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あ~る珈琲 -バイト店員渡辺くんの日常  作者: 渡辺くん
第一章 あ~る珈琲潜入記
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第一次接近遭遇

 とても香ばしい鼻孔をくすぐる香りに、僕の意識が少しずつ浮上してくる。


 この香りは…

僕にとっての「朝」を象徴している。


 これがないと本当の意味で目覚める事が出来ないほどだ。

それが、僕にとっての【珈琲】というヤツ。

 どんなに気分の優れない朝も、疲れた時も、僕にとっては欠かす事が出来ない存在だ。


 しかもこの香りは、極上に位置する香り。

 香りが命である珈琲の、その香りをこれだけ引き出す事が出来るのは、それだけで職人芸だ。

 毎朝この香りを胸一杯に吸い込んで目覚める事が出来たら、どんなにか幸福であろうか…。そんな事をぼんやりと考えながら瞼をそろりと開ける。


 窓からは優しい朝の陽がレース越しに差し込み、少しだけ開いた洋風の格子窓からは、柔らかな春の風が時折その裾を揺らしている。

 床板張りの部屋には、壁に沿って天井近くまで届くほどの棚が並べられている。その棚の中には、たくさんの資料らしきものや、ぎっしりと並べられた蓋付のガラス瓶。

 数え切れないほどのコーヒーセットが、持ち主の性格を表すかのように、整然と並べられている。


 どこからか聞こえるのは、品のいいジャズピアノ。

 目の前には、アンティーク調の大き目なテーブルの上に乗せられた、一客のコーヒーカップ。この香しい芳醇な香りは、湯気と共にそこから流れて来ていた。

 僕は横になったソファの上から目線だけを動かし、ぼんやりとその様子を眺めている。



―― ああ、なんて幸福な目覚めなのだろう。



 ふと、その視界の隅に、何か黒っぽい小さいものが通り過ぎた。

 でもそれはすぐに消えてしまい、形を認識するまでには至らなかった。


―― あれは…人類が滅びてもなお生息するのではないかと考えられる、最強の生命力を誇る、G?

  ヤツ…か?


 一瞬だけ不快な思いがよぎるが、すぐに気分が上昇する。

 この部屋中に充満する幸せの香りが僕の全身を包み込み、それだけでそんな些細なことなどどうでも良くなってしまう。


―― もうこのまま、ずっとまどろみの中に居たい


 その僕の幸せな幻想は脆くも崩れ去る。

 あろう事か、目の前に置かれた幸せの象徴であるところの一客に、どこからか現れたGと思しきヤツがすぐそばまで来ているではないか!

 しかもヤツは、手の平より少し小ぶりな程度の、Gとしては超特大と呼べるサイズに見受けられる。


 そこまで見て取り、ふと違和感を覚える。


―― ん?直立してる?


 そのGは、何故か這いつくばる姿勢ではなく、飛んでいるわけでもないのに直立して見えるのだ。

 それにGより厚みがありそうな…。そしてよく見ると、手足のようなものまで生えているような…?


 僕が違和感の正体を少しずつ解き明かして行くうちに、そのGがこちらを振り向いた。



 そう、振り向いた。



 振り向くというのは、顔がこちら側を向く時に使う表現だが。

 振り向いたのだ。



 そいつには顔があった。

 そこでようやくそいつがGではなかった事に思い至る。


―― なんだコイツは、なんだコイツは、なんだコイツは…!



 現実味のない意識の中、混乱した僕の頭は真っ白になる。

 気付くと僕は、家中に響き渡る大きさの悲鳴を上げて跳ね起きたのだった。




 ”コンコン”

「どうしたんだい?」


 見知らぬ青年が、コーヒーカップ片手に開いたドアを左肩で支えている。

 年の頃は30代後半~40代ぐらい。少し灰色がかった明るめの栗毛は、くせ毛なのか緩くウエーブしており、長めの襟足は一つに縛り後ろに垂らしている。180以上はあるだろう長身の割に威圧感がないのは、その瞳からかも知れない。優しい笑みをたたえた穏やかな微笑は、端正な容貌を親しみやすくしている。


 パリッとした白のカッターシャツに、茶褐色のカマーベスト風カフェエプロン。襟元には同色のリボンタイ。同性である自分から見ても、見惚れずにはいられない。



「夢見でも悪かったのかな?今の状況わかる?」


 その言葉に、ようやく現実に引き戻された。

 改めて考えてみたら、ここはどこだ?何故知らない部屋のソファに横になっていたのだ?

