奥さん、八月九日はハグの日なんですってよ! あらやだ! 仙狸は円熟するのです編
藤田ゆうき先生の『仙狸は円熟するのです』より、雨華ちゃんと理彰さんをお借りしました。
是非、本編をご覧下さい。
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「理彰、今日は何の日だか知っていますか?」
目の前にいるこいつは、今、自分がどんな顔をしているか分かっているのだろうか。理彰はそんなことを思う。
いわゆる「ドヤ顔」というやつだ。前に誰かから聞いた時はよく分からなかったが、今は嫌というほど分かる。これだ。これがドヤ顔だ。
そんなことを思われているとも知らず、雨華は言葉を続けた。
「私は知っているのですよ」
「…………そうか」
「そうか、じゃなくて! 聞かないんですか?」
「何を?」
「何の日かを!」
むくれて、爆発寸前である。これはいかんと理彰は雨華に向き直る。
「八月九日は、何の日なんだ」
「ハグの日、なのです」
「……はぐ?」
はぐ、はぐ、剥ぐということか。ならば何を剥ぐのか。偽りか。この虚構にまみれた世の中、年に一度はその塗り固めた嘘を剥ぎ取ってしまうべきなのだろう。良いことではないか。
「変なことを考えてるでしょう」
思考を両断されて、理彰の眉間にシワが寄る。
「変なこととは失敬な。剥ぐの日とは何かを真剣に考えていたというのに」
「んー、何か勘違いしてる。ハグっていうのは、こうするんです」
そう言うなり抱きついてきた。面食らっていると、胸の辺りからこちらの顔を見上げてこんなことまで言い出す始末。
「早く、理彰も」
「は?」
「ハグです。ぎゅーってするんですよ」
顔を引っ込めて胸に埋めると、ますます両腕に力がこもる。よく分からないが追随するしかなかろう。かと言って言われるがままに「ぎゅー」とやってしまっては痛がるだろうから、そっとだ。
そうすると雨華は満足したのか、再び顔を上げて笑顔を見せた。
「どうですか、嬉しいですか?」
「お前はどうなんだ」
「質問に答えなきゃ駄目です」
くるくるとめまぐるしく変化する雨華の表情。
「ハグをすると嬉しくなって、温かいと聞いたので、こうしてハグしてあげているんですよ。理彰が疲れているんじゃないかと思って……」
疲れている、というのはやはり仕事内容からなのだろう。ならば、疲れているのは寧ろ雨華の方ではないか。慣れない生活。慣れない環境。全てが一挙に押し寄せている状況に、濁流の中を泳ぐが如く抗っている彼女の方が、余程。
頭を撫でてやる。これくらいしか今はしてやれないが、それでも。
「うー、りしょー」
顔をぐりぐりと押し付けて雨華は名を呼んだ。彼女が笑顔かどうか気になって、顔を見たいとも思ったが、今この瞬間に顔を上げさせたら確実に怒り出すだろう。
だから今は、この暖かくて小さい彼女をすっぽりと包み込んで、外界からやってくる悲しいものから守ってやりたい。そう、思うのだ。
言葉にしなくても。伝わらなくても。
副題『そのぬくもりに用がある』 完