14.セリー
『大切な人に、大切な想いを伝えるように、丁寧に踊ってごらん』
踊りはね、自分一人だけじゃダメなんだよー習い始めた頃はただ楽しかったのに、そのうち、お手本みたいに上手く踊れなくて悔し涙を流すようになった頃、おばあちゃんが言っていた。テクニックばかりに気を取られて独り善がりになっていたあの時は、言われている意味がわからなかった。
『自分を表現するんだよ。バレエも、日舞も、音楽も、もうひとつの言葉なの。想いや心を、踊りや音に託してごらん。器用な人なんて一人もいないの。みーんなが不器用だから、踊りも音楽も、きっと生まれたんだろうね』
誰かと心を通わせて踊ることが出来た時、きっと幸せになれるよーいつかそんな風に、私も踊れるかな?
〜パン屋の奥様のキッシュロレーヌと、お土産の砂糖菓子の宝石箱〜
「セリーは器用やんなぁ。刺繍もレース編みももう覚えとる」
「器用に見せてるだけだよ。それに、三百種類あるんでしょ?まだまだだよ」
「えー、なんなんそれ?」
拝啓、いつまでも大好きなおじいちゃん、おばあちゃん。夏の花祭りは終わったけど、こちらはまだまだ暑いです。一緒にスイカや葛饅頭を食べた、涼しい縁側や風鈴がちょっと懐かしいです。
「セリーおねーちゃん、あのね、ジャスミン、もうすぐ弟か妹が出来るんだよ。だからね、頑張って刺繍して、ふかふかのクッションプレゼントするの」
「そっかぁ、もう今から立派なお姉さんだね」
「うん!」
「あたしはね、王都にいるお兄ちゃんにハンカチを送るの。もうすぐお誕生日なんだよ。あ!セリーおねぇちゃんはお誕生日いつなの?」
「いつかなぁ、暦がちょっと違うし…でも、秋だよ」
ここ数日間、私は彼女達に教えてもらいながら修道院で刺繍仕事をしている。修道院の中は涼しくて快適。でも水分補給も忘れないように!
ミューゲにはいくつか特産品と呼べるものがあって、刺繍やレース編みがそのひとつ。昔から村娘の手仕事で、こうやってみんなで集まって作ったのを王都や他の地域に持っていく。クッションだったりハンカチーフだったり、衣服だったり。この子達が来てるディアンドルスカートの刺繍も、女性達のソロチカの刺繍も、この土地の伝統を象徴するものだ。
黒は大地や富。緑は草花や森などの自然。黄色は幸福や希望、太陽。青は水や月。
特に重要な色は赤。愛や火のエネルギーを表していて、魔除けの意味合いが強い。だからみんなの装いには必ず赤の刺繍があって、特に邪気は入り込みやすい襟元や袖口に念入りに赤の刺繍が施されてる。赤は魔除けって、日本でもそうだったな、なーんてちょっと共通点発見。
でね、この刺繍が凄いのよ。なんと、三百種類以上あるんだって。しかも、そのそれぞれに意味や由緒がある。これ全部覚えて一人前の女性。貴族のお嬢様の嗜みじゃなくて、ミューゲでは立派な手仕事であり女性の誇り。
今はそこまで厳格な風潮ではないけど、昔は嫁入り前にどれだけ覚えられたかでお嫁さんのステータスをはかってたっていうから、たかが刺繍と侮るなかれ。一人前かぁ、ううん、まだまだ遠いなぁ。
「なぁなぁ、さっきからええ匂いすんねんけど、なん?ウチ、もうお腹空いてしゃあないわぁ」
「メリッサさんからね、差し入れ。もう食べよっか?」
「よっしゃ!」
そうそう、この子達が来る前にメリッサさんが来て、「みんなとたーんと食べてね!」って、バスケットに紅茶のポットも一緒に差し入れに来てくれた。どれどれ、なにかなー…あ、キッシュロレーヌだ、メアリさんの十八番!やった!お皿やフォークやカップを揃えて、さっそく頂きます!
