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16.セリー

 


 小森も『魔女の家』も薬の宝庫だ。先代のおばあさんから受け継いだ薬棚には細かく分類された生薬が保管されていて、ファゴットさんが調合して熟成させている薬酒や生葉を発酵させている甕もたくさんある。


「ファゴットさん、どうですか?」


 ごりごりとひたすら薬研を動かして挽いて、ファゴットさんが調整して、また挽いて…生薬作りは本当に大変。目的と使う材料、服用する相手によってやり方は無限大だから数式みたいな正解がない。

 ファゴットさんは元の世界で傭兵さんだったみたいで、生き延びるために身につけたんだって前に言っていた。あとは先代のおばあさんから叩き込まれたみたい。病気や怪我をしたらすぐ病院、薬局が当たり前な社会に生まれた私は、こうして少しずつ知恵を教えてもらっている最中。


「いってきます!」

「気をつけて行きなさい」

「はい!」


 急げ急げ。真夜中の小森の道を小走り。足元のキキが魔法で視界をハッキリさせてくれているから、木の根元に蹟かずに済む。作ったばかりの薬を落とさないように、そうして小森を抜けると、彼が待っていた。


「マリーちゃんは」

「大丈夫だ、落ち着いている」


 差し出された手を取ると、ふわりと優しい風が無理なく背を押してくれた。そのまま彼と一緒に、月明かりの下、修道院の敷地を抜けて坂を走って下った。



 〜王道の黄金プリンと、ハーブ暮らしのあれこれ〜



「まぁまぁ、元気な泣き声だこと。お乳かしら?本当に良かったわねぇ」

「お母さんも無事で何よりだわ。今だから言えるけど、ちょっと肝を冷やしたものねぇ」

「ありがとうございます。みなさんのお陰です。家の改修まで手伝って頂いて…」

「いいのよぉ、この家が失くなるのは私達も寂しいものね」


 赤ちゃんの元気な泣き声は坂の途中から聞こえていた。真っ青な夏の空に吸い込まれて、天まで届いてるんじゃないかってくらい。蜜蝋で磨かれて味わいを深めた木のドアを開けると、「セリーちゃん!」と彼女が真っ先に笑顔で出迎えてくれた。


「おはよう、マリーちゃん。今日は身体の調子、どう?」

「ふふ、あのね、とっても気分が良いの。家中、お花の香りがして。セリーちゃん達のお陰」

「良かった…あのね、また小森で蜂蜜が採れたから持ってきたの。何が飲みたい?プディングも作ってみたから、もし食べられるなら」

「わぁ、良い匂い…」


 マリーちゃんはつい三日前にお産を迎えて、元気な男の子が誕生したばかり。「おとうと!おとうと!」ってジャスミンちゃんが大喜びしていた。今もベッドのそばで、泣いているのを一生懸命あやしていて微笑ましい。


 でも実を言うと、一時期ちょっと危なかった。ジャスミンちゃんの時はそうでもなかったみたいなんだけど、少し難産で。臨月に入るまでは比較的安定していたのだけど、花祭りが終わって少し経ったあたりから不安定になりはじめた。陣痛が予定より早く始まって、でもなかなか産まれなくて。お産の時の色々な対処法は特に女性みんなが知ってて、産婆さんもいるしこれくらいは想定内だって言っても、お産は命がけだから何があるかわからない。


 旦那様のベルナール君も二度目とはいえ不安は隠しきれなくて、かくいう私もこういうのに立ち会うのは初めてだから、やっぱり不安で。マリーちゃんは一番歳の近い女友達で、花のような笑顔が素敵な子だ。私にも何か出来ないかって、居ても立っても居られなかった。


 ミューゲの人達はみんな、昔からの民間療法を心得ているけど、小森にしかない薬草もある。ファゴットさんに相談したら知恵を分けてくれて、月に深い関係がある女性のそういうことには月の光を浴びた薬草が良いって、とにかく教えられるがまま内服薬を作った。いや、ほんともう必死だったわ…マリーちゃんが無事で良かった。


「お?来てたのかセリーさん」

「ベルナール君」

「いやぁ、マジで助かるわ。マリーにとってアンタは精神安定剤だから」


 ここは彼女達の新居。家主の人が先月に亡くなって、他に家の人がいないからどうしようかって言ってたのを、なら俺達が住むってベルナール君が引き取ったんだよね。

 でも、居酒屋の仕事もあって、彼女は妊娠しているから、家の整理や改修作業をみんなで手伝った。大工仕事は男性の皆さんにお任せして、私達女性陣はマリーちゃんのお世話をしつつ、庭や家具の手入れ、インテリアを手がけた。うんうん、なかなか良いんじゃない?


