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gedachtnis~忌む記憶~

ーー『英雄』とはどういう存在だろうか。


少年は自問する。


この問いに、きっと人々はこう口々に答えるのだろう。

常人には持ち得ない才を持ち、誰よりも高潔、何においても勇敢であり、常人では成し得ない偉業を成す人、と。


きっとそれは正しい、正解だ。

確かにその通り、否、そうでなくてはならない。

それは英雄になるための『前提条件』であり、『英雄』を『英雄』たらしめている理由なのだから。


かくいう少年もそう思っていた。


自分が目指し、これからなる『英雄』はこうでなくてはならないのだと。何も疑うことなく、自分もこう在れたならどんなにいいかと、まだ自分の小さな世界すら満足に守れない身でありながら常にそう思っていた。

しかし、その思いは、憧れは、すぐさま間違いなのだと撃ち砕かれることになった。


人肉の焼き焦げる匂い。


狂い泣き叫ぶ人の悲鳴。


崩れてゆく周囲の景色。


その風景を一言で表すならばさながら『地獄』といったところだろう。

なんとも形容しがたい凄惨なこの状況を表現するのにこれ以上に適切な言葉はない。

少年が生きているのも幸運と呼ぶものもいれば、なまじ生き残ってしまったことを不運と呼ぶものもいる。

いっそ死んでしまえた方が救いと呼べる、生きていることさえ『地獄』である。


「……あ……ぐっ」


少年は辺りが炎で燃え盛るなかでも、動くことができず、その場で生きていることを怨むようように呻きながら無様に地を這い、身悶える。

このままここにいたら死んでしまうのはわかっている。この場に留まることがどれほど愚かなことも理解していた。


それでも、動けないのだ。


自分の足を見れば酷い火傷を負っていて、胴を見ればあちこちに裂傷が刻まれおびただしい量の血が溢れている。

こんなものは根性や勇気、およそ感情の問題などとうに過ぎている。

確かに、動けるはずもない。


動けない、動けない。

動かなければ死んでしまう。

嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、死にたくない、死にたくない、死にたくない。


少年の心を占める思いはたった一つの願望。

『生きたい』ただ、それだけ。


鉛のように思い体に鞭を打って辛うじて動く顔を上げれば、視界に映るのはこの『地獄』を生み出した元凶。


それに立ち向かう、ちっぽけなただ一人の戦士の姿。

血を吸い、肉を喰らい、数多の命を貪る二匹の怪物。

血を流し、肉を削ぎ、数多の命を護る一人の英雄。

激しさを増していく闘争、まさにそれは少年が目指した『英雄譚』。


鉄同士が打ちあい、破壊音が悲鳴のように辺りに響き渡る。

英雄が武器を振るえば爆風が舞い、地面が割れる。

怪物が放つ咆哮は空間を揺らし、大気を鳴動させる。

お互いがお互いを滅するために力と力をぶつけ合う。

彼らの周りには死肉の群れ、屍の山。

三者を中心として、世界は冒涜され、傷つけられ、破壊されていく。

闘争の余波にて周囲は次々と掻き消える。

それでも、三者の闘いは終わらない。

このままいってしまえば、辺りは綺麗さっぱり何もなくなるのは必然だというのに英雄と化物は破壊活動を止める気配は一向にない。


ーー端的に言って矛盾している。


ーー『英雄』とは人々の救いではないのか。

ーー『英雄』とは人々の希望ではないのか。

ーー『英雄』とは人々を護る者ではないのか。


少年は自問自答を繰り返す。


ーー『英雄』とはどういう存在だ?


