第39話 煙の軍勢
時は少し遡る。ザンはスモークの分身相手に消耗戦を強いられていた。十数体の分身がザンを取り囲む。
「くそっ! キリがねえ!」
全力気合スイングで一回転、一斉に飛び掛かってきた分身を一掃したザンはゼエゼエと荒い呼吸を繰り返す。そうしている内にも次の分身が襲い掛かってくる有様だった。ザンは肺が痛むのを無視してそれを斬り倒す。
「ずいぶんと頑張るな。まだ少年だというのに、剣気を発動できるとは末恐ろしい」
スモークがザンに声をかけた。分身たちの後ろで悠々と葉巻を燻らせている。
「だが実力は剣王止まりだな。俺でも十分仕留められる範囲だ」
スモークが煙を吐き出した。その煙は人の形を作り、そして分身となる。ザンが減らした分身の数は元通りとなった。
「討伐隊は全部で四十くらいか? 俺一人でも対抗できる戦力だ。足掻くだけ無駄だぞ?」
「やってみねえと分かんねえだろ!」
分身の放った攻撃をザンは避けきれず受け止めた。そして踏ん張り切れずに吹っ飛ばされる。煙の重量に押し負けたのだ。
剣技、ヘヴィースモーカー。超重量の煙を生み出し操ることが出来る。スモークの剣や分身はその煙により形作られたものだ。そのパワーと物量にザンは圧倒されていた。
「副流煙スラッシュ」
分身たちが一斉に斬撃を飛ばした。集中砲火である。
「全力気合スイング!」
ザンが迫る斬撃を迎え撃った。互いの攻撃がぶつかり衝撃波が広がる。地面に巨大なヒビが入るほどの衝撃をザンは至近距離で受け、勢いよく地面を転がった。ザンが手を突き起き上がると、スモークの分身たちがザンを囲んで見下ろしていた。
「やべえっ!」
一斉に振り下ろされる剣。ザンは正面の分身に向かって突進した。そうすることで背後の攻撃から逃れ、前方からの攻撃だけに対処する。
「先駆け!」
突進していたザンがさらに加速した。振り下ろされる剣がザンに当たるよりも早く包囲の隙間を駆け抜け、すれ違いざまに二体を斬り付けた。そして振り返り、残りの分身にも斬撃を放つ。
「ちょっとだけ全力気合砲!」
ザンの剣から剣気が放たれる。薙ぐように放出された剣気で分身の群れを一掃した。
「無駄だと言ったはずだ」
だがすぐに本体から分身が補充される。今のやり取りでスモークが失った戦力はゼロ。ザンは息を整えながらそれを見ていた。そして唐突に笑って見せる。
「無駄じゃねえ。今までの戦いでお前との戦いにも慣れて来たぜ。お前の分身、単純な動きしかできないんだろ」
ザンの指摘にスモークは黙った。
「たしかにお前は強え。剣王級賞金首は伊達じゃないな。でも強いのは剣技だけだ」
「なんだと?」
「お前は剣技に頼り切ってんだよ。マインもあのとき俺に対して同じ感覚だったんだろうな」
「誰だそれは。知らない奴の名前を出すな。会話する気あるのか」
「犯罪者と話す事なんてねえ!」
「お前無茶苦茶だぞ」
思わず眉を寄せるスモーク。強いのは剣技だけという言葉にムッとしていた。故にザンに反論する。
「大体お前も剣技使ってるだろうが。剣技を使わないと俺と戦えないくせに、よくそんな事が言えたな」
「いや、今なら剣技に頼らなくても行ける気がする」
そう言って剣に纏わせた剣気を解除するザン。その無謀な行動にスモークは呆れかえった。
「何だお前、死にたいのか?」
「まだ死ぬ気はねえ。俺には剣神になるって目標があるからな」
「剣神? ……くくく、ははははは! 俺にも勝てない奴になれるわけないだろ。世間知らずもいいとこだな!」
「俺はいたって真面目だ!」
「そうか。なら自分の愚かさに気付かずに死ね!」
スモークが分身をけしかけた。一斉にザンに押し寄せる、その数二十。ザンはまだ動かない。
先頭の分身が剣の届く範囲に入り斬撃を放った。袈裟斬りである。ザンはそれを半歩移動して躱した。そしてカウンターを放ち分身を倒す。
「動きが変わった!?」
流れるような鮮やかな剣術。無駄のないその動きはザンに次の行動にノータイムで移行することを可能としていた。続く分身たちの攻撃を紙一重で躱し、そして屠っていく。まるでただすれ違うかのように歩き分身の群れを抜けた。
ザンとすれ違った分身は全て斬られ、ただの煙に戻っていた。
「なんだその動きは!? さっきまでとは別人じゃねえか!」
剣技は使い手の性格が表れやすい。ザンの全力気合スイングはパワー型の剣技だ。そして今までの戦い方から、スモークはザンを力で押すタイプの剣士だと考えていた。