「ん〜、さっくさくやんなぁ」
「さくさく〜!」
「やっぱリュートのママのキッシュが村一番や。ウチじゃだーれも、こんなサクサク出来ん。でもウチはみんな、チーズケーキ得意やしな!」
キッシュって言ったら、ほうれん草とチーズとか、サーモンとか、キノコとか、それこそ工夫次第でいろんな種類があるんだろうけど、メリッサさんのキッシュは元祖も元祖。さくさくのパイ生地に、厚切りのベーコンと卵、生クリーム、チーズだけ。
でもね、だけ、じゃない。塩胡椒の加減といい、卵と生クリームの配合といい、もう全部絶妙なハーモニー。他に余計な具材がない分、シンプルな材料だけが決め手。口当たり滑らかなフィリングに、ごろっと入ったベーコンが噛み締めるとじんわり味わいがあって、チーズの焦げ目が食欲を誘う。これだけ濃厚なのにくどすぎないのは、やっぱり配合かなぁって思う。あとはやっぱり、食材の質が良いんだろうね。
いつかセレナード家で、その時もやっぱり横で教えてもらいながら作ったけど、食べ比べてみると全然風味が違うのよ。熟練のママさんに敵うとは思ってないけど、レシピ同じでも作り手によってここまで違うの?ってビックリだわ。
「セリーちゃんはセリーちゃんのキッシュを作れるようになれば良いわ」って言ってたけど、刺繍といい、まだまだ。でも、こうやってお手本にしたいものがあって、それに向かって励めるって凄く幸せなこと。二十六年間生きてきて、最近やっと、腑に落ちる感じがしてる。
花祭りも、楽しくて、凄く幸せな時間だった。
この子達に引っ張られて、あれよあれよと言う間に踊りを覚えて当日になって、一緒に歌っているうちに緊張も「私が参加して良いのかな?」なんて心配事もどこかに行っちゃって。気づいたら自分でも驚くほど、ワルツに身を任せて心から楽しんで踊ってる“私”がいた。
例えば、少年少女向けの漫画でよくある青春物語。テニスとかバスケとか、そういうスポーツや、あるいは音楽を通して描かれる作品。仲間や敵との交流で絆を深めていくのって、定番だけどそれだけにぶっちぎりで人気があった。
“みんなと一緒に何かを成し遂げる”こと。誰かと誰かが心を通わせて、自分自身を曝け出したり隠したり、それが重なって繋がって紡がれてゆく。まさに夏が似合う熱い物語。
かくいう私も人並みに憧れたりしたけど、でも現実にこんなのは早々ないよねって冷めてる部分もあった。少なくとも、自分には出来ないなって。感情よりも先に、理性のブレーキを踏んじゃうから、自分にはちょっと似合わないなって。
…うん、そうだね、そうやって自分はこうだって決めつけてたんじゃ、出来ないはずだ。あの頃の私と同じくらいの年頃の、この子達に引っ張られて勢いがついたまま、やってみたらこんなにもすんなり出来た。童心に返るのとはちょっと違うけど、あんな風にみんなと一緒に何かを楽しむことが出来て、花祭りの日から、なんだか少しだけ、心がスッキリしたみたい。
「あんな、ウチ、セリーのことつまらん女やなぁって思ってたん」
メリッサさんの美味しいキッシュロレーヌを食べて、大縄遊びをしている子達を眺めていると、リリィちゃんがあっけらかんと告白してきた。
「なんちゅぅか、大人しゅうてパッとせぇへん女やなぁってつまらんかってん。リュートやヴィオレット様とか、特定の人としか近ぅないし。服装も仕草も言葉も綺麗ばっかで、なんなん?っちゅぅ感じやったもん」
そうだろうな、と今だからこそ自分でもそう思う。
だって私は自分の都合ばっかりで、この世界やこの村のこと、みんなのことを知ろうとしてるくせに、自分のことを教えてなかった。伝えてなかった。隠してたつもりはないけど、自分のことに精一杯で。
何か教えてもらうなら、自分のことも少しでも差し出さなければ筋が通らないのに。異世界に来て慎重になるのはしょうがないとして、でも、いつまでもそのままじゃダメだったんだって、花祭りを通してやっと思い知った。おばあちゃんやヴィオレット様の言葉が、漸く心に沁みてる。
「…うん。ごめんね。私、嫌な女だったね」
「ええねん。謝らんでええねん。ウチらな、セリーと仲良ぅなれて、ほんまむっちゃ嬉しいんや。ウチらもこそこそしよったん。両成敗や。リュートにも言われたわ。一緒に遊びたいなら素直にそう言えって。〜〜〜っわかってんけど!さびしいやんか!ちゅうか!独り占めしとったリュートに言われたないわ!リュートのくせに生意気や!」
