12.セリー § リュート
今更ながら、小森は“小”森だけど、それなりに広い。
『魔女の家』はほとりに近くて、その奥にずっと広がってる。私の弱った身体では一気に全部を見て回るのは無理で、近場の散歩以外ではファゴットさんについて、少しずつ案内して貰った。
家の周辺はのどかな雰囲気だけど、奥はもう少し鬱蒼としてて威厳がある感じだった。抜けるとびっくり、すっごい崖。隣国との国境は遥か下でした。あまり意識してなかったけど、小森もミューゲも、ちょっと標高の高いところなのね。村の坂は緩やかで良かったわ。
「ファゴットさんは、村には出ないんですか?」
「必要ない」
さて、本日の朝はファゴットさんと薬草採りです。帰ったら蜂蜜バタつきパンが待ってる!
〜みんな大好き、やっぱり蜂蜜バタつきパン〜
たくさん採れた!よしよし、私の目も小森にだいぶ馴染んだみたい。満腹の蔓籠の中を覗いてホクホクしてしまう。薬草の花って綺麗。ちなみに雑草の花も好き。オオイヌノフグリとかツユクサの青い花なんて大好き。
最初の頃はすぐ足元にあっても「え、あったの?」って全然気づけなかったけど、今はパッと見回してすぐに見分けられるようになった。あそこらへんにありそうだな、っていう勘も少しずつ磨かれてる感覚が嬉しい。
薬草採りは、三日の一度くらいのペースで、ファゴットさんと小森を回ってる。
今日は早朝だけど、時期によって時間帯はまちまち。というのも、例えば同じ薬草でも採取時間によって薬効が違うから。植物って面白い。夜中に叩き起こされたこともあったなぁ。月光を浴びたやつを採りに行くぞって。
「よい、しょ…今日はこの一種類だけって、何か意味があるんですか?いつも何種類か採りますよね?」
「流行病や毒消しの特効薬になる」
「ちゃんと覚えます」
五感を使う暮らしって、身体だけじゃなくて心も磨かれるような気がする。きっと今なら前よりずっと良い踊りが出来る自信ある。ぶっきらぼうな先生の教えが良いからね、薬草の知恵も着々と身についてますとも。
小森で採れたものを村でお裾分けすると、みんなとても喜んでくれる。採ってるだけで、私の力じゃないけどね。最初は、持ち出すの良いのかな?って思ってたんだけど、「小森と一緒にどこの誰とどう付き合うのかは『魔女』次第」だから別に良いとのことだ。
ファゴットさんは一切接触を絶ってきたみたいだけど、それなら私は真逆ってことになる。最初からどうしようって決めてたわけじゃなくて、見ての通り、成り行きというか流れというか。
きっかけはそんな感じだけど、有り難くも良い巡り会いがあって、この世界もこの村も好きになってる。おじいちゃんおばあちゃん、安心してね、幼い頃は人間不信気味だったけど、今はちゃんと私の意思で大切に想える人達を見つけてるよ。
「あ、今日もある」
小森のほとりは修道院の裏庭に続いてる。それでね、いつも境目の木の枝に、毎日違う刺繍のハンカチーフが結んである。何かのおまじないかな?って思いつつ、そういえばなんだかんだでまだ聞いてないや。今日は青と緑の刺繍。結び方も独特だし、やっぱり何か意味がありそうなんだけど。
「…今日も?」
「はい、そうなんです。いつもここにあるんですよ。やっぱりヴィオレット様かなぁ」
「ヴィオレットだと…?」
「あ、はい、そこの修道院のシスター長さんなんですけど。あ、もしかしてお知り合い…え、ファゴットさん?」
あ、あれ?ファゴットさん、急にむっつりして行っちゃった…なんだろ、今の反応。
「キキ、何か知ってる?」
「さぁな」
いや、うん、実際に聞き出したいわけじゃないんだけどね。言葉の綾です。あれ、もしかしてワケあり?地雷?…私が気にしてもしょうがないか。うん、気にしないことにしよう。ホイホイ首突っ込むより、私は私のこと、きちんとしないとね。
「あ、オルガン」
ふと、修道院から音楽が流れてきた。ここ最近ですっかり耳に馴染んだワルツの一曲。ヴィオレット様も練習してるみたい。もしかしたら、花祭りもうすぐだって言うし、女の子達も朝練に来るのかもしれない。あのオルガンは修繕も調律も終わって、良い音出してる。ピアノやオーケストラも良いけど、オルガンも素朴で良いよね。
「良いなぁ…」
あぁもう、足がうずうずする。言ったでしょ、音楽聴くと踊りたくなるのよ。DNAレベルなの。即興でも踊れるんだから。なんなら別にクラシックじゃなくてもオールオーケー。三人で初めて行った旅行、沖縄で民謡に合わせておばあちゃんと踊ったら商店街の人達に褒められたんだから。穏やかな木漏れ日。梢の音。草花の匂い。せせらぎ。ーあぁもう我慢できない!
