表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/34

15. リュート

 


「再任の件については、お断りしていると思いますが」

「しかしだね…」


 渋り、食い下がってくる相手に流石に苛立ちを覚えた。

 同時に不思議に思う。自分はもっと、淡々としていなかっただろうか。相手の顔色や仕草、ちょっとした機敏を読み取って、不快感を与えないように振舞うことは呼吸をするようなもの。相手の気勢をいなし、興を削ぎ、何と衝突することも引っかかることもなく。その方が無駄な争いごともなく、日々は平穏に流れて行くことを知っていた。


 何か変わったつもりはない。変えたつもりもない。実際に、自分の何かが変わったわけではないと、思う。

 それでも、以前までと何か異なるものがあるとするなら、それはー



 〜砂糖菓子の宝石箱に、君を想う〜



 ほとんどを自給自足で暮らしをまかなえているミューゲでも、月に一、二度ほど、特産物の品卸しのついでに買い付けのため、男手が王都まで出向くのが恒例となっている。


「あいっかわらず、王都は人が多いよなぁ。来るたびに増えてる気がするわ」


 ベルナールが呆れ返るのも無理はない。数年間、王都に滞在した自分とて、事物が目まぐるしく変わる有り様には未だ慣れないものがある。この王都をはじめ、都会というものは政治経済の中心地であるのだから、必然と言えば必然なのだろうが。

 我が国の事情を言えば、新王が即位奉り、その陛下がご結婚されたことで王都のインフラは益々の発展を見せている。人や物が流れ込み、集中するのも無理はない。比例して、特に魔法科学技術に対する王室の熱意は、財の三分の一を注ぎ込んでいることからも一目瞭然だ。国際的に比較的小規模で、近隣諸国より少々遅れがちなこともあり、この機に躍進しようと励んでいる様子は騎士団に身を置いていると間近に感じられた。


 刺繍やレース、ビーズといった工芸品を主に、取り扱って貰っている商人や店に卸しつつ、契約継続の手続きや新商品の考案について話し合ったりと、それなりにやるべきことはある。

 ミューゲの品は幸いにも一定の顧客がついており、中でも中高年の貴婦人や紳士方に高い評価を頂いているようだった。小さな村での手工芸であり、機械で大量生産しているわけではないから、品切れや納期に関して苦情が入ることも時々あるが概ね良い取引が成立していると言って良い。

 ちなみに幼馴染の大牧場の乳製品だが、こちらは王都の商人がわざわざミューゲまで買い付けに出向いてくる。それくらい知名度が高まっているようで、昔から懇意にしている卸先の者が自慢気にその様子を語りきかせてくれた。


「でも、アンタらのとこの知名度が高まるのは良いが、本当に良さをわかってくれる人にしか売りたくないねぇ」


 王都では何かと金銭的関係によって立つ部分が多く、それは決して悪いことではない。ただ、暮らしも商売も結局のところ、互いの人柄で成り立ち支えられていると言って良い。それは正しく人財だ。これからもそうでありたいものだ。


「セレナード君」


 品卸しがある程度済み、王城に近い市場で顔馴染みの商人と情報交換をしていた時だった。見るからに王城の者とわかる風格を備えた者が、一介の村人風情に神妙な表情で声をかけた構図は、はたから見れば随分とおかしかっただろう。


「…元上司か?」

「…あぁ」

「待っててやるから、話、つけて来いよ」


 ひそりと耳打ちし、背を軽い調子で押してきたベルナールはおそらく、この妙な空気で何か察しただろう。それでも、自分がちゃんと戻ることを疑わない信頼の声音が嬉しかった。ーそして冒頭に戻る。


「君の退任の辞令は、こちらの意向ではない。あの司令官は、職権乱用の罪状で罷免した。君は有能な人材だ。地方の田舎に埋もれさせておくのは惜しい」


 魔法騎士団総司令官と師団長。直属の隊の上司よりも、更に格上の身分だ。こうも直接接触を図られては、無下にも出来ない。王室御用達の店の個室で話をと言われたが、断り、人気のない裏路地にしたのはこちらの意思表明でもあった。


 帰郷してから少ししてーそう、ちょうど彼女と出逢ってからのことだが、度々手紙が届くようになった。初めは近衛騎士隊の総隊長から、やがて徐々に送り主の身分が上になっていった。辞任の件について話がある由、一度王都へ出向くようにと。


 騎士団としては一司令官の“失態”を公にするのは都合が悪いのか、正式な令状ではなく、あくまで一個人から一個人宛の体裁をなしていた。ならば強制ではない。世話になった身としては礼儀を踏まえつつ、断りの返事をし続けてきた。

 そもそも“失態”とは言うが、退任の辞令も手続きもあくまで正式に則ったものだ。司令官と言うからには一騎士の辞職に関しても権限が与えられている。そこに私情があったにしろ、書類上の手続きに関して不正があったわけではない。

 最終的に一身上の都合と、退任を決めたのは自分だ。つまり、“失態”というのは有能な人材をみすみす逃したくない上層部の都合であり、再任の打診はそれこそ自分の意向と反している。書類が上層部に届くまで時間がかかったのは組織編成の問題で、それこそこちらの知ったことではない。


