあるだろう。裕福な貴族ではないが、ごく普通の家庭の良識ある両親の元に生まれ、のどかな村で育った。有り難く、贅沢なことだ。世の中には、我武者羅に求めなければ平穏や平凡を得られない者もいるはずで、だから自分の性質を偉そうに語りたいとは思わない。

 従妹は自分のこういう性質を咎めたわけではないが、「リュートが一生おひとりさまで終わらないか心配や」そうだ。余計なお世話だ。



 〜カフェ・ラテとクリーム・ティーの占い〜 



 そんな自分が魔法騎士という職に就いたのも、自ら積極的に志願したわけではない。志高く熱心な者からすれば、不愉快に映るかもしれない。


 十二歳と十八歳で行われる適性検査で魔法騎士の診断が下った者は、王都の養成所で騎士見習い後、最低三年間の服役を義務付けられている。服役というと物騒な響きだが、実際に物騒な時世であれば文字通りだ。

 しかし、これも幸いにも今は戦争がない時代であり、途中で勃発することもなかったため、服役と言っても大層なものは肩書きくらいで平和なものだ。とはいえ、仮にも国を守る魔法騎士。やるべきことは多く、苦労もあったが、どうやら自分の能力値は平均よりは高いようで、それなりに努力すればそれなりの結果を得ることが出来た。これも意識したことではない結果論だが、上層部の覚えも良い方だった。

 適正検査は少しでも優秀な人材を発掘・確保するための政策のひとつで、主に郊外の地域を対象としている。あれは十八歳の時だった。自分はこの村で唯一だったため、村全体で大袈裟なほど激励が行われ、送り出された。「可愛いお嫁さん楽しみにしてるから!」と言った母は、目的を盛大に間違っているらしかった。

 ちなみに王都などの都市部では、わざわざ検査を行わずとも既に人材が集まりやすいようだ。魔法騎士の適正は、第一に有する魔力の質量に左右される。政治に関わる職務の多くがそうだ。魔力は血筋で受け継がれることが多いため、世襲的に優秀な人物や家の子孫は検査を要さないことが多い。貴族や武家がそうだろう。


 このままのどかなこの村で、穏やかに過ごしてゆくだろうと思っていた。

 適性検査を機に、がらりと変わった生活。それも暫くすれば慣れ、淡々とやるべきことをこなした。この村を想うことはあったが、いわゆるホームシックとは別のもので、ただ変わらずにいてくれれば良いと思った。王都のベーカリーは少し肌馴染みが悪いような気はした。

 養成所や騎士団での人間関係は、一般的に見ておそらく、淡白なものだったと思う。自分はこれが元々だが、意識して淡白な人間関係を好む者は騎士では珍しくないらしい。生活環境は概ね順調で良好と言えた。一部のやっかみはあったものの、無難に流す術は心得ていた。


「もったいねぇな。それでもうちょい欲がありゃあ、ひと皮剥けて化けるかもしれねぇってのに」


 そう言ったのは、我が国魔法騎士団で近衛隊の隊長格を務める、数々の異名と武勇伝を誇る人だった。養成所に視察に来たその足で自分の引き抜きの打診をし、実際に卒業後は彼直属の部隊に所属することになった。


「何かを大切にすることに、向いていないだろう自覚はあります」

「あん?」

「欲に欠けるということは、つまり、庇護欲や守護欲にも疎いということでしょう」


 魔法騎士として、そしてー人の人間として、自分に決定的に足りないもの。悟るのは早く、養成所の時点でどこか達観していた。平和な世だからまだ良いが、もしこれが戦争の最中であったらどうかと考えた。

 欲とはおそらく、諸刃の剣だ。淡白な方が良い方に作用する場合もあるだろう。だが、究極の最後の最後、何かを守り通す力は自分は弱いのではないかと思う。尤も、この机上の空論も平和だからこそ成り立つもので、現実に戦争でも勃発すれば自分も含めて、何もかも変わるのだろうけれど。


「そりゃあお前、まだ巡り合ってないだけだろ」


 彼は不思議なことを言った。自分の発言が自己卑下ではないことは理解してくれたのか、彼もまたあっけらかんと飄々としたものだった。


「お前は別に欠陥品なんかじゃねぇよ。いざという時の素質も下地も十分にある。俺が保証する。だからそのうち、安心して巡り会え。このワインとチーズみたいにな。そうだな、リュート。お前にゃきっとーー」


 王城に併設された喫茶のサロンスペース。サシで呑みに誘われることは多く、その時、たまたま王宮筆頭魔術師も同席していた。自分達の会話を興味深そうに聞いていたかと思えば、喫茶の執事に持って来させたのが王都で流行り始めた、コーヒーという飲み物だった。

「ミルクを注ぎ、ひと息で飲んでみなさい。占いましょう」と言われ、自分よりも上司が乗り気な中、小さなカップを言われた通りに一気に飲み干した。魔術師はカップに残った模様を見ると、面白そうに笑った。