ど、どうどう…リリィちゃんって、こんな感じで凄くざっくばらんな子。私的にとても好感度が高い。しっかり者でお姉さん気質。踊りも刺繍も率先して教えてくれた。それでいて、もっと小さな子達に普段は譲りつつ、こうやって密かに甘えてくるのがグゥかわ。「リュートのくせに!」って言いながらギューってしてくる…なにこの可愛い生き物。
「実の兄や姉…俺達と同世代は、殆ど村を出てしまっている。親ではなく、年の近い者にまだ甘えたい年頃だ。君が悪い人ではないはわかっていたし、気になってはいたが、君と同じようにどう近づけば良いのかわからなかったんだろう。彼女達なりに『魔女』のことを考えて我慢していたところもあったんだろうが…素の君を見て、一気に我慢の限界が来たということだ」
思い出すだに、ちょっとだけと思って踊っているのをうっかり見られたのは恥ずかしい…だって、誰にも見られてないって思ってたからこそ、あけっぴろげだったし…いや、うん、結果オーライなんだけど。それにしても、あれが魔法かぁ…なんか、ふわって優しい風に包まれて何事かと思った。捻ったのもあっという間に治ったし。
でも、それにしたってなんで急にこんなに懐かれてる?って首を捻っていたら、彼にそう言われてなるほどと思った。
私はこの子達のお姉ちゃんにはなれないし、代わりなんて烏滸がましい。きっとこの子達も、なにも私をお姉ちゃんにしたいわけじゃない。ただ、お兄ちゃんお姉ちゃんに年が近い私と一緒にいることが、この子達にとって良いことなら、とても嬉しい。
確かに、村の中に彼や私と同じくらいの世代ってほとんど見かけない。気のせいじゃなかったみたいで、特にここ数年、王都が流行りなんだって。そりゃさびしいよね。いいよいいよ、私でよければ思いっきり甘えちゃえ。この懐はいつでも空いてるよ!
「まったく、名前が聞こえたかと思えば、随分な言い草だな」
あれ?思い出してたから幻聴?リリィちゃんのハニーピンクの髪を撫でつつ顔を上げると、琥珀色を見つけた。
「出た、むっつり!ダメやで、セリーはウチらと遊ぶんや!」
「王都の姉から手紙を預かってきた」
「え、ほんま!?」
わぁ…さすが、幼馴染と言うだけあってあしらい方が上手いですね。あしらい方というか、スルー力?
そう、実は一昨日あたりから、彼は村の男性数名と一緒に王都へ出向いていた。品卸しや買い付けに、月に一、二度くらい行くらしい。
王都かぁ…物見遊山程度で覗いてみたい気はする。でも、都会は東京でもう飽きちゃったかな。流行りってなんだろう?そういえば、あまり国全体のことは聞かないなぁ。
「おかえりなさい、リュート」
「ただいま。君がくれたコレに随分助けられた。ありがとう」
「?」
そう言って彼が取り出したのは、あのハンカチーフ。っう、刺繍不恰好ですみません…えっと、王都もやっぱり暑かったのかな?東京みたくヒートアイランド現象はなさそうだけど、都会は人が多い分そういうものなのかな?刺繍はあれだけど、生地はメリッサさんが選んだ上等なものだし、うん、汗を拭う役目は大丈夫なはず。
相手を想う気持ちが相手を癒しますようにーミューゲの女性達が、昔から受け継いできた心。時に、相手への気持ちが相手を傷つけることもある。そうではなく、気持ちや想いの連鎖が悪きものを祓って良いものを呼ぶようにって、ポプリで香りを移して。
花祭りを口実にって言ったら失礼だけど、お祭りっていう非日常で特別な日だからこそ、何か形に出来ないかってリリィちゃん達と踊りの練習しながら、ふと、思いついて。でも、足踏みしてるのは自分なのに一体何を?それになんだか贔屓みたいだし…って躊躇う気持ちもあって。
そんな憂いを、まぁ見事にメリッサさんに見透かされたわけです。うん、色々バレてるよね…恥ずかしすぎる…それで、なんとか複雑な気持ちを説明したら、「それなら、とっておきの良いものがあるわよ!」って、教えてくれた。多くは恋愛絡みだけど、別にそれだけの意味じゃないって。要は、ひとがひとを想う気持ちの表れだからって言われて、少し肩の力が抜けた。
「今帰って来たんですか?ヴィオレット様は、今日は隣の村に出掛けちゃってるんですけど…」
家に寄らずに、真っ直ぐここに来たような格好。急ぎでヴィオレット様に用があるなら、ちょっとひとっ走りして来ようかな。って、ダメだ、まだ隣の村まで把握してないじゃん。
