昨日の敵は。
何の計画もなく飛び出してきた事に、若干の不安を抱えつつも、希望と埴輪さんの旅はやや順調に続いた。原因は主に希望の容姿である。
『変装を提案』
旅の間に埴輪さんの語彙も増えてきて、いつの間にか小難しい単語で会話をするようにもなったのは、希望としては誤算もいいところであった。
今回はまだ理解出来たので、埴輪さんの提案を検討する。
「そうは言っても、素材がないよ?」
希望の容姿はどちらかと言うと黒族寄りであるため、顔を多少汚すだけで問題は避けられたが、母方である白族は、全体的に色素の薄い一族で、遭遇する度に悪口雑言の嵐のち剣を向けられ、時には逃げ出し或いは返り討ち(不殺)で対応している。おかげで消耗品の補充には事欠かない。
しかし、変装用の小道具といったような物は誰一人として持ってはおらず、結果、現状に至るわけである。す
『何処かで化粧道具を入手することを推奨』
「そう簡単に転がってるもんでもないんだけど」
希望としては一般的(本人が一般的かどうかは兎も角)日本人の教育を受けてきたので、泥棒は悪いことと認識している。だが、背に腹は変えられない。
『南南西に多数の生命反応あり』
「村か何かあれば良いんだけどな」
遭遇する度に問答無用で襲い掛かられるのは面倒と、愚痴を溢しながら走れば、あっという間に集落が見えてくる。
「…意外に大きい…」
『生命反応は1572です』
埴輪さんの報告に、希望は納得する。隠れ里には日本で見たガーデニング用フェンス並の柵があったくらいだったが、トーリェルの館は防御力の高そうな壁で囲われていた。そして目の前の集落も、強度は分からないものの、それなりに高い壁が不法侵入を許すまじと聳える。
「さて、どうしようかな」
ぐるりと一周しても高さが変わることなく、また門も一つしかない。正面突破は愚策と希望自身も理解出来たので、一先ず夜を待つことにした。
「じゃあ埴輪さん。あとよろしく」
『了承』
埴輪さんは、埴輪だけあって休息の必要がないので、希望は見張りを任せて毛布を巻きつつ、こんもりとした低木の隙間で丸くなった。この世界は気温差がないのか、比較的過ごしやすい。もちろん濡れたりすれば冷えてしまうが、そうでもない限りは毛布1枚で過ごせる。一般女子ならまず無理でも、希望なら問題なかった。
数時間が経過し埴輪さんに起こされて辺りを見回した希望は、日も落ちて篝火が焚かれているような時間以外の状況の変化がないことにがっかりした。門は閉じられたままだし、門番はいかついオッサンのままだ。
「ところで埴輪さんに質問」
『了承』
「あたしが寝てる間、なんかあった?」
『特に変化は無し』
案の定、埴輪さんの返答もつれないもので希望はどうするか途方に暮れた。
「…ここにいても仕方がないか…」
荷物を纏めて名残惜しそうに門を見る。すると、何かの偶然か閉ざされていた門が開いた。門番のオッサンは開けっ放しのまま内側に引っ込む。
「…うっわ、ラッキー…」
埴輪さんを荷袋へ突っ込み全速力で門に近寄る。人の気配がないことがわかるや否や、希望はするりと入り込んだ。門の近くにはこれでもかという量の木箱が積まれていて、すぐに身を隠せたことも幸運だった。見つかることなく門は再び閉じられる。
「さーてと、どうしよっかな」
門の中の町は、まだそこそこ賑わっている。今が何時頃なのかさっぱり見当はつかないが、酔っ払いばかりなのでそれなりに遅い時間だろうとの予測は埴輪さん。
『この時間であれば、酒場を推奨』
酔客の相手をするウェイトレスの道具を、という提案に希望は従った。街灯も思ったより少なく隠密行動には向いている。埴輪さんの誘導に従い、希望は気配を消しながらも一軒の酒場(裏口)に忍びこもうとして。
どんがらがっしゃーん!と盛大な音を立てて転がってきた、どっかのオッサンに阻まれた。オッサンは希望の存在に気が付くこともなく起き上がると怒声とともに酒場の中へ戻っていく。
様々な濁声と嬌声が入り混じって酒場の中は無法地帯もいいところである。希望は今のうちとばかりに酒場内へ入り込み、どさくさに紛れて色々かっぱらい店を出る。しかし出たところで不運なことに別の酔っ払いに絡まれてしまった。「肩がぶつかった骨が折れた金よこせ」の様式美を守るチンピラに、希望はうっかり感心する。異世界でも一定の阿呆はいるものなのだと。無言でいる希望に、怯えていると勘違いしたチンピラは図に乗り希望の胸倉を掴もうとして失敗する。
「何やってんだ、そこの3人」
見回りと思しき何処かで見たことのあるような気がしないでもない兵士が3人、それぞれにチンピラの腕を捻り上げていた。