 断り続けていると、次に並行して別の手紙も届くようになった。要は呼び出しだ。村を下ると、隣接する村町と隔てる林道がある。落ち合う場所の指定は決まってそこだった。無視して村に乗り込まれても面倒と出向いたところ、貴族や武家出身の同僚だった。

 騎士団とはいえ、人間の集まりだ。いくつか派閥のようなものがあった。彼らは出自の身分を重んじる司令官側の派閥だったが、表立って揉めた記憶はないし、流していたので大して気にしてもいなかった。せいぜい、自分の退任(追放)を陰で望み、司令官に口添えし、実現に喜んだくらいで物理的な害はない。

 ところが、司令官の処罰を見て立場が危うくなるのを恐れたらしい。不遜な態度で自分が騎士団に再任するための後押しを申し出てきたが、見当違いも甚だしいというものだ。

 退任は自分の意思だと断ると、信じられないとばかりに驚き、あるいは疑いの目を向けてきて、バカにしているのかなどと論点がズレたまま逆ギレする始末だった。どうやら自分と彼らの価値観は、どうしようもなく根本から違うらしい。


「あとひと月もすれば、ホルン将軍も海外遠征から帰国する。本来なら、君の退任の件はまず彼を通すべきだった。そもそもだが、他でもない彼が君を手放すはずがない」

「…それでは、ご帰国の際には自分から彼に事情をお話しします。ともかく、再任の意思はありません。本日はお引き取りを」


 ホルン将軍。彼の名を出されて、少しばかり詰まった。

 見習いの時から自分を目にかけ、鍛え上げてくれた人物。そして何より、彼の言葉が今、自分にとって重要なものになっている現実。彼女との巡り会いに、彼女との日々に、彼の言葉を思い出さない日はない。それくらい、印象的な人物だ。


「セレナード君。確かに家柄や血筋を重んじる向きはあるし、我々もそれは否定しない。由緒ある血統というのは、相応の歴史と信頼を図る一番の材料となる。魔法騎士とは誇り高くあらねばならない。だが一方で、君のように家柄の如何に関わらず優秀な人物はこれまでにも存在したし、いずれも貴族や武家に劣らぬ者達だった。君もまたそうだと思っている」

「人間関係で思うところがあるなら、こちらでも対応しよう。君は魔法騎士として、堂々としていて良い。何も憂うことはない。君の退任に納得していない騎士も多くいるんだ。戻ってきて貰えないかね」

「………」


 ここまで望まれるのは、有り難いと思うべきだろう。人として必要とされていることは喜ばしいことで、嬉しくないと豪語するほど自分の性格は捻くれてはいないと思う。

 自分に戻ってきてほしいと言う、彼らの気持ちも伝わっている。同僚のものはともかく、手紙はいずれも丁寧だった。むしろ、自覚していた以上に覚えが良かったらしいことに驚いた。


 それでも、自分は絶対に頷かない。


「セレナード君」


 自分の沈黙を迷いと受け取ったのか。おそらく、肩に手を置こうとしたのだろう。敵意も害意もない。それはわかっていた。けれど、自分の手は反射的にそれを払いのけた。咄嗟のことだった。

 胸元のポケットにある、彼女から送られたハンカチーフに触れられるかと錯覚した瞬間、自分でも驚くほど衝動的に手が動いた。その衝動が、答えだった。


「騎士団にも、この王都にも戻りません」


 シャツの上から触れると、花の香りがする。花とワルツに包まれて踊る彼女の、屈託のない笑顔が瞼の裏に蘇る。


 あの日から、彼女と従妹達が仲良く共にいる光景がよくみられるようになった。「セリー()ぇ」と少年達も慕っている。小川で子供達と戯れる姿は眩しく、盛大に転んだ時は肝を冷やしたが、やはり楽しそうに笑っていた。

 ミューゲの伝統的な歌や楽器に戯れ、心から親しむ横顔に皆が安らぎを覚えている。母達が自分達の服を彼女のために仕立て直した。花祭りの最後、皆で贈った赤い魔除けの首飾りと共によく似合っている。宝物と、時折大切そうに首元に触れる指先。


 そうして多くの親愛の中で嬉しそうに笑う一方で、ふと一人になった時の彼女の世界は、静かな木漏れ日の優しい光と陰に包まれている。


 風や梢の音に耳を澄ませ、小さな花や虫に微笑み、水が跳ねる音、雨音にも心を傾け、ゆっくりと移りゆく風景を感じ入る。何に邪魔されることなく、穏やかな時にぼぅっと浸っている彼女を見るのが好きだ。

「リュートも、みんなも、変だって言わないですよね」

 どうやら、そんな彼女の世界は、故郷ではあまり理解されなかったようだ。

 皆が競争を好み、刻一刻とめまぐるしく変化する流行こそが持て囃され、その波に上手く乗れることが幼い子供も大人も褒め称えられる。なにやら王都に似た場所だったらしい。ゆっくりと空を眺め、木漏れ日が戯れるのを楽しむ、そんな遊びを好んだ幼い少女にとっては、生きにくかったのかもしれない。渇いた喉を潤すように、今、彼女は穏やかに笑っている。


