10.セリー
草むしりや花壇の手入れ、壁やステンドグラスの掃除…とやっていれば、自然と小腹も空いてくる。
体内時計やお腹の虫が健全なのって、凄く気持ち良い。身体を壊して初めて、当たり前が有り難いってわかるって話、あれ本当ね。まだまだ、完全に安定したわけじゃないから油断大敵だけど。
日本にいた時だって体調不良とかあったけど、食事量が激減したり筋肉が細くなったり、その上ふた月以上も不安定なんてことはなかった。悔しいけど、自分の身体をじっくり見つめる良いチャンスだって思うことにしよう。
「…?」
立ち上がって、滝のように流れる木香薔薇のカーテンを眺めて少し休んでいると、コトン、と音がした。ここは裏庭。振り返ると、ちょうど角の向こうへスカートの裾が消えて行くところだった。少し離れた花壇の上に、グラスが置いてある。
「…ありがとう」
透き通った渋いルビー色。ただの冷たい紅茶じゃなくて、オレンジやレモン、ラズベリー、赤スグリの実の絞り汁と蜂蜜を加えて冷やした夏の飲み物だ。今朝、ヴィオレット様とたくさん、作っておいたもの。
表で賑わう可愛く元気な声を聞きつつ、そっとお礼を言って喉を潤した。
〜修道院のアフタヌーンティー、特製キャロットシナモンプディング〜
月に二度、小森のほとりの修道院は朝から忙しい。
「ありがとうセリーさん。あなたのお陰で、今日は準備も楽で、いつもよりたくさん作れたわ」
「こちらこそ、お役に立てたなら嬉しいです」
修道院と言うからには、それこそ昔は何人もの修道士や修道女が共同生活していた場所で、それなりの広さだ。敷地は狭まったとはいえ、本体の建物はそれはもう広いのなんのって。
祀って祈りを捧げる対象は、精霊王とその伴侶である聖巫女。この世界の創造主と癒しの乙女は、神話にも出てくる絶対的な存在だ。
で、現在はと言うと、ここで暮らしているのはヴィオレット様一人だけ。「今は、修道院なんて流行らないから」って穏やかに、でもさびしそうに苦笑していらした。それでも「強制でもないし、服もそうだけど、時代の流れね」とさっぱり言い切るから、過剰に悲観もしていないみたい。
とにかくそんなわけで、ヴィオレット様がここを一人で維持管理するのは大変なのは一目瞭然。だから、月に二度、村の若手やその日に手が空いている人達が集まって掃除することにしているのね。
「でも、改めて見ると凄い量ですよね」
「来てくれるのは、食べ盛りの子達ですものね」
「むしろそれ、ヴィオレット様のお菓子が食べたくて来てるんじゃ…」
「ふふ、そうかもね?昔からお菓子作りは大好きでね、誰かに食べてもらうのはもっと好きで、あの子達も喜んでくれるし。家に入っていた頃は、なかなか出来なかったから、私も楽しいの」
ヴィオレット様はいつも、手伝いに来てくれる人達に、手作りのケーキやクッキーを出しておもてなしする。夏は冷たい飲み物、冬は温かい飲み物も。
それが生き甲斐でもあるようで、「毎日ね、次はなにを作ろうかなって、それしか考えてないのよ」なーんてお茶目に話してくれた。
忙しいの原因はこれ。
だって、本当にたくさん作るのよ?今日もだけど、相手は主に十代の子達。ざっと数えて二十人はいるわけ。そのうち三分のニは食欲旺盛な少年達。わかるでしょ?花盛りの中高男子学生の胃袋満足させるのにどれだけの量が必要か想像してみて。はいそこのあなた正解です。
というわけで、実際にお手伝いをした身としては、楽しいけどそれ以上に大変のひと言。ヴィオレット様、今までこれを一人で作っていたなんて尊敬するわ。
これまた一人では持て余す広い厨房をここぞとばかりにフル活用して、ケーキなら大きなホールで六つは普通、クッキーなら三百枚は軽い。清掃活動自体は昼近くから始めるけど、早朝からノンストップで作り始めてギリギリ間に合うかどうか。
私は前回に初めて、この清掃活動に参加した。その時も早起きして、小森から出てきてお菓子作りを手伝ったけど、ぶっちゃけメインの清掃より体力勝負。「ごめんなさいね、ここには魔導具ってあんまりなくて」とおっしゃられたから「良いリハビリになります」って気合い入れたわよ。
「プディングはよく作るの。比較的、手順は簡単で一度にたくさん作れるし。それでいて、材料を工夫すれば祝賀祭にもお出し出来るような凝ったものにも出来るし」
今日のお菓子は、キャロットプディング。憧れのクグロフ型!プディングってまだ聞き慣れないけど、甘ければケーキと大体同じ。ライスプディングとか、材料によっては食事系にもなるみたい。
ヴィオレット様の言う通り、作り方は簡単。材料を順番に混ぜて蒸し焼きにするだけ。今日は生のあまーい人参とバター、レーズンや木の実、蜂蜜、スパイスがたっぷり入ったもので、栄養満点!って感じのもの。ラム酒も入れれば日持ちもする。
でも、しつこいようだけど、作り方は簡単でも本当にこれ大変。まず大量の人参を摩り下ろすので、わたくし、二の腕が見事に攣りそうになりましたわ。
小麦粉も凄い量だし、ふるいにかけるのはひと苦労。材料を混ぜていくたびに生地は重たくなっていくし、型に綺麗に入れるのも蒸し器に運ぶのも重労働。いやぁ、良いリハビリです。
「プディングって言ったら、牛乳と卵のものしか知らなかったので、驚いてます」
「カスタードプディングね」