「君の顔が見たかった」
「……え、」
「土産だ。みんなと食べると良い」
彼はそう言って、ポンと綺麗な箱を私に持たせると、「よく似合ってる」と言い置いて、ロクに何も言えないうちに満足そうにして行ってしまった…え、なに今の…。
「へぇー、ふぅーん、なんや、リュートってほんまセリーのこと好きやんなぁ。ほんまキザっちゅうかなんちゅうか、一日一回はセリーに何かせぇへんと気が済まんのかいあのむっつりは」
実は花祭りの最後、村のみんなから魔除けの赤いビーズの首飾りを贈られた。これはミューゲの女性が伝統的に身につけるもので、アクセサリーというより、民族衣装のひとつって感じ。その自然な雰囲気が素敵だなぁって思ってたから、まさかのサプライズに代表して手渡してくれたこの子達、まとめて抱き締めたよね。
しかもその後には、メリッサさんをはじめ、村の女性達からお古の服をたくさん頂いた。採寸までして、少し手を加えて私の身体に合うように仕立て直してくれて。お陰様でクローゼットは満腹。花祭りの時の衣装も含めて一気に宝物が増えて、毎日眺めてホクホクしてる。
鏡の中の自分は、まだ入学したての小学生が真新しいランドセルしょってるみたいな感じだけど、この首飾りも、自然と似合うようになったら良いなぁって思いながら毎日いそいそ着ててーって、違う、だから、なに今の。
「あ!これ、むっちゃウマいねんで!はよ食べよ!」
宝石箱のような綺麗な箱には、可愛い砂糖菓子が詰められていた。
はよはよ!とリリィちゃんに腕を引っ張られなければ、間違いなくその場でしゃがみこんでいた。じわじわと心に沁みこんでくるものに、私はきっとそのうち殺される。
内心の悶絶を美味しい紅茶を淹れる集中力に全変換して、お土産の砂糖菓子をみんなで堪能した。少年達の食欲センサーは発動しなかったみたい。これでも紅茶淹れの腕は、喫茶店の常連さんにも好評だったんだから。
マシュマロみたいなのと、キャンディ、それとオランジェットっていう、オレンジの砂糖漬けにチョコレートをかけたものが綺麗に詰め合わされていた。紅茶と一緒に食べると本当に美味しいの。なんかこう、ふわぁ、ってなる。わかる?ふにゃぁ、でも良いけど。
…で、ひと口食べるごとに顔も頭もぬるんで、その度にさっきの彼の言葉がループするから大変だった…もう、ほんとなんなの…なんで私こんなに彼から貰ってばかりなの…。ほんとね、ここまでくると悔しくなるよね。私だってギャフンと言わせたい。なんかちょっと違うけどそんな感じ。お前には無理だよ?わかってるけどね!
「なぁ、セリー。セリーは、どこにも行かんよな?」
「え?」
また大縄遊びし始めた子達を眺めていると、リリィちゃんがおもむろにそんなことを訊いてきた
「みーんな、離れてもうてん。手紙くれるけど、あの子達のにーちゃんやねーちゃんもみんな、都会に行ってもうてあんまり帰って来てくれへん…都会って、そんなにええんかなぁ」
さびしそうに呟くリリィちゃんは、きっと、彼とああいうやり取りをするのも甘えのひとつなんだろう。彼もそれをわかっている気がする。
都会には都会の、田舎には田舎の、良さも悪さもある。でも、私にはきょうだいはいなかったし、何よりこの世界に来たばかりの私が何か言えることは、まだまだ少ない。
「私は、みんなのことも、ここも好きだよ。また一緒に踊ろうね」
「せやんな!秋も冬も春も、踊りはいっぱいあんねんで、それぜーんぶ教えたる!」
「うん、お願いね」
秋になったら、きっと今よりも“私”を出すことが出来るようになっている。良い踊りが出来る。そんな確信のような想いを抱いて、自分で心待ちに出来るようになったのは、彼やこの子達と巡り会えたからだ。下地を作ってくれた、おばあちゃんとおじいちゃんがいたからだと、思う。
「ありがとう」
自然と口から零れ落ちた言葉に、不思議そうに首を傾げるリリィちゃんの頭を撫でて、大縄遊びに加わった。大縄も楽しいよね!
いよいよ明日は大晦日です!
皆さま、本年もお世話になりました。私も多くの作品に触れさせて頂き、大変勉強になりました。来年も変わらず、読者様にとって少しでも、ほんの一部でも楽しめる、あるいは癒しになれる作品を執筆できるよう励みたいと思っております。どうぞ良いお年を!