序~鬼の詞(ことば)~
「どうした黒よ」
「無理です……出来ません」
黒は地面に突き刺された刀を取ることが出来ず、立ち尽くしていました。
その隙に、天邪鬼たちが一斉に襲いかかって来ました。
「う…うわっ‼」
「ちっ…仕方ない」
桃太郎が、電光石火で黒の前へと立ち、刀を取りました。そして…
「神業・伏流水刃!!」
再び刀が水を纏い、今度は横へ薙ぎ払いました。
「かっ…神業!?」
黒は嫌な予感がしました。
しかし今回は黒に被害はなく、水の刃が天邪鬼たちを切り裂いていきました。
天邪鬼たちは全滅し、さらに周辺の木々も薙ぎ倒されてしまいました。
「す…凄い」
黒はただ見ているしか出来ませんでした。
そこへ桃太郎が近づいてきて、
「!!?」
桃太郎が黒の胸ぐらを掴み上げ、言いました。
「何故…戦わなかった」
その眼は、やはり凍りつく程冷たかったのでした。
「な…何故と言われても……何も覚えてないのに、いきなり戦うなんて、そんな…」
黒を睨み付け、しばし沈黙した後、
「…強くなりたいか」
桃太郎が鋭い眼のまま、ですが冷たさは消えた眼になり、言いました。
「強く…なりたい……。強くなりたいです!!」
黒に迷いはありませんでした。
すると、桃太郎は不意に掴んだ手を離しました。
どさっ、と黒は尻餅をつきました。
「よかろう…ならば、黙ってついて来い」
桃太郎は振り向き、歩き出しました。
「は…はい」
黒は立ち上がり、覚束ない足取りで桃太郎について行きました。
しばらく歩き続けると、二人は森を抜け、町へと辿り着きました。
その町は、人通りこそ多いですが、大きな屋敷などはなく、木造建築の平屋が建ち並ぶ、どちらかと言えば田舎のような町でした。
「に…人間がいっぱい……。まさか、皆殺しに……?」
「…俺は無差別の人斬りではない。少し傷ついたぞ」
傷ついたような素振りなど見せずに、桃太郎が言いました。
「す…すみません、あれだけ躊躇なく人を殺していたので…」
黒は、桃太郎もやはり鬼ではないのかと、まだ疑っていました。
「その格好では目立つ…まずは君の服を買わねば」
黒は桃太郎から借りた毛皮の外套を、頭まで隠すように羽織っていました。
二人は呉服屋へと入っていき、黒の服と、切り取られた角を隠す布を買いました。
「一月もすれば角は元に戻ってしまう…早めに自分の意思で隠せるようにすることだ」
「は…はい。それと出来たら、買い物の仕方もわからないので、教えてもらえませんか…?」
黒がそう言うと、桃太郎は巾着から銭を数枚取り出し、黒へと見せました。
「この真ん丸に四角い穴があるのが和銅貨。あとは銀小判、銀大判、金小判、金大判と、十倍ずつ価値が上がっていく。これを渡すだけでいい」
「そ…そうですか。こんなことも分からず、すみません…」
「構わん…それよりも飯にするぞ。腹が減った」
「あっ、はい」
次に二人は「寿司」と書かれた暖簾がある食事処に入りました。
「ここは人間の町だ。当然人間の肉は置いていないが、我慢しろ」
食事をしながら桃太郎が言いました。
「は…はぁ。でも、この食べ物は一体…?」
「魚だが、何か」
「いえ…鬼が人間と同じ物を食べて、大丈夫でしょうか?」
「それは問題ない。人の肉ほど旨くはないだろうが」
黒は恐る恐る、寿司を口に運びました。
「生臭い…」
食べられないほどではないが、不味い。と黒は思いました。
「人間は基本的に魚ばかり喰う生き物だ。人の世で生きていくには、仕方ない」
人の世、と聞いた黒は、桃太郎に問いました。
「あの…桃太郎……。この世界って、人間と鬼は対立しているんですよね?」
「その通りだ」
「じゃあ今、僕が鬼だと周りに知られたら…」
黒は声を落としました。
「人間に殺されるだろう」
「だったら、早く他の町に…」
「何処に行っても同じだ」
桃太郎が冷たく言い放ちました。
「いいか黒よ。人間が生きている限り、鬼に居場所はない……。何故なら、人間の方が圧倒的に数が多いからだ」
「どういう事ですか。力は鬼の方が強いんでしょう?」
「確かに身体能力、個々の力で言えば鬼が強い。だが結局、数が多い方が勝つ。少数派は淘汰される運命なのだ……」