自分の事なのにさっぱりわからない。これはどうしたことだ。


「すみません……。ここは…?」

「ここは【あ〜る珈琲】。君がウチの店の入口にもたれて眠り込んでたから、私が中に連れて来たんだよ」

 困惑した僕の言葉を聞いて、さもありなんと頷き状況を教えてくれる。



 そういえば昨日、新入生歓迎コンパと称する飲み会に参加したのだ。

大学入学に合わせてこちらに出てきた僕は、友人どころか知り合いが一人も居ない。しかしそんなのは些細な事と、期待に胸膨らませて参加した入学式で、早々に大失敗をしてしまった。


 それというのも、入学式で隣に座った子。その子が始まりだ。



 その、隣に座っていた彼女。僕はいつの間にか吸い込まれるように、彼女から目が離せなくなってしまっていた。

 柔らかそうな細かいウエーブの髪は、少しの風にもふわりと揺れ、華奢な肩にかかるぐらいの長さだ。少し俯いた時、流れた髪を左耳に掛け、説明を聞きながらしなやかな指でペンを走らせる。意思の強そうな細目の眉と、くっきりとした二重。よく動く大きな瞳は長いまつ毛に縁取られている。赤みの差した頬はとても柔らかそうで手を伸ばしたくなる。薔薇色に染まる艶めく唇は、楽し気に笑みの形を刻んでいる。

 僕は一目で心臓を撃ち抜かれてしまった。


 あまりの可愛さに僕が目を逸らせずにいると、僕の視線に気付いた彼女が「あなた新入生だよね?よろしく」などと親しげに話し掛けてくれた。鈴を転がすようなその声も予想以上で、魅了の魔法を増幅された。

 僕は天にも上るような心地で、彼女と少しでもお近付きになろうと会話をし、いつの間にか彼女と共にとあるサークルの新歓コンパに参加していたのだ。


 ふと気付くと、自分と同じように彼女に心を奪われた同志が数人、同じテーブルに着いている。

肝心の彼女はというと、リーダーらしき男の隣に当たり前のように寄り添い微笑みかけている。他のメンバーとのやり取りから、新入生ではない事がわかる。


 なんの事はない。サクラだったのだ。

僕の恋は芽生えたと同時に散ってしまうという、儚い運命をたどった…。



 僕はその憂さを晴らす為、傷心を洗い流すかのように飲んだ。飲みまくった。

今までこんなに飲んだ事はないのではないかというほど飲んだ。

 飲酒年齢に達するまで一滴も飲んだ事ないようないい子ちゃんではなかったのだが、こんな無茶飲みをした事はかつてなかった。


かくして、人生で初めての[飲んで前後不覚になる]というヤツをやらかしてしまったようだ。



 すると僕は、そのまま酔い潰れてここの店の前で寝てしまっていたという事だろう。

この青年の服装からして、カフェだと思われる【あ〜る珈琲】の前で。なんという失態だ。


「あっ、あのっ!ご迷惑かけてすみませんでした!…っ痛ぅ」

 慌てて起き上がろうとしたら、二日酔いの鈍い頭が激しく痛んだ。


「どういたしまして。お酒もいいけど、あんまり無茶な飲み方は体に良くないよ?もし飲めそうなら、一杯飲んでみてよ。頭スッキリすると思うから」

 微笑みながら、テーブルの上のコーヒーカップを目で示す。


「重ね重ね申し訳ありません。ではお言葉に甘えて、いただきます」

 ゆっくりと体を起こし、深々と一礼。

 先ほどから芳醇な香りを漂わせている魅惑の飲み物に手を出したくてウズウズしていたのだ。遠慮なくいただくとしよう。


「……!!」

 一口含んだ途端、芳醇な香りと爽やかな酸味と香ばしい苦味が、渾然一体となり、脳天から突き抜けて行く。いつもであれば、酸味の効いた珈琲は苦手なたちなのだが、二日酔いでぼんやりとしていた頭にはとても心地良い。

 そこまで状況判断をしてこの珈琲を淹れてくれたのであろう事を感じ、先ほどよりも更に好感度が上がる。


―― こんな気配りの出来る彼女がいたらなぁ


 なんの気なしに浮かんだ考えに、自分で更に落ち込む。



「まだ具合が悪いなら休んで行ってもらって構わないけど、そろそろお店開けないといけないから、私はこれで失礼するよ」

 その言葉に急いで腕時計を確認すると、後少しで8:00となる時刻。


―― やばい!! こんな格好で初めての講義に出席するわけには行かない!

 頭はボサボサ、服はヨレヨレ、いかにも二日酔い明けという己の様子に蒼白となる。いくら失恋したからと言って、新年度早々次の恋のチャンスを棒に振る必要などないのだ。


「あ、あのっ、ありがとうございました。僕はこれで失礼します。お詫びとお礼は改めて伺いますので! ほんとにすみませんでした!」

 まずは家に帰ってシャワーをして身支度整えてから講義に出席しなければ。少しだけシャッキリした頭を振り、焦りつつも世話になったお店を後にする。


―― そういえば、あの黒いの……。 夢だったのか…?


 僕は最寄り駅までの道をスマホで調べ、家路に着いた。

まだ謎の生物は少ししか出て来てませんね。

どの辺りでちゃんと登場するかは私にも分かりません…。


※2017年 01月17日追記

一目ぼれの彼女の描写を追記しました。

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