 少しずつ少しずつ、ミューゲに、自分達に、彼女の気配が馴染んで沁み渡ってゆく。


 草花や子供達と触れ合うやわらかな笑みも。自分が差し出したものに恥じらう顔も。時々、遠くを見つめる瞳も。美味しいものに綻ぶ頬も。人知れず物憂げにする姿もーセリーの全てを、この手で守りたい。


 自分の気配が変わったことに気づいたのか、微かに息を飲んだ。畳み掛けるように、けれど、ひとつひとつの音を刻み込むように、断じる。


「誰よりも近くで守りたいものがあります。その役を、他に譲るつもりはありません。…失礼」


 王命ならいざ知らず、とことん話は聞いて義理は果たした。こちらはこちらで仕事で出向いている、これ以上の堂々巡りに時間を割くつもりはない。そうだ、最初から明らかにこう言えば良かったのだ。追ってくる気配は、なかった。


「おつかれ。で?リュートは土産、どうすんだ?何かしら買ってくだろ?」

「そうだな」


 戻ってもあくまで気軽なベルナールに、自分もまた肩の力を抜いた。

 せっかく出向いてきたのだからと、村で待つ者達にちょっとした土産を買っていくのは、男として当然の心理だと言える。矜持、プライドとも言うか。やはり、一番手軽で喜ばれるのはちょっとした菓子類や小物だろう。気負わない方が逆に良い。


「そこの兄ちゃん達、恋人に土産はどうだい?掘り出し物だよ!どれもこれも一品級さ!」


 市場ではよく見られる光景や掛け声だ。どこかの国の商人なのか、少し声音や口調に異国風情があった。その前に並べられているのは、いわゆる装飾品の数々。確かに嘘偽りなく、誇りを持って並べるに相応しい質の高さが見て取れた。


「ふぅん、ウチのは宝石よか花なんだが…このバレッタは似合いそうだな」

「お、目が高いねぇ!それはサフィール王国のジュパン領のモンでさ、この螺鈿細工が人気でなかなか手に入らない一品だ。まけとくよ」


 ベルナールが目に留めたのは、花を意匠にした髪飾り。その螺鈿細工の慎ましやかな煌めきには、見覚えがあった。彼女が大切にしている簪にも、同じようにあしらわれている特殊な技法だ。なんでも、青貝と呼ばれる貝殻の真珠層を薄く削り取った細工らしい。とても繊細で気品がある。


「そっちのにいちゃんはどうだい?」

「いや、俺は…」

「まぁまぁ旦那、こいつはそっとしといてやってくれ。その分、俺が買ってくからさ」

「毎度あり!なんだいなんだい、良い話かい?土産話に聞かせてくれ」

「勘弁してくれ、殺されるわ」


 …何か色々言っているが、気にしないに限る。俺はやんわりと断ってその場を離れると、どうしたものかと改めて周囲の露店を見回した。


 最終的には、砂糖菓子の詰め合わせを買い求めた。妻子を持つベルナールならともかく、今の自分が装飾品というのはどうにも、低俗的というか、賤しい感じで好かなかった。…無意識に彼女への贈り物を大前提としている時点で、言い訳でしかないかもしれないが。

 そんな自分の事情は抜きにしても、砂糖菓子ならばそこまで気負うこともないだろうし、幼馴染達と仲良く食べるのにちょうど良いだろうと思ってのことだ。


 オランジェットは、オレンジの輪切りにチョコレートをコーティングしたもの。砂糖漬けにしたオレンジのゼリーのような食感と、ビターチョコレートのカリカリとした食感が美味い。オレンジ独特の苦味が甘すぎず、甘いものが苦手な者にもよく好まれる菓子だ。


 ギモーヴはマシュマロに似ている。マシュマロはメレンゲにゼラチンを加え果物の香料を混ぜたものだが、ギモーヴは本物の果物のピューレにゼラチンを加えて泡だて、固めたものだ。見た目の色合いも鮮やかで、女性達に愛されている。


 ヌガーは、これも手土産として定番の品で、ソフトキャンディのひとつになる。砂糖と水飴、蜂蜜を練り合わせ、木の実を練り込んである。作り手によって舌触りや食感が異なるので、職人の技が問われるものだ。試食して、これと思ったものを詰めて貰った。


 早く彼女の顔が見たい。

 笑ってくれるだろうか。


 王都を背に空の彼方を見つめる。急く心を落ち着かせるように深く息をして、そうして帰路についた。


謹賀新年


皆さま、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

私は私生活において大きな節目となる年(になる予定)です。目下、現在連載している小説をコツコツ書き進めることを目標に、また新しい物語も生むことが出来たらと思っております。あれこれ手を出したら中途半端になると思いつつ、やはり想像や妄想は生き甲斐ですので止められません。同時に、自己満足だけでなく、読者様を癒せるような、楽しんでいただけるような作品を心掛けたいと思う所存です。どうぞ皆様にとっても良き一年となりますように。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