当然、黒は納得出来ませんでした。
「さらに、鬼斬隊という、鬼を殺す専門の組織もある。そして何よりも、人間たちの皇が、鬼は滅ぼすべしと謳っているのだ…」
「何でですか!どうして共存しようとしないんですか!!?」
黒はつい声を荒げてしまいました。周りの人間たちが黒に注目しました。
「す…すみません」
「目立ち過ぎたな…場所を変えるぞ」
桃太郎は店主に銀大判二枚を渡し、店を後にしました。
そして、町から離れるように歩いている道中で、話の続きをしました。
「いいか黒よ。鬼と人間が共存など、不可能なのだ。人間は本能的に、鬼が嫌いだからだ。……俺のような例外もいるが」
「本能的…ですか?」
「そうだ……。人間は愚かな生物だ…。自分より強い種族が存在するのが、気に入らないのだ……。鬼を醜い者、悪者だと決めつけている…」
「それって…、理不尽です……」
「その通りだ。そして、遥か昔…。何百年も前に、戦争が起きた。人間と鬼の、正確には人間と妖怪が手を組んでだが」
「戦争って…、鬼は何も悪くないのにですか……?」
「いや…、鬼にも非はある……。当時は今より、人間を主食とする鬼が多かったらしい…。」
黒はびくっとなりました。自分も、相当な数の人間を喰らっていた。そんな気がしたのです。
「そこで、このままでは喰らい尽くされると思った人間は、妖怪たちに妖術を教わり、罪のない鬼までも殺し出した…」
「そんな…。それで、戦争の行方は……?」
「人間の勝ちだ……。鬼の皇が倒され、残された鬼たちは、隠れ里と呼ばれる住処を作り、人間に怯えながら暮らすようになった…」
「隠れ里……」
「そう。その隠れ里だが、寒零山という山の何処かにあるらしい…」
「寒零……。寒そうな名前ですね」
「ああ、ここから少し見えるが、一年中雪に覆われている」
桃太郎の目線の先を、黒も見てみました。
そこには、それほど高くない、だけど横へ大きく拡がっている、真っ白な山がうっすらと見えました。
「あれが、寒零山…」
「そうだ。これから向かい、鬼の隠れ里を見つけ出す。そしてそこに、君を匿おうと思っている…」
「そう…なんですか。だけど、だったら何で人間の町に…?あと、ある人から連れてこいと言われているのでは…?」
「それは……俺が、人間が嫌いだからだ」
「???」
黒には意味が分かりませんでした。
「人間の醜さ、汚さを知ってほしかった……と、言っておく。何も起きなかったがな…。ある人については…、教えられない。」
やはり桃太郎は何かを隠している。そう感じた黒でした。
しかし桃太郎は、人間だけど鬼の味方をしている。それは間違いないと思い、深くは聞かないことにしました。
「それはそうと、人間だけではなく、妖怪にも気をつけろ…。寒零山には、雪や氷の妖術を使いこなす雪女や、人間も鬼も見境なく喰らう妖怪、山姥がいる」
「妖怪…。天邪鬼よりも、強いんですか?」
「間違いなく強い。だから君も、強くなければならない……」
「はい。でも、修行…というか、稽古はつけてくれないんですか?」
「俺は不器用だ……加減が出来ん。君を傷つけるかもしれぬ」
「まぁ、それは確かに…」
不器用というか天然、と言おうとしましたが、黒はぐっと言葉を飲み込みました。
「つまり実戦で鍛えるしかない。この辺りは小妖怪もいないが、寒零山には天邪鬼やコロポックルといった小妖怪が蔓延っている。着いたらすぐに修行となるだろう…」
「分かりました…。でも桃太郎、寒零山にも、人間がいる可能性は…?」
「寒零山は、児棄山とも呼ばれている…。崖が数多くあり、そこに自分の子供を棄てに来る人間がいるらしい……」
「えっ」
「人間に出会うとしたら、そんなろくでもない奴らだ。容赦なく殺してしまえ」
「…………」
黒は初めて、人間を心からおぞましいと思いました。
それから暫く無言のまま歩き続け、気がつくと二人は「寒零山 入口」と書かれた立札の前にいました。
「さ、行くぞ…覚悟はいいか」
桃太郎が言うと、黒は頷きました。
そして、白く塗り潰された山へと、二人は入って行くのでした……