 木製の古い家具は修繕して、床や階段もラベンダーや香油を混ぜた蜜蝋で磨いてピッカピカ。リネンやベッドのシーツは手作りのハーブ石鹸でこまめに洗って、ローズウォーターを吹き込んだりポプリを添えたり良い香り。妊娠中は匂いに敏感になってお花の香りもダメになる人もいるみたいだけど、マリーちゃんには癒しみたいで一石二鳥。なんか家まるごとアロマセラピーみたいになってるわ。


 あとは、産前産後も彼女の体調によってハーブティーを淹れたり、栄養価も消化も良いスープやポタージュにもハーブ。ラズベリーリーフティーに蜂蜜を淹れるのが彼女のお気に入り。安静中だから、カモミールシャンプーやローズマリーリンスで髪を洗ってあげて、ポットマリーゴールドのローションやジンジャーオイルでスキンケアしたり、少し起き上がれる時はハーブのフットバスしたり。


 とにかくやれることをやってるのだけど、昔からの知恵なんだなぁってしみじみ実感中。もちろん万能じゃないし、お医者さんやもっとしっかりした薬、手術が必要な時は間に合わない。それに、薬になるんだから、毒にもなるわけで。

 修道院でしか栽培を許可されてない種類だってあるし、素敵!って安易に扱ったらしっぺ返しを食らってしまう。スローライフと同じで、憧れだけで手を出したらダメなんだよね。マリーちゃんのためと言いつつ、ミューゲのハーブ暮らしを私も真剣に学ばせてもらってるわけです。薬草とハーブのニュアンスの違いもだんだんわかってきたけど、ちょっとまだ曖昧かなぁ。


 あぁなんか、菖蒲湯とか柚子湯とか思い出す。難しい故事なんかわからなかったけど、おじいちゃんもおばあちゃんもさり気なく伝統文化を実践してた。おばあちゃんは毎日、椿油を染み込ませたつげ櫛で私の髪を梳いてくれたし…あ、小さい頃はおかっぱだったんだよ。ぱっつんぱっつん。写真見ると座敷わらし。そうそう、春の七草なんてまさに日本のハーブじゃない?七草粥…お屠蘇も懐かしい。思い返せば、意外とハーブには馴染んでたのかもしれない。どこの世界でも、みんな植物と上手く付き合ってるんだなぁ。


「あ、セリーや!おはようさん!」

「おはようリリィちゃん」

「今日は何するん?ありゃ、ジャスミンはいっちょまえにお姉ちゃんやっとるなぁ」

「今日はね、一度運び出した雑貨を綺麗にして、インテリアやろうかって」

「よっしゃ!」


 リリィちゃんも顔を出して、トンテンカンテン、表の大工仕事の音を聞きながら一緒に家の中を更にコーディネートしていく。


 亡くなった家主さんは村一番の長老さんで、オババって呼び親しまれていた。初めてお会いした時にはもう、会話をすることもままならなくてベッドに横たわっている状態だったけど、でも不思議と弱々しいとは思わなかった。しわくちゃの口を開けて、何を言ってくれたのかはわからないけど、にこにこ笑いかけてくれて、一度だけぎゅっと握ってくれた手は温かかった。

 ほどなくして息を引き取った表情は安らかで、ご葬儀は私も参列させて貰った。「大往生ねぇ」ってみんな、悲しさや寂しさもありつつ暗いだけの雰囲気じゃなかったのは、それだけ親しまれてたってことだと思う。さようならと、ありがとうと、今までよく生きました、花丸!が全部あった。


