志望動機
「ありがとうございました」
最後の客を見送り、店の外にあった看板を仕舞った後、入口に鍵を掛ける。
「ふう、渡辺くんお疲れ様」
「お疲れ様でした」
やっと終わった。僕は思わず安堵の息を吐いた。
今日はほんとに忙しかった。さすがの店長でも捌き切れないほどの客の数で、息を付く間もなかった。きっと初日がこんな状態だったら、最初の一日目でギブアップしていたかも知れない。
でも今日は三日目で、多少なりともやり方とかモノの場所とかも把握出来ていたので、店長の邪魔になる事だけはなかったと思う。というか、助けになっていたと信じたい。
店長は今日の終業後の一杯を淹れてくれている。僕はカウンターに腰かけて、ゆったりとそれを眺めている。たった三日間なのに、なんだかずっと前から繰り返しているような、なんとも言えない充足感を感じる。この満ち足りた気持ちで待つ珈琲は、とても心地良い。きっとサラリーマンが良く言う『仕事が終わった後の生ビール』のようなものなのだろう。
「はい、ご苦労様。今日は忙しかったけど、渡辺くんが居てくれてとても助かったよ。私一人ではなかなか手が回らなかっただろうからね」
僕の目の前に今日のブレンドが出て来たので、目を細めながら頂く。
「店長は一人でお店やってますけど、今日みたいな時も助っ人とか呼ばないで営業してたんですか? 」
「うん、そうだね。まぁ何とかなるもんだよ」
さすが店長。僕なら軽くパニック状態になること請け合いである。
「お客さんに聞いたんですけど、前は何人かバイトの人が来てたけど辞めちゃったって……。理由を聞いても? 」
「……うん、何人か来てもらった事はあるけど、どうも馴染めなかったみたいでね。まぁ、仕方ないよ」
ここはあんまり突っ込んで聞いてはまずいところだったか? いや、でも解雇なのか自主退職なのかってのは重要だからな。その口振りからすると、『使えないヤツだから切る』というような感じでもなかったようだ。ちょっとは望みが出て来たというものである。
この会話の流れならイケる! 僕はコーヒーカップをカウンターに置き、真正面から店長へ向き直る。
「今日でお手伝い三日目になるんですが、この三日間お手伝いして来て改めて思いました。やっぱり僕はこのお店で働きたいんです」
言った。僕は拳をぐっと握り、店長の次の言葉を待つ。
「……渡辺くんは、どうしてこの店でそんなに働きたいと思うんだい? 前も言ったけど、他にも旨い珈琲を出す店はいっぱいあると思うよ。うちは採算重視でやってるわけじゃないから、あんまり儲かってないしバイト代も多く出せるわけじゃない」
そうですね、でも。
「僕はこの店長の珈琲を、自分でもこの味を出せるようになりたいんです」
店長が軽く目を見張る。
「そんなに珈琲が好きなのかい? 」
「はい、でもそれだけじゃなくて。僕には将来の夢があるんです。自分で旨い珈琲を出す店がやりたいんです! 」
とうとう言ってしまった。今まで誰一人にすら言った事ない夢だったが、言ってしまった。
なんだか口に出すと、余計に気恥ずかしく思えて来て、僕は思わず赤面する。
「僕の実家は小さな工務店をやってて、親はそこの跡取りとかって考えてるみたいなんですが、僕はなんていうかそっち方面にそこまで気持ちが行かなくて。別に全くダメだとかっていうわけでもないんですが、僕の下に妹が居て、そいつの方がずっと僕より熱意があるし、絶対向いてるってわかるんです。それなら僕も、自分がやりたい事に全力を傾けてもいいんじゃないかって思って。でも今まではどこから手を付けたらいいか分からなくて。それで、店長の珈琲を飲んだ時に思ったんです。これが僕の『理想の味』だ! って。僕の手でこの味の珈琲を出して、たくさんのお客さんに毎日の安らぎを与えたいんです」
僕はここぞとばかりに、熱い思いを語った。きっと僕の本気は店長に伝わったはず。
「そうなのかい。夢を持つのは素敵な事だね。でもね…… 」
「そこまで言うのだ、雇ってやれば良いのではないか? 」
なおも断り文句を続けようとしていた店長に、どこかから甲高い声が掛かる。
声のした方に目をやると、カウンターの端の方に、例の直立歩行する黒いアイツが居た。
「しゃべった! なんだ、コイツ! 」
僕がびっくり仰天して叫ぶと、今度はその僕の様子に一人と一匹が驚く。
「渡辺くん、君見えてるの? というか、言葉も聞こえてるのか? 」
「おお! 素晴らしいではないか。これは採用で問題ないな」
え、どういう事? 店長も見えるのか? 思わず叫んでしまったが、コイツにも言葉が通じてる?
え、ていうか、採用?
目を見開いて口をぱくぱくするばかりの僕に、なんだか安堵したような店長と、良く分からない生き物であるコイツ。全く話が見えて来ない状況に、僕の思考はまだ固まったままだった。
渡辺くんは意外と熱いヤツでした。
店長は結構ガンコですね。




