世界の何処かで(2)
虚竜は、現在では無に向かう存在と認識されている。
現に第五階層はその出現によって、通廊はほぼ消えてしまっている。空間の修復作用で元に戻ることは予測されているが、完全に戻るには相当な期間が見込まれる。
「では、戦力を整え次第開始する」
世界の守護を使命とする男にとって、全ての虚竜若しくは寔龍は敵である。決して手を抜く気はないし、油断もない。
男は官吏を退出させると、自らも虚竜討伐の準備をするべく席を立つ。と言っても男に準備は特には必要ない。無力感に苛まれていた遥か過去と違い、意思を継いだ今では意識を切り替えるだけで終わる。確認も兼ねて男は戦闘形態に移行した。
射干玉の角を飾る玉は暁闇の輝きを湛え、流れる漆黒の髪は宇宙の色、纏う鎧は冥闇を象り、数多の血と死と怨嗟を見続けてきた瞳は昏い光を放つ。その手にあるのは幾度となく世界を護った杖。幾多もの植物糸を撚り合わせて成した、結晶とも言える杖。鋼以上の強度を誇るそれは、内包している力も凄まじい。
「……どうやら、問題は無いようだな」
一振り、二振り、三振りとして内在する命を感じた男は戦闘形態を解き、今回の件を改めて考える。
虚竜にしろ寔龍にしろ、発生は各世界の動向に因って決まるものだが、今回は全く予測がつかないものだった。少なくとも男や女性の管理下ではその兆候は見られなかった。どの世界も小競り合いは起きているものの、それだけである。
全ての魂にある'種'が何を以て発芽したかが不明瞭では、ヒトという種の今後に差し障りが生じる。
「どうせなら、その方が手っ取り早いか」
竜は、その憎悪を同種に向ける傾向がある。獣が龍になれば獣が、ヒトであればヒトが。そして、知恵があるほどに憎悪は増す。
男はヒトという種に限界を見ている。知恵のある存在としては世界の中でも頂点に近いのに、その知恵を自らの昇華に使わず欲だけに注ぎ込む精神性では、外的要因に頼らずとも早晩無ることになる。
今回の虚竜はヒト種からの変異であることが確認されている。放置しておけば、少なくとも変異の原因である世界はヒト種の自滅による滅亡は免れる。男、ひいては女性の負担が減ることは間違いない。女性を苦しめた虚竜を放っておくのは業腹ではあるが。
女性は己の負担が増すことに異を唱えない。己の負担が増す分、世界がより良い方向を向いていると思っている。男が介入しないと、際限なく抱え込む。
だからちょうど良い。
しかし、それは男の視点からの話であって。
「何が手っ取り早いのかしら?」
女性がにこやかに問い掛けた事に、男の呼吸が一瞬停止した。
寔の読み仮名は《まこと・ショク》と言うそうで。『虚』の反対語は『実』ですが、そこから連想される言葉を探したときに見つけた字です。