ソレは才に溢れ、高潔にして、勇敢にして、人には成し得ないことを成すのが『英雄』だ。


確かに、才に溢れているかもしれない。

確かに勇敢であるかもしれない。

確かに、常人には成し得ないだろう。


では今、自分の目の前で繰り広げられている惨劇は何だというのか。


決して、『英雄』の所業ではないと断言できる。


少年の憧れたる『英雄』がやっているのは、破壊、殺戮、圧倒された力をもって敵の排除。


「……こんなの馬鹿げてる」


吸い込んだ熱気によって焼かれた喉から出たのは少年の本心の吐露。

これでは怪物達と何ら変わらないではないか。

この『地獄』も英雄、怪物から見ればよくある、ありふれた『悲劇』の一幕に他ならないのかもしれない。

しかし、それでも少年にとっては価値観すら塗り替える一幕。


こんな存在は自分の求めていた存在ではない。


こんな存在は認められない、断じて許容できない。


ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。


華々しく、それでいて鮮烈で、それでいてどこか劇的な夢のようで、思わず目を閉じてしまいそうになるくらい輝しい、ただ格好いいから憧れた。


では、少年は目の前の破壊を繰り返す英雄になれと?あれらに混ざってこいと?冗談じゃない、ふざけるな。


彼らに肩を並べるようになれたらそれはそれはそれは素晴らしいだろう。

誰が相手でも、何が起きようとも『敗北』はない。

常に手に入れるのは『勝利』の二文字のみ。


だが、もう一度だけ言おう。自分が憧れたのはあんな者では断じてない。

なりたくもない、そんなものになるくらいなら苦しくても、平凡であり続けることを選べば良かったのだ。

特別になんてならなくていい、自分なりの方法で守る道を歩めば良かったのだ。


少年は薄れゆく意識の中、この日、この時をもって少年は『英雄』とは『化物(・・)と同じ存在(・・・・・)なのだと理解した。


そう、自分達は間違えたのだ。


その過ちに気付いた時、少年は慟哭する。






ーーそして、意識が途切れる感覚と共に景色が一変する。


今度はさっきの風景とは別の白い空間に少年ではなく青年が立っていた。

周囲のリセットに応えるように、青年が見ていた映像も終わる。


「そう、これは貴方の夢。貴方が貴方自身から逃げだした瞬間の記憶」


周りを見ても誰もいないのに、どこからともなく声が聞こえてくる。

それはどこか哀しみに溢れているようで、親しみと愛情も混ざり合った声。


「うるさい黙れ。こんなものを見せてどういうつもりだ、二度と喋るなクソ野郎」


少年はその声の主を拒絶する。

近寄るな、関わるな、お前が誰かなんてどうでもいい。

こんなの見せやがって何を考えていやがる。


「はぁ…そうやってすぐに悪ぶるんですか。汚い言葉を使っちゃ駄目」

「うるせぇ。気持ち悪いんだよあんた」

「ほらまたそうやって。でもいいよ、許してあげる。きっと貴方は私に否が応でも振り向く時が来るから。その時にでも優しくしてもらうね。それじゃあそろそろ時間だから、また今度。次に会えるのを楽しみにしてるね」


姿が見えないのに声の主が泣いたような気がして、少年はなんとも言えない気持ちになる。


ーーなんで、泣いてんだよ。泣きたいのはこっちだっつーの。それに、ああ、クソまた会わなきゃならんのか。

そんな気は一生起きる気はしないのだが……もし、もしもだ。言われたようにそんな日が来るのだとすれば、きっとその時は近い。






ピピピッ。


頭にやたらと響く聞き慣れた音にてヘルト・ルーザは目を覚ます。

ろくでもない夢を見ていたせいか、大変気分が悪い目覚めだ。


(チッ、朝っぱらから嫌な夢をみたもんだ)


ヘルトは意識が覚醒して早々に心の中で舌打ちしながら体を起こそうと力を入れる・・・がどういうことか体が思うように動かない。


「……いよっと!…ってあらら?」


頭がフラフラとする、心なしか頭もズキズキと痛い。

何かしたかと記憶を探ってみたら、記憶もなんだかやや不安定。


(もしや……毒か⁉︎)


ちょいと厨二心を出して辺りをキョロキョロと見渡す。

目に入るのは乱雑に放り投げられた瓶の山といくつかのゴミ。

いかにもだらしがない男の部屋といった感じである。

その内、近くにあった瓶をヘルトは手に取った。

カーテンによって暗くなった部屋の中で目を細めて読んでみると、瓶には見慣れない文字が二つ、匂いもついでに嗅いでみる。


「あー、そういやそうだったっけかぁ」


瓶から漂うアルコールを含んだ匂いからして紛れもなく酒。

そこから得られる結果はただ一つ、いわゆる二日酔いというやつだった。

酔っていたのなら昨日の記憶が曖昧なのも頷ける。

とりあえず自分の状況だけは理解して、寝台から降りて洗面所へと向かう。


(うおぇっぷ……やべー吐きそ)