 この家には、そんな彼女が大切に培って慈しんできたものに溢れてる。血の繋がったご家族や親族は特にいないみたいで、だったら手入れしてこれからも大切に使っていこうって、話し合うまでもなく意見が一致した。

 何かが受け継がれて続いていくって、とても尊いものだと思う。現実はそうしたくても出来ないシビアな事情があったりして、おじいちゃんとおばあちゃんが時々連れて行ってくれた喫茶店は私が成人した時には畳んでしまっていたし、和菓子屋さんやお豆腐屋さんも、そういう小さなお店はどんどんなくなっていってしまう。時代の流れなのだとしても、やっぱりさみしいよね。


「さぁさ、ランチにしましょうか」

「なんだか毎日、かこつけてピクニックみたいねぇ。お産でもないのにお腹が丸くなっちゃう」


 お喋りしながらなんやかんやとやってると、あっという間に時間が過ぎる。呼ばれてリリィちゃんと二階から降りると、揃ってお腹の虫が鳴ったから一緒に笑っちゃった。だってほら、この飯テロ。どれどれ…。


 卵とナスタチウムの花のハーブサラダ、キャロットジンジャースープ、チキンローストのローズマリー風味、バジル入りの全粒粉パン、羊肉とタイムのチーズグラタン、サーモンのハーブサンドイッチ、ラベンダーケーキ、ナツメグとレーズンのスコーン、たんぽぽ茶。うわぁ、今日も美味しそう。さすがハーブ使いの達人のママさん達。


 ちなみに私が作ってきたのは、いつだったかヴィオレット様と話したこともあるカスタードプディング。なめらかプリンとかとろけるプリンとかじゃなくて、昔ながらの王道、どっしり固めで卵の味が濃厚なやつ。私はプリンって言ったらこれだし、卵も牛乳も栄養価高いから、プリンなら食べやすいし産後にも良いかな?って思って。

 実はその畳んじゃった喫茶店のマスターがおじいちゃんの旧友で、メニューにあったプリンをもう一度食べたいって言ったら、なんとレシピ教えてくれたんだよね。すごく可愛がってくれたなぁ。勝手に黄金プリンって命名してます。


 無事に産まれてからは泊まり込んではいないけど、ここ一週間くらいはこうやってみんなでお料理やお菓子を持ち寄ってプチピクニックみたいになってる。マリーちゃんもこの雰囲気が楽しいみたいで、気分は上々。産後の鬱病もあるって聞いてたけど、これなら大丈夫だよね。


「抱っこしてるから、食べられるなら食べて?」

「うん、ありがとう」

「ほんなら、ウチがセリーにアーンしたるわ!」

「えぇ、ほんと?」


 赤ちゃんの名前はセロ君。候補はいくつかあったみたいなんだけど、産まれた瞬間にベルナール君のおばあちゃんが決めた。もう即決だったよね。鶴のひと声ってあれのこと…お、おぉ?なぁになぁに、頬っぺたペチペチしてきてどうしたの?よしよし。ふふ、赤ちゃんって本当にやわっこくてあったかいなぁ。

 ぶっちゃけ、赤ちゃん抱っこする機会なんて今までなかったから初心者なんだよね。ママさん達の見よう見まねなんだけど、大丈夫かな?グズってはないけど…わ、わぁ、元気いっぱいだね、でも待ってそんなバタバタしちゃうとちょっと大変なのよ、む、むぅ、難しい…よーしよしよし。あぁ、可愛いなぁ。


「良いなぁ、こういうの」

「え?」

「うん、ちょっと、思い出しちゃって。ここみたいに古いおうちだったんだけど。私も、おじいちゃんとおばあちゃんの家、こんな風に守りたかったなぁって思って」


 三人で過ごした家は、親や親族を名乗る人達が取り壊して売ってしまった。おじいちゃんとおばあちゃんが亡くなった時、私はまだ未成年の子供で、悔しくても何も出来なかった。大きな重機にベキバキ潰されているのを、簪を握り締めてただ見ていることしか出来なくて。今あそこには、無機質なコンクリートマンションが建っている。

 身長を測った柱も、畳の匂いも、縁側も、小さな庭も、もうどこにもない。きっとずっと先祖代々受け継がれてきた家だったのに、なくなるのは一瞬だ。社会人になって、せめて近くにアパートを借りるくらいしか出来なかった。