そしてそれはほぼ正しい。ザンの気質は一言で言えば脳筋。繊細な技術を駆使するタイプではなかった。だからこそ、今の動きにまるで他人が乗り移ったかのような錯覚をスモークは覚えたのである。
「言っただろ? 一体一体の動きが単純だって。だから対処もしやすいってわけだ」
「貴様……」
「本体は高みの見物なんて、そんなん白けるだけだぜ。悔しかったら自分でかかってきてみろ!」
スモークは煙が続く限りほぼ無尽蔵に分身を生み出せる。そしてその分身を任意に操作する事が出来た。しかしそれは、分身の数が多いほどその操作が難しくなるという欠点を併せ持っていた。
自然、分身の数と動きの精彩さは反比例する。ある程度自立行動させられるとはいえ、単純な動きしかできなかった。
「最初は分身の多さに圧倒されてつい力技で対抗しちまったけどよ、冷静に一体一体対処していけば大したことねえ。お前自身で戦った方がはるかにマシだぜ?」
ザンがスモーク本体に切っ先を向けた。スモークは剣を握る手が無意識に強まった。そして自らザンに斬りかかろうと一歩踏み出し、そしてある声を聞き止まった。
声の主はハッチだった。戦場を飛び回りウォンの死を知らしめていた。それを聞いたスモークは、水を差されたことで頭が冷え、攻撃を取りやめる。
「……くっくっく、危ない危ない。つい挑発に乗る所だった。貴様、思いのほか策士だな。舌戦で俺を直接対決に誘い出そうとするとは」
スモークは新しい葉巻を取り出した。火をつけて咥え、そして深呼吸する。
「分身相手では俺に届かないと悟ってそんな策を弄したんだろうが、俺はそんな強がりには引っ掛からん。優勢なのは変わらず俺の方だ。俺はただ分身を生み出し続けるだけで安全にお前を殺すことが出来る。残念だったな、頑張って考え付いた策が実を結ばなくて」
「いや、そんな複雑な事は考えてねえよ」
スモークは再び分身を生み出した。その数二十体。先ほどザンに一蹴されたのと同じ数である。だがスモークには余裕の笑みがあった。
「この世には二種類の人間がいる。他人を使う側と、他人に使われる側だ。俺は使う側の人間だ。手下も分身も俺にとってはただの道具。確かに貴様の言う通り分身共は馬鹿みたいに単純な動きしかできない。だがそれでいい! 俺の命令通りに動くのに余計な頭は不要だ! 俺が特攻しろと言えば何の疑いもなくそうするからこそ、俺の分身共は強い!」
スモークがそう言うと、分身たちが煙を吐き出した。その煙もまた分身となる。分身が分身を生み出したのだ。
「うわっ、同じ顔だらけだ。気持ちわりっ」
「孫分身! これで分身の数は計四百二十体! 貴様にこの戦力差を覆せるか!」
溢れ返った分身はもはやザン一人との戦いには収まらなかった。近くで戦っていた他の連中をも群れの中に飲み込み戦場を飽和させていた。遠くではそれを見たマオが「にゃんじゃこりゃー!」と叫んでいる。
「呑まれろ! 煙の死兵!」
分身たちが一斉にザンへと押し寄せた。もはや人間の津波と表現してもよいほどの光景はまさに圧巻の一言に尽きるだろう。
だがザンの平静さは揺るがなかった。間合いに入った分身を斬り倒しながら前へ前へと進む。前後左右から押し寄せる分身の攻撃を時には避け、時には受け流し、群れの隙間を縫うようにして捌いくていく。
いくら数が増えても、同時に相手取る事になるのはごく僅かである。二十体の分身を下したザンにとっては大した違いは無かった。むしろ数が増えてさらに動きが単調になった分身は、今までで一番弱く感じられた。
ゆえにザンが分身の群れを突破するのに、そう時間は掛からなかった。
「よしっ! 抜けた!」
「馬鹿な……!」
スモーク本体を目指し走るザン。その後ろからは生き残りの分身たちが追い縋る。だがザンの方が早かった。
「おりゃあ!」
ザンがスモーク本体に剣を突き込む。スモークは煙の壁を生み出しそれを防いだ。超重量の煙はザンの全体重が乗った突きをやすやすと受け止める。
「ちょっとだけ全力気合砲!」
「なにっ!?」
ザンが剣技を発動し壁をぶち抜いた。スモークがうろたえる。
「貴様! 剣技を使わないんじゃなかったのか!」
「剣技に頼らないってだけで、使わないなんて言ってねえ!」
ザンがスモークの懐に飛び込み剣を振るった。スモークは自分の剣でそれを受け止める。ザンはその剣をからめ取り上へと跳ね上げた。スモークの胴体ががら空きになる。
「ま、待て! 降参だ!」
負けを悟り叫ぶスモーク。ザンはそれを無視し、スモークの胴を真っ二つに斬り裂いたのだった。