朝から柄にもなく調子に乗ったせいか込み上げる嘔吐感を無理矢理我慢しながらなんとか洗面所へと向かい、色々と清々しく(・・・・)なる。

胃液で熱くなった喉を潤すために洗面所に備えてあるコップに水を入れて飲み干すと、鏡に写る自分を視界に捉える。


「ぷはー、この一杯のために生きてますなぁ」


鏡の前でコップを手に持ち、どこか締まりのない笑顔をしている男こそがヘルト・ルーザである。

黒くそこそこ長い、飾り気のない頭髪。寝起きで酷いことにはなっているが元々の顔立ちは中々のものと言われ、背もそれなりに高い。

服装はこれまた寝起きのため、上下とも黒で統一されたこれという特徴もない寝間着である。

十人に訊いてみれば、五人は『かっこいい』と答え、残りは『普通』と答える。『元々の素材はいいはずなのに性格の雑さがキズ』、と唯一の家族には残念そうに言われている。


「って言われてもなぁ。この性格は直しようがないし?仕方ないだろ、うん」


鏡に写る自分に頷きながら顔を洗い、歯を磨く。


誰もが暮らし、当たり前にする日常。


これをヘルト・ルーザは誰よりも気に入っている。

当たり前の日常を当たり前にすることこそが彼の望みだとも言える。


「ふぅ、だいたいこんなもんかね」


ボンバーヘッドになっていた寝癖を直したところでヘルトは時計に目をやる。

特に問題がない限り、もうすぐ迎えが来る時間である。


そう思うとほぼ同時にピンポンと、家のベルが鳴らされる。

本当にベストのタイミングだった。


「あいよーちょっくら待ってろー」


ドアの向こうにいるであろう人物にそう言いながら迎え入れりために急いでドアへと向かう。

しかし、ドアへと到着したところ一考。


(このまま開けたらいつもと変わらんなぁ)