「月が満ちるのを待ちなさい。象徴は黒。とても遠いところから、あなたに逢いに来るでしょう」


 騎士団での生活は二十一歳から義務期間の三年と少しで終わり、この村に戻ってきた。「困るんだよねぇ。田舎出が目立ってもらわれちゃ」ー自分にそのつもりはなかったが、そういうことらしかった。

 適性検査を行うくらいだ。さぞ実力主義なのだろうと思っていた。ところが現実として、やはり由緒ある貴族や武家の子息こそ国の筆頭に立つべきという伝統的な風潮は、魔法騎士団でも同じらしい。


 何ら感慨はなかった。なるほど、と薄々感づいていたことを改めて確認したような心地で、退任の辞令を受け取った。図ったかのように、かの上司が長期の海外遠征へ出向いた直後のことだ。彼の元でならばこのまま騎士でも有意義だろうと感じていた気持ちは本当だが、やはり執着心は湧かなかった。きちんと義務は終えたから、村の外聞も悪くないだろうとだけ思った。


 街道を歩き続け、やがて海岸の小さな町に来た時、一軒だけ離れて佇むクリーム色の小さな家が目に留まった。コテージの花々に埋もれてクリーム・ティーと書かれた看板があり、ちょうど休憩を考えたところだったから戸を叩いた。焼きたてのスコーンと苺ジャム、クロテッドクリームを琥珀色の紅茶と味わうと、その素朴さにこれから帰郷するのだという実感が湧いたものだ。母よりも少し歳上だろう女性と自分しかいない穏やかな空間は、なんとも不思議な心地だった。


「お里へ帰るのかい?」

「はい」

「そうかい、そりゃあ良い。この道の先に、アンタに逢いに来る子がいるようだからね」


 空になった紅茶のカップを見ながら、女性はさらりとそう言った。





「…ん?」


 帰郷してふた月も経てば、身の回りも落ち着いて来る。

 生まれ故郷の空気は久しく触れていなかったとは言え、直ぐに心身に馴染んだ。半月は毎日のように王都の土産話を聞きたがった村の者達も日常の空気に戻り、自分がまた自然とここに受け入れられたのは僥倖と言うべきだろう。母などはいつまでも「良い子はいなかったの?」などと聞いて来るが。

 家業を継ぐと明確に決めているわけではないが、手伝いは一人息子として、幼い頃から呼吸をするようなものだった。昔から懇意にしている大農家の家に、ぎっくり腰をやった父の代わりに訪問して帰ってきた時に、その姿を見つけた。


 ツバの広いキャペリンハットの陰になっていて顔は伺えないが、女性であることは一目瞭然だった。若者にはあまり流行らないクラシカルな装いに、お忍びの淑女か何かかと思ったのも仕方がない。ウチの店の前で、あんな風に立ち止まる村人はいない。誰もが顔なじみで、用がないなら通り過ぎるしあるならさっさと入る。

 不審というより、いつまでもウチを見つめているのが不思議で、足を止めて見ていた。しばらくして、気づかれないよう、顔が見える角度まで移動した。

 自分が言うのもどうかと思うが、想像以上にまだうら若い女性だった。ウチに入りたがっている様子は伝わってくるものの、なかなか踏み出そうとしない。大袈裟な仕草ではなかったが、そわそわとしているのが丸わかりだった。何を遠慮しているのか。だが、足元に黒猫がいるのに気づいて、漸く納得した。なるべく驚かせないように、「君」と呼びかけた。


 騎士という仕事柄、悪どい言い方をすると、いかに相手に警戒心を抱かせず近づくかも重要な術となる。ただ、意識したことはないが、「お前は元々、それが性分のようだから、諜報部隊に向いてるかもな」との評価を頂いている。

 言われてみれば確かに、昔から相手の顔色や仕草、ちょっとした機敏を読み取って、不快感を与えないように振る舞うようにしていた。その方が無駄な争いごともなく、日々は平穏に流れてゆくことを知っていた。

 欲も多くない方が良い。それは聡い子供だったからではなく単純に、面倒はない方が楽だと無意識に思ってのことだったろう。とりたてて何かを我慢していたわけでもないから、確かにこれが性分なのかもしれない。


 はたして、振り向いた彼女だが、何故か悪いことをして親に見つかった時のような、少しの怯えと悲壮な表情になった。また不思議に思った。

 悪いことと言っても、それは悪ガキが積極的にやんちゃをしたのとは違って、例えば一生懸命手伝いをしようとしてうっかり皿を割ってしまった、例えるならそんな子供の表情によく似ていた。続いて、その瞳に浮かんだのは、諦めの色。あれほどウチを熱心に見つめていた目を伏せて、まるで別れを告げるように去ろうとする。