私は卵の味がしっかり感じられる、ちょっと固めのカラメルプリンなんか懐かしい味で好きだな。どっしりしてて素朴で良いよね。
今は大体の掃除が終わって、まさにアフタヌーンティーの真っ最中。あぁ、あれだけ作ったのにみるみるうちに消えていくわ…うん、男の子ばっかりのお家のお母さんって、こんな気持ちなのかもしれない。たっぷり時間かけて作っても、食べるのは一瞬。少年達よ、せめて家ではもう少しゆっくり味わいなさい。
アフタヌーンティーと言っても、いわゆる英国式の格式高いものじゃなくて、みんなでちゃんと働いた後のご褒美のおやつの時間って雰囲気。なんといっても、ヴィオレット様が一番嬉しそうよね。
こうして眺めてると、小中学生の時を思い出す。お誕生日会とかクリスマス会とか、こんな雰囲気だった。その時だけは、学校でお菓子食べ放題でみんな楽しみにしてて。女の子で一人はお菓子作りが好きな子がいて、張り切って手作りのクッキー焼いてきたり、むしろ生徒より先生が張り切ってたり。
でも、当時の私はちょっと冷めてたかも。楽しい雰囲気はわかるし、お菓子は美味しいけど、きゃっきゃと我先にはしゃぐこともなかった。傍観者って感じで。つまらないって思ってたわけじゃないんだけどね。
思えば、ちょっともったいなかったなぁ。今なら、この雰囲気や空気こそがかけがえのない楽しいひと時なんだって心から思える。美味しいクッキーたくさん焼いてきてくれた子、ごめんね、私ももっと輪に入って楽しんでいればもっと嬉しかったよね。誰かを喜ばせるのが楽しい君は、きっと幸せになれるタイプだ。
「アンタらほんま遠慮せぇへんな!?まだ食べてない人おるやろ!」
「出たよリリィのカカア天下!」
「だぁーれが、カカア天下やねん!しばくで!?」
別のところでは、女の子達も集まって美味しそうに食べている。見ていると、大牧場の娘さん…つまり彼の従妹さんが彼女達の中でリーダーっぽい。女の子達の面倒を見ながら男の子達に説教…うん、クラスに一人はこういう子いるよね。確か十六歳。わお、花盛り。ぶっちゃけ、大阪弁みたいな口調がめちゃくちゃ気になる子だ。
…さっきもそうだけど、最近、ふとした時に彼女達の気配を後ろに感じる。あれあれ、ピンポンダッシュみたいな感じで。村で誰かと立ち話していると、いつの間にかレースのリボンが背中側についてたり。蔓籠を脇に置いて木陰でぼぅっとしていると、花びらが入ってたり。可愛すぎか。
でも、話しかけて良いのかなぁって思って見てみると、ふいっと目を逸らしたりパッと距離を取ったりする。ちょっとむすくれた顔で。うん、これどうしようね?嫌われてはいないのかなぁ、とは思うんだけど。だってほら、今だってこんな風にぼんやり考え事してたら、後ろのテーブルにキャロットプディングひと切れ、置いてあるし。さっきまでなかったよね?
「シスター」
はてさてどうしたものか、と考えていると、少年達に囲まれていた彼が歩み寄ってくる。
「これから彼らとオルガンを運んで来ます」
「あらあら、任せちゃって悪いわね」
「お二人が丹精込めて作ったものを、ものの十分足らずで平らげた対価にしては安いですよ」
「リュート兄ぃひでぇー!」
彼は少年達に慕われている。あのお人柄を思えば全然不思議じゃないけど。もちろん少年達だけじゃない。ほら見て、女の子達の眼差し。かっこいいナイトを見るようだわ。
彼はふと私を見て、更に視線を少し下げると、おかしそうにしながらそっと耳打ちしてきた。
「食べてやってくれ」
そりゃ気づきますよね。
「リュート兄ぃ行こうぜー!」
「あぁ」
それにしてもやっぱり、気心知れた同郷の人達の前で見せる彼の表情は、なんというかこう、フラットな感じがする。
気安いって言うと語弊があるけど、特に年下の子達に対しては普通のお兄ちゃんって感じ。第一印象がひたすら紳士様だったから、まだ二回目の参加だけど、ここの清掃活動で見る彼はちょっと新鮮だなぁって思ったり。
当たり前だけど、彼には彼のいろんな顔があって、役割があるはずで。セレナード家の一人息子で、パン屋の息子で、この村の欠かせない一員で、大牧場の娘さんの従兄で、誰かの友人で、少年少女のお兄ちゃんで。「リュート」「リュートさん」「リュート君」「リュート兄ぃ」「セレナードの坊主」「セレナードさんちの彼」ーそうやって、たくさんの親愛の中で生きている。
そんな彼は相変わらず、私に、惜しみなく好意を伝えてくれてて。私は相変わらず、そんな彼に、内心ドギマギしてしまって。
そして、こんな風になっているのも、きっと大切に育ててくれたおばあちゃんとおじいちゃんのお陰で。そう思うと、なんとも言えずじんわりしたものが胸の奥に広がるのがわかる。
私は、まだ何でもない、ただのセリー。
私には何が出来て、どんな役割を引き受けることが出来るだろう?
お皿を取り上げて食べようとしたら、フォークがないことに気づいた。あ、と思っていると、視界の隅で女の子達がなにやらワタワタしている。大丈夫だよ、手掴みって美味しいから。「あらあら」と笑うヴィオレット様のキャロットプディングは、甘い人参とシナモンの上品な香りがして、大変おいしゅうございましたとも。
拝啓、ありがとういつまでも大好きなおばあちゃんとおじいちゃん。あなた達の可愛い孫娘が恋心を覚えられたのは、きっと二人のお陰です。でも、恋心も、うんと年下の女の子達とのお付き合いも、まだわからないことばかりです。