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あ~る珈琲 -バイト店員渡辺くんの日常  作者: 渡辺くん
第一章 あ~る珈琲潜入記
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閉店後

「お疲れ様。今日はいつもより忙しかったから、渡辺君が手伝ってくれて助かったよ。ありがとう」

 疲れの色が濃い僕に、労いの言葉をかけてくれる。

 そのままカウンターの中へ戻り、細長い注ぎ口のポットに水を入れて火に掛ける。コーヒーサーバーにドリッパーをセットし、ペーパーフィルターへ挽いたばかりの豆を入れた。


「いえ、大したお手伝いする事も出来なくて、返ってご迷惑おかけしたんじゃないかと思ってたので、そう言ってもらえて安心しました」

 僕は促されるままカウンターの一つに着く。腰を下ろすと、改めて疲れていた事が認識出来た。慣れない作業だし、ずっと同じ体勢を維持するというのは、かなり足腰に来るのだ。


 ポットの湯が沸き、『の』の字を描くように豆の上からゆっくり湯を回し掛ける。表面が膨らみ、ガラスのサーバーにほんの少しずつ、珈琲が溜まっていく。鼻孔をくすぐる芳醇な香りが全身を包み込む。

 珈琲にはリラックス効果があると聞いた事があるが、その通りだと思う。僕が珈琲好きなだけではなく、強張っていた筋肉がほぐれていくような感を覚え、改めて幸せの香りに目を細める。


 どうぞ、と目の前に置かれた一杯をそっと持ち上げ口元へ運ぶ。雑味のない上質な味わいに、自然と頬が緩んでしまう。昨日頂いたものとはまた違い、少し深煎りなのか? 酸味よりも苦味が若干勝っている。

 何にしろ旨い事には変わりない。


「遅くなってしまったけど、時間は大丈夫かい? お腹空いただろ? 良かったら適当に何か作るけど食べてくかい? 」

 言われてから改めて空腹である事を思い出した。空腹は最高の調味料と言うが、先ほどの美味しさの一端もここにあるのかもしれない。


 壁に掛けてある時計へと目をやると、十時十分だった。電車の時間にはまだかなり余裕がある。

「ありがとうございます。時間はまだ大丈夫です。お言葉に甘えて、お願いしちゃっていいですか? 」

 もちろん、と店長は微笑んで頷き返し、カウンターの下に位置する業務用冷蔵庫から材料を取り出し、二人分の食事を作る。包丁捌きもシェフだったのではないかと思うほど、あまりにも鮮やかなものだ。

 短時間でパエリアの材料と思しきものを用意し、深めのフライパンに入れ、フタをして火に掛ける。


 料理が出来上がるまでの間に、裏からモバイルパソコンを持って来てカウンターの端に掛け、ダカダカダカッと打ち込みを始めた。片時も休む様子はない。きっと店長にとってはこれが日常なのであろう。僕にはとても真似出来そうにないタフさだ。程なくフライパンからいい香りが立ち上って来る。


「今日は疲れただろう? 迷惑掛けたお詫びだって事だったけど、今日の分で十分だよ。こちらはかなり助かったからね」

 いやいや、店長は良くてもこちらは良くない。

「ちゃんと昨日言った通り、明日と明後日も来ますよ。確かに疲れたけど、このぐらいなら大丈夫です。慣れてないだけなので、慣れればもっと楽になりますよ」

 強がりに見えないよう、頑張って余裕の表情を作る。この程度で諦めたりしないぞ、という気持ちを込めてみる。それが伝わったのか、店長は苦笑しながらもすぐに引く。


「今日は洗い場だけだったけど、明日も同じぐらいの時間に来れるなら、手伝って欲しい事があるんだよ。頼めるかい? 」

 はい、よろこんで! などと某居酒屋店員のような返しをしそうになる。いかんいかん、そんな安っぽい男に思われないよう、品は大事なのである。

「はい、何をしましょうか。営業中だとなかなか教えてもらう時間も取れないので、今の内に手順なんかを教えておいてもらえると助かります」

 やる気がありますアピール全開で答えると、じゃあ、とテキパキ指示を下す。


 それにしても、半日そばで見ていただけなのだが店長はかなりデキる男だ。自分の手際だけではなく、僕に対する指示の出し方が的確でブレがない。必要最小限の言葉でこちらの能力も考えた上で仕事を任せる。

 その様子からは人を使い慣れているように感じる。

 今は一人でやっているが、きっと以前は大きいとこにいたのではないかと思う。老舗のお店のチーフとか? どうなんだろう。


 出来上がったパエリアを供され、ありがたく頂く。「適当に」などと言っていたがとんでもない。極上の味ではないか! 有名イタリアンレストランと比較しても遜色ないレベルだ。この腕前でメニューに載せないのはもったいな過ぎる……。

「どうだい? 」

「めちゃくちゃ旨いです! 」一言だけ返事をした後は、ひたすらに皿の中身を口に運び続ける僕に店長は苦笑する。

「そんなに慌てて食べると喉に詰まるよ」そう言って水を差し出してくれた。

 米の一粒も残さず平らげた後、水を一気に飲み干す。

「……はーーー、、ご馳走様でした! マジで旨かったです! …いや、美味しかったです! 」

「ははは、そんなに旨そうに食べてもらえて、こちらとしても作り甲斐があるよ」

「明日も同じぐらいの時間に来ますんで、またよろしくお願いします」

「ああ、明日もよろしく頼むよ。…そろそろ電車の時間じゃないかな? 」

 流しを片付けながら、チラリと時計に目を走らせる店長。

「ですね。じゃ、僕はこの辺で失礼します。おやすみなさい! 」

 カウンターの椅子から下り、最敬礼。じゃあね、と手を振る店長に笑顔を返し、帰路に着く。

 今日は疲れたが、ある意味収穫の多い一日だった。立ちっぱなしで疲れた足と、最後に出してもらった素晴らしいパエリアのおかげで、今夜はぐっすり眠れそうな予感がする。


 帰りの電車内は酔客が椅子を大半占領していて、残念ながら座る事は出来なかった。まぁ、今日の疲労具合からすると寝入ってしまって乗り過ごす心配があるので、それもまた良し。

 電車の窓に映る自分の満足気な顔に気付き、昨日との落差に自分で驚く。入学一日目から沼の底に沈んだ気分だったが、思わぬ出会いに感謝、である。

 それが続くかどうかも今はまだ分からないが、明日も頑張るしかない。そう改めて自分を鼓舞する。


 僕は五十嵐に今日の顛末をメールで報告し、心地良く疲れた体を横たえるべく、家路へと歩を進めた。

一日目終了です。渡辺くんはお疲れモード。でも店長は余裕綽綽です。仕事の出来る男は違いますねっ


※2017年 02月19日追記

パエリアのとこのやりとりと、その後の描写追加しました。

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