「ちょっとだけ、ちょっとだけ、ね」
§
小森のほとりの修道院からワルツや歌声が聞こえるようになると、季節の巡りに気づかされる。
ただ、自分が王都に言っている間に若い年齢層は随分と減ってしまったようだ。特に二十代から三十代が、めっきりと減った。この村は王都から馬車で一日ほどかかり、更に近隣の地域と少し離れている。小森があるという以外、王都の人間から言わせれば何もないと、その目には映るらしい。
「おっす、リュート」
「ベルナールか」
魔法騎士を辞しても、早朝の鍛錬を欠かしたことはない。帰郷して間もない頃は単なる習慣という感覚だったが、今は明確な意思のもとに続けている。
村の端まで下り、転じて坂を一定のペースで駆け上ってきたところで声をかけられる。自分と同様、この村に残って特に出る気もない数少ない若手の一人であり、知己の友人だ。先日の鴨は彼の家から貰った。
「マリーの具合は良いのか」
「おぅ、ピンピンしてるぞ。ジャスミンが花冠、忘れてったからついでに差し入れをな」
走りながら応じると、彼もまた隣へ並んだ。
同じく友人である花屋の娘と早くに結婚し、十になる娘がいる。俺が王都へ発つ時には既に産まれていた。そして今また身ごもっており、振り返ると月日の流れを思い知る。
自分と異なり社交的で、少々お調子者なのが玉に瑕でもあるが、居酒屋の当主を継ぎ近いうちに二児の父となる彼は、贔屓目なしで良い男だと思う。女子供を守る役目を背負ったことが、彼にとってその人間性をより魅力的にしているのだろう。
結婚式の時、彼は言った。「何が何でも自分の手で守りたいやつがいると、俺たち男は強くなれるのかもな」と。あの言葉の意味が、今ならわかるような気がする。
「リュート、お前、すげぇ良い顔つきになったよな」
「藪から棒に、なんだ」
「いやマジで。元から確かに整った顔してるけど、そういうんじゃなくてさ。なぁ、今、セリーさんのこと考えてたろ」
「今、というより、最近はいつもか」
「うっわ素で認めやがった。少しは恥じらえよ、可愛げのない」
一体自分に何を求めているのか。
「これでも、自分で驚いているんだ。何が何でもこの手で守りたいと願う、そんな相手に、まさか巡り会うなんて思っていなかった」
安心して巡り会え、とかの上司は言った。その時、魔法騎士として培ったものがきっとお前を助けると。
セリーを守りたい
剣技や魔術はもちろんのこと、様々なことを叩き込まれた。大した欲も熱情もないまま、手元に増えていった多くの手札。それらを今、ただひとつ望むもののために、この手に掴んでいる確かな感覚を抱いている。
「俺が言ったこと覚えてたのか」
「あの時には、意味がよくわからなかった。ただ、ずっと引っかかってはいた」
何かを手にしたい、守りたい、強くなりたいーそういったことを特に思えない自分の性質を、ただ純粋に疑問に思っていた。友人二人の幸せそうな姿を見ながら、どこか遠い世界の物語のように思えてならなかった。
「おかしな話だが、昔よりも今の方がよほど、ベルナールを身近に感じる」
「ははっ、そりゃあ良かったわ。なるほどな、お前と嫁自慢、子供自慢大会するのも、そう遠くないみたいだな」
「…おい」
「ぅおっ!?ちょ、んな睨むなって。お前ただでさえ目ぇ怖ぇのに、騎士の貫禄もあって更に迫力増してんだぞ?別に変なこと」
「俺はともかく、億が一にも彼女に今みたいなことを言うな。…余計な負担をかけたくない」
「……どれだけ本気なのか、よーくわかった」
了解了解、と両手を挙げた彼に悪気がないのは承知している。