 この家は生きていて、これからここで成長していくセロ君は、どんな子に育つだろう?脈々と大切にされていく思い出や記憶と、みんなの優しい心が、きっとこの子を育んでいくんだろうな。そうだと良いな。


「ねぇ、セリーちゃん」

「うん?」

「あのね、もしね、悩んでることとか辛いこととかあったら、言ってね?私は大したこと出来ないけど、一緒にお茶を飲んだり、話を聞くことは出来るから。セリーちゃんがこうやって支えてくれたみたいに、私もセリーちゃんのこと支えたいから、きっと言ってね?」


 ラズベリーリーフティーを飲みながら、ふんわりそんなことを言う。見てこの花の妖精みたいな笑顔。これは男が放っておかなかったと思うけど、ベルナール君よく守ったね。よくやった。想像で固い握手を交わしていると「そうよぉ」とママさん達がのんびりほんわか。


「だから、あなたも安心して赤ちゃんを産んで良いのよ」

「え…」

「そうそう、出産も子育てもみんなでやるんだから。心配なんていらないわ」

「ならウチが産婆になったるわ!な、ええやろ?」

「あら、リリィちゃんったら張り切っちゃって。じゃあきっちり教えないとね?」

「あら、その前にセリーちゃんはもっと食べてふっくらしないと。じゃないと赤ちゃんに全部、エネルギー取られちゃうわよぉ?」


 おほほほ、うふふふ、って…み、みなさん、楽しんでますね…?いや、うん、良いんだけど…別にネチネチ嫌なお節介って感じじゃないし。むしろ何故かすっごい温かな眼差しだわ…なんで?子供扱いされてるのか大人扱いされてるのか…ま、まぁ、二十代後半の独身女がネタにされやすいのはどこの世界でも同じなんだろうなぁ、あははは。


「これでも、前より太っちゃったんですよ?ここはお料理もお菓子も美味しいから、つい食べすぎちゃって」

「あらやだ、それで?まだまだよぉ」

「せやで、セリーはもっと太り!二の腕なんかウチより細いんとちゃうか?そんなんやと赤ちゃん抱っこ出来んで!」

「いやいや…ふふ、じゃあ、その時はシャンプーもマッサージも、リリィちゃんにお願いしようかな?」

「よっしゃ、任せとき!」


 なんでここの女性ってみんなこんなに可愛いんだろうね?歳とか関係ないよね。和むなぁ。こんな風にあったかいところだから、きっとマリーちゃんも安心して産めたんだよね。出産も子育てもみんなで、かぁ。リリィちゃん達がのびのび育ってるのは、そういう風土のお陰なんだろうな。いいな、こういうの。私もいつか、今よりもっとちゃんとその一員になれるかな…って、違う違う、なれるかなじゃなくて、なりたいから励むんでしょ!そうそう、リリィちゃん見習って気合い入れないとね!ファイト私!


「セリーちゃん…」

「え…?」


 マリーちゃんが急にビックリした顔になって私も首を傾げた。小さなやわらかい手がまた頬っぺたをペチペチ叩く。それでやっと、濡れている感触に気づいた。…あれ、なんで涙?


「あ…ち、違うの、なんでだろうね、別に、何も悲しくないのに」

「セリー…」

「ほ、ほんとほんと。え、なんでだろ…あれ?私、ただ、良かったなって思ってるだけで…あ、そっか、これきっと嬉し涙だ。そうそう、そうだよ、ね?ごめんごめん、大丈夫だよ、安心して気が抜けたんだよきっと」


 あ、まずい、セロ君に涙かかっちゃう。


「…ほんまに、それだけなん?」

「え?」

「なぁセリー。ウチな、隠し事って嫌いなん。マリーかて言うたやろ、なんやあったら言えて。ほんまにそれだけなん?なんや他にあるんとちゃうん?」

「他…?」


 正直なところ、涙止めなきゃってけっこう必死だったから、この時の私は考える余裕があまりなかった。結局、リリィちゃんはむっすりと不機嫌な顔してどこかへ行ってしまって、この後のことはよく覚えていない。


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