くだらないイタズラ心ではあるが、いつもと同じようでは少々、芸がない。

当たり前の日常を謳歌するのは大切だが、時に刺激を求めるのは人の性である。


「合言葉を言え。そうすれば開けてやろう」

「むぅ、合言葉ですか」


僅かに扉を開けた隙間からボソっと囁いてみれば、扉の向こうにいる少女は突然の出来事に驚いたように唸る。

はてさて、どのような回答が返ってくるのか期待するとこである。


「うー、合言葉…どうしましょう、困りました」

「ふはははは、開けてほしければ言ってみろー」


ドアの隙間から困った様子の家族をみて喜ぶ自分。

『妹』の表情をみて高笑う『兄』。

言い出しっぺは自分なのだが、客観的に見てもまごうことなき屑の象徴であることをヘルトは自覚して、急激に冷めた気持ちを抱えたまま、普通にドアを開ける。


「いやいや、やっぱいい。というか突っ込んでくれ。なんか二日酔いの影響でテンション上がってたわ、すまん。そんで、ついでにおはよう、リーリア」

「ふふっ、おはようございます兄様」


律儀にも酔っ払いといっても遜色ない絡みにも答えてくれる割と乗りの良い妹に謝罪しながら朝の挨拶をすると、笑顔で挨拶を返してくれる。


さすが、我が妹リーリア・ルーザ。

すらっとした体型にショートヘアになっている艶やかな藍色の髪。

神に愛された少女、俺の人生唯一の潤い。やはり、根本から自分とは出来が違っている。


何かと冴えない自分とは違い、誰が見ても可愛いと言い切れる笑顔を前にそんな考えが次々と浮かんでくる。


そしてそんな事を考えながら、自然と部屋の中へと招き入れる。

この表現だとなんだかイケないことをするかのような誤解を与えるが、そんなことはない。

いつもの通り、リーリアに朝食を作ってもらうのだ。

まぁ、これも胸張っていえる事ではないのだが。


「兄様、すごくお酒臭いですよこの部屋。相当の量をお飲みになったご様子」

「なんというか、昨日の仕事のお礼に貰ってだな……やっぱり無料とはいえ貰ったものはしっかりといただかないと失礼だと思って……はい、すいません」


やっぱり結局、塵兄じゃねーか。


「妹の私からは特に何も言いませんけど、だからと言ってあんまり飲み過ぎは体に毒ですから駄目ですよ兄様」

「はい、ホントにおっしゃられた通りです。これから気を付けます」


朝食の用意もあるというのに嫌な顔一つせずにせっせと散らかったゴミを拾って片付けるフィリアに駄目兄貴の自覚を持つヘルトは心が痛い。


ーーつかホントに自粛したほうがいいかもしれん、主に俺の精神的に。


「さて、片付けも終わりましたので朝食にしますね。今日は大切な日ですし調子が悪くなってめ大変ですので、胃にもいいように軽めの食事がいいでしょうか……」


ーー前言撤回、今すぐこの場で改心せねば。このままだと罪悪感で押し潰される。


どこまでも自分を考えてくれる妹にヘ悲壮な決意したヘルトを知らないリーリアは、すぐさまに朝食の準備に取り掛かかる。

いつもの日常の風景を見ながらフィリアが朝食を作る時間の間にヘルトはあらかじめ用意された真新しい軍服のような堅苦しい服に身を通し、外出の準備をしておく。

今日から今住むこの場所はお役御免となるので、念入りに準備を済ませる。


「……はぁ」


そして、テーブルの上に置いてある手紙を見て盛大に溜息を吐いた。


『ヘルト・ルーザ』という人間は大した人間ではない。

小さい器しか持てず、限られた世界にしか生きられない。

野望なんてものは存在せず、欲もたいしてない、プライドなどとうの昔にそこらへ捨てた。

唯一大事にしていた『憧れ』はあったものの、それも打ち砕かれて心の中では折り合いをつけている。

平凡でもいい、自分に相応しい当たり前にある日常を謳歌して、時にちょっとした刺激としてほんの小さな変化求める男、それがヘルト・ルーザだ。

いつもならば、このまま部屋のなかでダラダラするか、気が向いたら知り合いから紹介された仕事をこなして日々を生きていく。

求める刺激なんて微々たるものでいいし、自分に相応しくない変化など求めていない。


しかし、しかしだ。

間違いなく目の前にあるのはヘルトには余りある変化への切符。

『推薦状』と書かれ、やたら豪華な封筒に入れられた一通の手紙。

溜息を吐かずにはいられない。


「はぁ・・・・勘弁してくれ。なんだって俺がこんなとこに行かなきゃならんのか」

「いいじゃないですか。栄えあるランディール学園で働くのですから、そう言わずに私がいますので、もっと喜んでもいいのでは?私もいますので」

「自分がいると二回言うでない。っつてもなここ行っても対して何もできないし、虐められんのがオチだろ絶対」


朝食を運んできたリーリアにジト目を向ける。

対するリーリアは嬉しそうにニコニコニコ笑っている。

多少ブラコンの素質がある彼女にとっては間違いなく兄が同じ学園に行くというのは僥倖であるから仕方ないのだが、ヘルトからしたら厄介なことこの上ない。

それになにより、この手紙を寄越した者が気に食わなかった。


「今更なんの用があんだよあの野郎。今までこれっぽっちも干渉しなかったくせに急に嫌がらせしてきやがって」

「確かにそれは不思議ですよね。今更、それも学園にだなんて。何か考えがあってのことなんでしょうが」

「やめとけ、やめとけ。考えたってわかりゃしねぇよ。あいつは自分の世界で生きてるからな。てか飯食おう、腹へって仕方ない」


悩むのを放棄したかのようにヘルトは並びたつ朝食へと飛びつく。


この選択が未来で後悔するとも知らず、今ここで運命は決まった。


それは決して諦められない宿命。


止まっていた時間が動き出す。


決して、この舞台からは降りられない。否、降りさせない。


ーーさぁ、ここに終幕が上がる。

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