実家を通り過ぎ修道院まで辿り着いて、軽く息を整える。調律したオルガンの調子は良いようだ。花祭り当日は、村の男達がそれぞれに楽器を持ち寄って、女性達が踊るのが習わしとなっている。彼の口ぶりから、娘達も朝早くから練習に来ているのだろう。
「…なにやってんだ?あの子ら」
ーと、思っていたのだが。
彼の言う通り、従妹達がなにやら、小森の方を覗き込んでいる。木の陰から積み重なるようにしている姿に、思わず顔を見合わせた。
「ジャスミン、リリィ?お前ら、一体何を見て」
「しぃー!!!」
近寄ると、もの凄い勢いで威嚇してきた。そうしてまた向こうを覗くのに釣られるように、更に近づいて自分もまた覗き見た。
「………」
彼女がーセリーが、踊っていた。
手に花を持ち、花籠を提げて、木漏れ日の中でワルツに乗せて。楽しそうに、嬉しそうにー幸せそうに。生きていることが幸せだと、心ゆくままに音に身を任せる姿は、全身全霊で世界を言祝いでいるようだった。
瞬きを忘れて、魅入った。まだ見たことのなかった彼女の姿。
いつも、この世界、この村という舞台で何かの役に立とうと一生懸命で、そんな姿が可愛らしく、嬉しいと思う。ただ一方で、もう既にこの世界で唯一無二の“セリー”という役に立っているのだから、もっと安心して自分達のそばにいて良いのだと言いたくもあった。ーてのひらが、熱い。
「あっー!」
ところがほどなくして、彼女の足は疲労を訴えたようだった。カクンとその身体が傾ぎ、従妹が咄嗟に声をあげるより一寸早く、息をするように唱えた。
「《 風 よ 》」
この世界に馴染みきっていない彼女には、おそらくまだ見えていない。彼女の周りには常に、森の小さな精霊達が慕うように寄り添っている。喚んだ風の精霊達も、喜んで彼女を支えてくれた。
「え…リュート!?」
その間に駆け寄り、いつかと同じように地面に座らせると、捻った足首に治癒魔法と回復魔法を施す。骨の異常でなければ手の届く範疇だ。なんで!?と慌てる彼女を不思議に思いながら、無意識のうちに言葉が零れ出る。
「綺麗だった」
「へぁ?」
「というより、やはり可愛らしいな君は。花もワルツも似合いすぎて、そのまま精霊達に連れて行かれないか心配だ。とはいえ、夢中になりすぎて怪我をするのはいただけない」
「ご、ごめんなさい…じゃなくて!いつから見て…!?」
「割とさきほどからだが、こんなことならもっとペースを上げておけば良かった」
「なんの話ですか!?」
「あ"ーーーーっ!もう我慢できん!!」
どうやら、目下、彼女を連れて行くのは従妹達のようだった。木陰から総勢十三人がわっと出てくると、こちらから奪い取るようにして彼女の腕を引く。
「リュートとばっかりズルいで!ウチらとも仲良ぅしてや!」
「え?え?」
「花祭りまであと十日もないんやから、きっちり覚えてもらうで!さっきびみょーに間違うてたしな!ほな、行くでー!!」
「え、えぇぇええええ!?」
幼馴染の掛け声を合図に、「きゃー!!」とはしゃぎながら彼女を連れて走って行く。おい、転んだらどうするんだ。
「リリィ!無理はさせるな!」
「わかっとるわアホぉー!!」
わかってても、漸く近づけたのではしゃぎすぎる未来しか見えない。溜息をついていると、くつくつと笑っている彼が片目を閉じて見せた。「良かったな」と。
この後、「あらあら、まぁまぁ」とシスターが微笑む中、焼きたてのパンにバターと蜂蜜をたっぷり塗って全員で朝食を摂った。「あの人の好きなものって何?」と従妹がいつだったか凄んで聞いてきたが、今日こそはなんとか近きたいと用意してきたらしい。
木陰の木漏れ日の中、囲まれていると言うより目を白黒させながら埋もれている彼女を見ながら食べた蜂蜜バタつきパンは、間違いなく美味かった。