 その姿に、なんとも言いようのない気持ちになった。物分かりの良い子供が、周囲を慮って本当は欲しいものを大丈夫、いらない、と、表情は誤魔化せていないのに頑なになっているかのようで。

 このまま帰せば、おそらくもう二度と、来ないのだろう。そんな確信にも似た考えが過ぎると共に、ドアを開けていた。どうしたのかと、続けようとした無難な問いなどすっかり忘れて。


「そんなに遠慮していないで、入れば良い」


 言葉以上でも以下でもなく、そんなに遠慮していないで入れば良いと、本当にそのまま思ったからドアを開けた。これが良からぬ不審者であると言うなら、この世は随分と平和なものだと思いながら。


 この時点で既に、足元の黒猫を忘れたわけではないものの、彼女自身への興味が遥かに優っていた。異世界人の持つ独特の雰囲気を無意識に嗅ぎつけていたにしろ、それ以上に、惜しいと思ったのだ。さようならを告げそうな瞳に、そんな必要はないと言ってやりたかった。そう歳も変わらないだろう。別に子供っぽいと思ったわけではない。ただドアを開けてやりたいと思ったのが、あの時の全てだった。


 彼女は可愛らしい。


 どうやら自分がこの家の息子であると思っていなかったらしく、別の日、焼きたてのクロワッサンが並べられた天板ごと表に出たら、口を「あ」の形で開きっぱなしにしていた。無言だと怖いと定評のある自分の眦が、またやわらぐのを感じた。

 蔓籠にひとつ、入れたのは余計なお世話だっただろうかと後から気づいた。勿論おまけのつもりでお代は取っていない。母に「焼き立てが美味しいのよ。食べてみてちょうだいな」と言われて、その場でおずおずと齧ったかと思えばみるみる喜色が広がったので、結果は概ね良好と言ったところか。それにしても、わざわざ蔓籠を置いて、両手で食べるのは可愛すぎないか。母もそう思ったのか、その日から何かと理由をつけてその場で試食させたがる。「リュートがあんなことするなんてね」と夕食の席で言われた。


 王都の店ほどの規模ではないが、ウチにも簡易な品書きがある。ところが、彼女がどうやら読めていないらしいことは直ぐにわかった。眉をへにゃりと下げて、黒板や札を見つめているのだ。話す言葉は分かっているのに、文字は不自由とは。黒猫は、何やらそこらへんのフォローは不完全らしい。

 後から思えば母に任せたって良かったと思うが、ちょうど手が空いていたこともあり、その日に焼いたものをひとつひとつ説明した。どんな小麦粉を使って、どんな風に焼いたものか。風味は。食感は。それぞれの名の由来や歴史を、特に興味深そうに聞いていた。その後、いつも以上にどれを買おうか悩んでうろうろしているのも、また可愛らしいと思った。


 ただ、可愛らしいのは良いが、危なっかしいのはどうしたものか思う。

 ある時は、いつもより微かな呼気の乱れと顔色の悪さを感じたところ案の定、軽い脱水症状になりかけていた。持っていった一杯を彼女は水だと思ったようだが、あれは地下蔵に保存してあった白樺の樹液だ。雪解け直後にしか採れない神秘の水だからか、回復も早かった。

 ある時は、風で飛んでしまった帽子を追いかけようとして、その意思に身体がついていかずに転びそうになった。不謹慎にも、帽子に手を伸ばす姿が物語の一枚絵のようだと見惚れた。


 普通であれば、いい歳した人間が自己管理も出来ないなど、と思うところだろう。そもそも、彼女は勘違いしているようだが、自分は元来そこまで親切ではないし、誰にでも手を差し伸べるわけではない。


 こんなことがあるたびに彼女は、心から申し訳なそうに、そしてそれ以上の悲しそうな顔をする。いや、顔だけでなく全身全霊で、自身を叱咤しているのが伝わってくる。もどかしそうに、自分の足だけで立とうと常に気を張り詰めて。そのくせ、そんな内心を悟られまいと表情を抑えている。だが、生憎と自分相手に分が悪いというものだ。


「俺が、好きでしていることだ」


 そんなに己を責めることもないだろうと言いたくも、他人が口先で言うことほど浅慮なことはないと思いとどまってきた。

 代わりに、いつからか、気づけばそう言うようになっていた。欲が少ないと思い続けてきた自分が、初めて手にした情欲を、密かに忍ばせて。不快感を与えないように。怖がらせないように。怯えさせないように。彼女に出逢って、ひと月以上の時間が流れていた。


「そうだな、リュート。お前にゃきっと、守られることに慣れてる貴族のご令嬢やか弱いお姫サマより、例えば頼ることも甘えることも下手で気張ってるお嬢さんのが、きっと燃えるだろうぜ」


 武に長けた者は予言の才覚も身につくものなのだろうか。今、割と切実にそんなことを考えている。

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